栃木避難者母の会のブログ

栃木避難者母の会のブログ

福島県から避難してきたママ達が、安心して育児や日常生活を送れるように 孤立防止を第一の目的に活動しています。複数の書き手が、自由な考えを表現しております。様々な分断対立が少しでも解消することを願ってます。

原子力損害賠償 ・ 廃炉等支援機構の個別相談会が宇都宮で開催されます!まだ住居の確保がお済みでない方 ・既に住居を確保したが、賠償可能残額がある方 ・請求漏れがないか相談したいという方 ・ADRの申し立てについて教えてほしいという方 など 是非、 ご相談 ください!

 

原子力損害賠償 に関する個別相談会

 原子力損害賠償 ・ 廃炉等支援機構相談無料 10:00~16:00

◇ 相談時間は1回1時間

◇ 弁護士が原子力損害賠償全般について相談対応いたします。

◇ 対象:原子力損害においてお困りの皆様

  個別相談では、全ての原子力損害賠償について ご相談いただけます。

◇ 開催日  7/18  栃木県教育会館 (裏面参照)

◇ 予約専用 ダイヤル 0120-330-540  

    予約受付時間 9:30 ~ 17:00 (土日祝日も受付)   〔休憩:12:00~13:00〕

 

 

★ 個別のご相談は必ず 事前予約 をお願い致します。

 ※ 新型コロナウイルス感染症の影響により実施予定の相談会が、変更・中止となる可能性がございます。 申し訳ございませんが、開催につきましては、予約専用ダイヤルまで ご確認をお願いいたします。

 

 

夫が番組を視聴し、とても良かったと話していたので、気になって調べました。わかりやすく、とても参考になったので転載します。

転載元    

 

 http://aoiyugure.blog62.fc2.com/blog-entry-5134.html

 

「緊急対談 パンデミックが変える世界 ~海外の知性が語る展望~」のことなど

 

昨年、2/18に開催された宇都宮大学で公開シンポジウムで 当事者としてお話する時間を5分頂きました。

この5分間に思いを込めて文章をまとめ当日発表しました。1年経ちましたが、昨今のコロナウィルスが期せずして経済をストップさせている現状を憂慮しています。当日は、そうした社会への抵抗のようなものをお話しさせて頂きました。一人でも多くの方に、本質的なものを考えるきっかけになれればいいな という思いもめぐりましたので 当日の読み原稿を公開したいと思います。

-----------------------------------------------------------------------------------

今日は貴重な場を頂き、大変にありがとうございます。・・・・・・略・・・・・

うかお気楽にお聞き下さい。

 

まず、自己紹介ですが、2011年秋に夫の協力を受け自主避難してきましたが、実家が双葉郡内にあります。その意味で、原発立地地域に住んでいたわけではありませんが、故郷を失ったと言えます。

私は両親とも双葉郡内に先祖があるので、事故時、放射能という燃えない、消えないという究極的に人間の手に負えない科学物質との遭遇はまさに、パンドラの箱を開けてしまった社会の始まりでした。そして言葉で表現できない深い悲しみを全身で味わいました。

 

宇都宮に来て放射線数値が低いことでかなり落ち着きを取り戻し、何故このようなことになってしまったのかと、疑問を解くように図書館で本を借り、知りたいことが解明されていくような書き手と向かい合う孤独な時間に慰められました。

心に深い痛みがありこれはどんな痛みなのか、どう表現すれば良いのか、ある日、ユダヤ人としてナチスドイツの迫害を受け強制収容所を体験した心理学者フランクルが書いた「夜と霧」を手にとりました。一部分を紹介します。建設現場で働いていたフランクルは食事どきになった。一列に並ぶところで、フランクルの後ろの男が、一歩くらい横の方に立っていた。看視兵が視覚的に気にいらなかったらしく、後ろからやってきて、突然、フランクルの頭を二回強く殴った。気づくとこん棒を持っていた。

その状況でこのように綴られてました。

「殴られる肉体的苦痛は、私達大人の囚人だけでなく、懲罰を受けた子供にとってすら深刻ではない。心の痛み、つまり不正や不条理への憤怒に、殴られた瞬間、人はとことん苦しむ[1]。」と。「殴られることのなにが苦痛だと言って、殴られながら嘲られることだった。[2]」と。豚犬とののしられ徹底的に卑しめられる、これが肉体的苦痛よりも心が痛んだという内容にくぎ付けになり、これは、まさしく、原発被害者の心の痛みに通底していると悟りました。そして、この痛みは人間として受ける最大の屈辱なのだと自覚しました。

これは人間扱いされない痛みということです。福島のあの地で、住民は皆、プライドを持って仕事をし生きてきたわけです。そのおびただしい数々のプライドや尊厳を原発は悉く破壊したという想像力を持って欲しいと思います。

私達を人として尊重していないから、原発を建設し、十分な対策もせず、支配してきたのだと思います。事故を起こしても、彼らの態度は根本的に変わっておりません。徹底して冷酷です。

私は2013年に母の会を立ち上げ活動しましたが、当時は、なぜこれほどの大問題を無視するのだろうと真剣に思っていましたが、今ならわかります。都合のいい部分だけ宣伝し、都合の悪い部分は無視する。つまり、無視すること、されていることは権力が隠したいことでもあります。

当時は、私には強い憤りがあり、社会的には受け入れてもらえないと思うこともストレスで、一方でその気持ちを恥ずかしいと思ったり、あふれ出てくる怒りの感情に苦しめられました。しかし、今振り返ると、被害者は同様の心理を持っていました。表層的な言葉の揚げ足取りに終始し、表現の背景にある本質に迫っていくことができません。

 

そのような中、私は国際学部 丁貴連先生の厳しくもあたたかなご指導のおかげで書くことに挑戦させて頂きました。書くことは吐き出すことであり、大きなエネルギーを伴いましたが、2つの原稿を書き終えた2016年の春頃、体内の怒りが抜けていったという体験をし、これは、私にとってとても大きなことでした。

ちょうどそのころ、同年代の友人―彼女は10キロ圏内からいわき方面に避難していたのですが―電話をしたところ、何と甲状腺がんになって手術を受け、鬱になって苦しんでました。放射線が原因だと判断できないことも不信を招いているようで、話を聞くと、大きな怒りをためていると感じました。あの時、あの地で住んでいた人たちが生活の全てを奪われた苦しみは、私の比ではありません。今なお、心の整理ができていないことも十分考えられます。

最近、ある避難者の方が、このように話してました。何とか家族もまとまって、新しく家も建て、少しずつ環境になじんで前を向けるようになったと。しかし、福島の自宅に行くと、全く別の世界があると。二つとも自分の世界だが一致しないと。私も深く共感をしました。

私は昨年、震災後初めて帰還困難区域にある家を母と一緒に行きました。どんな家でもかけがえのないものです。2階のサッシは全開し、風や雨がダイレクトに入ってきて、家具や衣類など家にあるものがぐちゃぐちゃになっていました。大切な家が無残な状態に長年さらされ、朽ち果ててゆく家を前にたたずむことしかできない無力感。

チェルノブイリ事故を翻訳している尾松亮さんは「原子力発電所の爆発とは、災害ではない。巨大な力を持つ何者かによる、命と権利の蹂躙。それに対して彼らが求めてきたのは、『復興』ではなかった[3]」と綴っており、共感しました。

私はまた浪江町の友人の帰還困難区域の家も見せて頂きその影響があるのか不明ですが、昨年年末の頃、自分は死んだのだと自覚しました。これはおそらく、自分の故郷での生活はもう二度と体験できないという感覚、故郷の生活空間は死滅したのだと冷静に受け止められるようになったということです。もちろん、人それぞれ事情が違いますので、帰還して生活を始める選択に勇気づけられている現実もあります。

社会を見回した時、震災後の私達の社会は、実はとんでもなく異常な空間になっていると思います。事故前までは、原発は安全だとされ国民は信じてきたように、震災後は放射線は安全だとされ国民は信じているように。実際には大量の放射性廃棄物に囲まれ汚染された環境に住んでいるということです。

核実験で生じた放射性塵から、地球環境の被爆実相を明らかにし世界的に高い評価を得た気象研究者の猿橋勝子先生は、核兵器禁止を訴えましたが、原発の「平和利用」になると猿橋先生でさえ当時は明確な判断ができなかったことが書物からわかります[4]

著書「脱原発の哲学」の冒頭には、60年以上前のギュンター・アンダースの論文が引用されています。アンダースはハンナ・アーレントの最初の夫であり、ユダヤ系哲学者でナチズムも体験し亡命した人物です。当時も核の問題は一貫して軽視されてきたようで、アンダースは、アメリカスリーマイル島の原発事故の影響を受け「今日では原子力発電所が、核戦争から人々の目をそらし、「アポカリプス(全面崩壊)不感症」に陥った私たちを一段と不感症にしている[5]」と指摘し、「『核』の終末が、技術的エラーや想定外のアクシデントによって起こり得る[6]」ということを強く警鐘をならしていたと。つまり、原発と核兵器は存在論的に同一であり、「ただ核の平時利用と戦時利用が存在するだけである[7]」との指摘に共感をしました。

核には根源的にも人の深層心理においても破壊と暴力があることを、人の心を根底から蝕むことを痛感しています。放射性物質は自然界ばかりでなく 人の心もまた不滅的な傷を与え続けるのです。だから、原発は電力問題ではなく、人権侵害を引き起こす公害問題が本質的にあると思っています。

 

事故を起こしても原発は合法的に輸出され、再稼働されます。その政治的カモフラージュにおいて、私は原発は核兵器よりももっと悪質だろうと思っています。

この「核の平和利用」という宣伝文句がいかに欺瞞であったかと、この解決は人類に対する挑戦であると痛烈に思っています。

アンダースの思考は、核兵器や原子力発電の問題をおおう世界全体の機械化、全体主義の問題として受け止めて取り組むことだととらえています。「アンダースが述べている世界全体の機械化に比べれば、ヒトラーの全体主義は、まだ非常に未熟な胚種のようなものにすぎなかった[8](主意)」とも言うべき政治的全体主義を超えた技術的全体主義であると。それは原発も経済成長戦略とされているように、核兵器産業を中心に膨大な犠牲や社会病理を生み出しながら、人間社会のあらゆる面に歪みを引き起こし、果てしない経済金融利潤を追求する人間の否定、拝金主義的社会ではないかと思います。アンダースの思考はこれにとどまることはありませんので言及できませんが、全体主義の抵抗として私が今、考えていることは、一人一人が「個人」に立ち返って、できることはささやかかもしれませんが、主体的に独創性や創造性を大切に考え続けること、自身の力量を伸び伸びと発揮して生きていくこと、他人にもそのようにできる思いやりや自信を与えることが大切ではないかと考えています。私からの報告は以上です。ありがとうございました。

 

 

 

 


[1]ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』(みすず書房、池田香代子訳 2008年) 38

[2] 同上 39

[3] 尾松亮「チェルノブイリという経験」(岩波書店、2018167

[4] 猿橋勝子『猿橋勝子』(日本図書センター、1999157頁~171

[5] 佐藤嘉幸・田口卓臣『脱原発の哲学』(人文書院、201629

[6] 同上 31

[7] 同上 40

[8] ギュンター・アンダース『われらっはみな、アイヒマンの息子』(晶文社、2007170

 

 

 

 

 

 

 

 福島帰還者招待しての交流会のお知らせ

 

◎日時 202028日(土)  午前1030分~13時頃

◎場所  宇都宮大学峰キャンパス 大学会館2階談話室  

     住所: 宇都宮市峰町350 

◎内容  

10:15~      開場

10:301050  「女性の声に耳を傾ける」避難者アンケートなどから

 講師 宇都宮大学原発震災フォーラム代表

    清水奈名子教員 (国際学部) 

10:5511:30    被災者の立場からみた被災地の土地価格、ADR情報など 

          講師 高橋不動産鑑定事務所 高橋雄三先生

 11:3012:45  交流会   個別相談は検討中

 

◎対象者   避難者 とその関係者

 

茶菓子付きます。ただし お昼をはさみますので昼食は準備するか、要予約。

弁当代 500円(おにぎり2個+おかずつき:お米のひろばさとう)

 

※福島県内で被災者の無料相談を行っている高橋雄三先生をお招きします。情報入手だけでも、ためになると思います。お気軽にお越しください!

 

※午後1時過ぎに、宇都宮大学原発震災フォーラムによる公開シンポジウムが

あります。お時間の許す範囲でご参加ください。

 

栃木避難者母の会 福島原発震災フォーラム 共同事業

栃木避難者母の会は、福島県避難者支援助成金を受けて開催します。

 

連絡先  大山 09051895616 もしくはコメント欄にください。

 

最近、来年にせまった東京>オリンピックで、マラソンの会場を、札幌で開催決定とのニュースが飛んできました。暑さを懸念してのようです。へ?何を今更?オリンピックについては、昨年の6月時点でも、当初8,000億円が3兆円にとの報道がなされております。 こんなに、甘い見通しをしている議員先生達。彼らに生活と命を預けて、彼らを選んだ私達。  どこかで聞いたお話し・・・・と思ったら、待って下さいよ。

原発事故処理費用も同様です。当初11 兆円が、2016 年には22 兆になり、2017年3 月のニュースで古いですが、(日本経済研究センターというところの試算では)50 兆~70 兆円になるとの見通しでした。

 

2013年の毎日新聞(8月19日付)の特集記事が興味深いです。イギリスの原発廃炉作業に関する記事ですが、イギリスの原発廃炉試算では、普通に運転をして普通に廃炉作業に入った原発で、なおかつ23.5万キロワットという小さな原発で90年の歳月が必要と試算をしています。

 

福島第一原発は1号機から6号機合わせて469.6万キロワットもあります。だが、日本政府は廃炉に40年との試算発表です。

 

つ。ま。り。。。信じることができますか?

 

全てにおいて現状認識が甘く 「数万年かかるはずの処理・隔離・管理の費用も含まれず、非常に無責任であると」(毎日新聞)いうお話しです。ツケはすべて未来の世代へ遺しておく。「いくらかかるか知らないが、あとはよろしく」というのが、本質です。(毎日新聞)これがこの国の「原発行政」であり、政治の実態です。

 

誰が責任者かわからず、責任も取らないのに、国民が知る権利や、国民の表現や、自由や権利には お金を使いたくないようで(愛知の芸術展示に対する文科省の対応)、そりゃ、将来に希望も持てないし、日本が良くなる種が見つからないのは 道理と言えば道理と思うのです。

 

どうすればいいのでしょうか。私にもわかりません。少なくとも厳しい現実だけは受け止めないといけませんよね。 私の周辺の仲間はこういう危機意識、危機感を持たれていますが、やはり悲しいですけど、一度 「被害者」の体験を味わわないとわからないのでしょうかね。否、被害者になっても気づかないこともあるかもしれませんね。

・・・・ でも、他人を責めるわけにもいきませんので、自分のためにも、ふんばるしかありませんね。(泣)