「原子力時代における哲学」(國分功一郎)① | 栃木避難者母の会のブログ

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自分達の過酷な経験が無にされることなく、次世代に原発事故の責任を持つ社会になって欲しいので活動をしています。弱者が弱者のまま、社会正義が堂々とまかり通る社会を夢見てます。「私」達には、地球の所有権があり、世界を変える力があると信じてます。

 この本は2013年7月から4回にわたって行われた連続講演の記録を書籍化し、6年後の2019年9月に出版されました。講師(著者)は國分功一郎氏です。

 「原子力」について非常に本質的な議論がされており、特に「原子力の平和利用」を徹底的に考えるとは、どういうことなのか、原子力という大きな問題を真正面から みんなで一緒に考えようと提示される著者(講師)の真摯な姿勢と呼吸が伝わってきます。実際に講演会に参加しているかのような臨場感を味わいながら、原子力の平和利用の思考の旅に誘われます。

 とてつもない学識の豊かさ、その勇気や熱意に感銘を受けます。

 

 まず 講演の動機として、「東日本大震災は甚大な被害をもたらしましたが、地震や津波と異質の被害、つまり福島第一原子力発電所の事故に、大変なショックを受けた」と吐露しております。そして、原発のことを考えてこなかったことを悔やみ、自分なりに考えていこうと思った。最初は、哲学者として、できることはないのではないかと思われたそうです。

 そして、大島堅一先生の「原発のコスト」と言う本を読んで、原発は、経済的に割に合わないということもわかり、また、原発が潜在的に持っている危険性を考えると、利用し続ける意味がないことは明白であると。しかし、その後、コストだけで追及できる問題とも違い、哲学こそが取り組まねばならない課題があるかもしれないという(大要)、考えを持つようになったと。そして、3.11から現在に至る大きな流れの中で自分の考えたことを「原子力時代における哲学」というタイトルでお伝えするのが主旨であるとの内容です。

 前置きだけでも、非常に期待感が持てます。

 確かに、原発は、次世代へ負の遺産を残す倫理の問題もあります。

 

 「原子力の平和利用」は、1953年12月の国連総会でのアイゼンハワー大統領の宣言によって始まりました。その当時、1950年代の哲学者は、この時に何を考えていたか---。

 当時の残っている資料から、原子力技術に言及している哲学者として3人の名前を挙げています。

 

 著作権の問題もありますので、抜粋はできませんが、本の素晴らしさを伝えたく部分的に紹介させて頂きます。

 1人目はギュンターアンダース、2人目はハンナアーレント、3人目はマルティンハイデッガーです。この3人は非常に稀有な人達であると。なぜなら、哲学者でもあり、ノーベル文学受賞者でもあり、平和運動の国際的な指導者のバートランド・ラッセルは核兵器について哲学的な考察を残していないと。

 確かに3人は、有名人です。本当に素晴らしい哲学者だったことが、改めてわかる感じです。

 まず、アンダースについて。アンダースは、核兵器とそれ以外の兵器には、絶対的な差があると考えており、例えばマシンガンは手段になるけど、核兵器は手段にならない。核兵器は目的そのものを消し去ると言っている。國分先生は、アンダースの論考に対して、核兵器による絶対的破壊というのは、少し誇張なのではないか、地球を全滅させるような核戦争は、本当に可能なのか、と問います。 本書には触れられておりませんが、アンダースの原子力発電所に対する言及は、1979年3月28日に発生したアメリカスリーマイル島の原発事故を目撃したことによると言われていますが、核の平和利用に対する考察がないと。

 國分氏は、アンダースの揚げ足取りをしたいわけでもないし、責めるつもりはないが、アンダースのように核兵器反対の平和活動を行った行動の知性の人でさえ、70年代終わりになるまで原子力の平和利用に言及していないと言います。先人の論考を発展的に考える展開に引き込まれます。

 

 2人目のハンナアーレントについて、筆者は1956年の「人間の条件」をとりあげる。

ソ連が打ち上げた世界初の人口衛星に言及し、人類は人間にとっての根本的な条件から脱出したいという望みを抱き始めている状況、1950年代の時点で、科学技術が人々を強く魅了している雰囲気を想像してみようと言う。そして、「人間の条件から脱出したい」という人々の気持ちが科学技術によって大いに促進され、科学技術に酔っていた50年代は、科学信仰の思想があったことを言います。

 アレントは、核兵器と核の平和利用の両方について考察していると。

ーーアレントは、原子力技術がもたらす破壊力だけでなく、それがもたらすー「創造力」のようなものに注目している。アレントは、核兵器の破壊力に匹敵する科学技術の想像力、何かを生み出す力こそが実は恐ろしい。と。

 確かに、核兵器によって核の平和利用が産み出されました。原発事故が起きた今となってみれば、非常に鋭いアレントの想像力が恐ろしいとしか言いようがありません。

 

 文字を追いながら 脳が刺激され 考える楽しさを味わえます。

 

國分先生の、ソクラテスとプラトンの史実を通して、哲学と政治について語られる言葉が珠玉です。

「真理は必ずしも人を喜ばせない。むしろ嫌がれる。特に権力によって嫌がれる。(確かにソクラテスは処刑されました)その意味で哲学は必ず世の中と衝突する。哲学者というのは、そういうことをしている人達です。・・・・浮き世のことを知りつつ、その大勢に抗いつつ、真理を探究し、様々な工夫の積み重ねの中で世に自らの思想を問う。」

 

 考えてみたら 國分先生は民主主義を強化させるように言論展開されております。原子力は、相当の力量がないと語れるものではないと常々考えてきただけに、同じ日本で こういうことを提示してくださった先生がいらっしゃっることは非常に幸せなことだと思いました。

國分先生こそ稀有な存在だと。

この本は 私達被害者にとって非常に希望になりうる輝きを放つ本で、時代を越えて読み続けられる名著だと思っています。

今回は長くなるので本のかなり前半部分、2人の紹介で終わります。