夜明けの会  (旧:栃木避難者母の会)

夜明けの会  (旧:栃木避難者母の会)

「核抑止力は根本的に間違っており、その間違いを証明しているのは、福島第一原発事故であり、原発避難者はその生き証人です。」田口卓臣教授 (2017.9)

「夜明けの会」に名前を変更しました。(令和8年4月) 

 放送大学学生・坂本光子さんの卒業論文、題名「原発事故後の女性たちによる権利回復のための市民活動」が、2025年度の配架論文として、放送大学図書室(宇都宮大学附属図書館内)に掲示されました。掲示される卒業論文は1本だけです。

 本人よりお知らせ頂き、話を聞いてきました。(ただし、図書室は放送大学学生が入場できます)

 この卒業論文は、私ども栃木避難者母の会の活動記録と、宇都宮大学福島原発震災研究フォーラムの先生達と共同作成した証言集「原発避難を語る」からまとめました。

 放送大学には、6つのコースがあり、様々な方が、高い向学心を持って勉学に励んでおられるそうです。困難な環境の中で、特に卒業論文のようにまとまった研究論文を書くのは、非常に高いモチベーションを維持しなければ成しえないことだと思います。 

 そういう環境で書かれた研究論文はどれも素晴らしい価値のあるものに違いないと思います。栃木県出身の坂本さんに、なぜ、原発事故をテーマに卒業論文を書こうと思ったのか、また、卒業論文を書いて学んだことや伝えたいことなど率直な思いを尋ねました。

 

 

【なぜこのテーマを選んだのか】(回答は全て坂本さん)

 テーマが決まるまで、3つの段階がありました。一番目は、放送大学に入って、人と人のつながりが何かの発明や問題解決、困っている人を救うことがある一方で、差別や偏見、排斥を生んだり、悪政やジェノサイド、戦争、ホロコーストなど、人間はここまで残酷でむごいことを生み出してしまうということを知りました。その中で、歴史上の出来事や悪政の決定の裏側には、表面化されない様々な人たちの、特に弱い人の存在や、気持ちは記録されてないことを知りました。それが第一段階です。

 

 二番目は、環境政治学の高橋若菜先生(福島原発震災研究フォーラム共同世話役)の、足尾鉱毒事件と福島原発事故の授業を学んだことでした。足尾鉱毒事件では、土地を没収された谷中村の住民は、明治政府によって圧力をかけられ、住民は分断し孤立していきました。福島原発事故も、当初、枝野官房長官が発表した「(放射能は)ただちに影響はない」というあいまいな言葉によって、たくさんの人々が混乱し、苦しみと分断が生まれました。本当のことを伝えるべきであり、原子力行政には矛盾があり、受益と受苦の二つの構造があることを学びました。一部の人の利益を優先する一方で、苦しむ側の存在があります。高橋先生の授業で、人間の根幹を失う福島原発事故の惨状に触れたことが二番目でした。

 

 三番目は、清水奈名子先生(福島原発震災研究フォーラム共同世話役)との出会いでした。清水先生が原発震災の研究をされており、弱い立場の人の声を救いあげる姿勢に深く感動し、先生のお人柄に尊敬の気持ちを抱きました。高橋若菜先生らと書き上げた著作「奪われた暮らし」(2022.日本経済評論社)の中の清水先生執筆の論考の中で、「栃木避難者母の会の活動記録」が引用文献として掲載されていて(P137)、読みました。そして、証言集も読みたくなり、清水先生にお願いに行ったことがきっかけでした。

 

【福島県とのつながりについて】            

 福島県は、まず名前が素敵です。幸福の「福の島」です。お隣の県ということもあり、会津の鶴ヶ城や野口英世記念館、裏磐梯、土湯温泉、いわき海水浴場など、山、川、海が美しく澄んだイメージがあり、自然が豊かで大好きでした。栃木県外では、一番多く出かけた県でした。

 

【研究から学んだこと】

 学んだことは、真実を知ることの大切さです。そして、真実を知るためには、正しい情報を探すことや、見極める力が必要です。自分の頭と心で考え、感じることが大切ではないかと思います。そして、自分の考え方のバイアスや情報発信者としてのバイアスにも注意を促す視点も必要だと思います。

 

【研究を通して伝えたいこと】

 福島第一原発事故のことをもっとたくさんの人に知ってもらいたいです。それは、原子力行政の不条理や汚いところを知って欲しいです。真実を知ることから、始まると思います。

 

 

※※※インタビューを通して感じたこと※※※

 研究から学んだことを聞いた時、「自分の頭と心で考えること」おっしゃっていたことが、印象的でした。

 話を聞いていて、心が通じ合うものを感じました。その正体は、弱さの自覚ではなかったかと思います。

 坂本さんの重心が低いことによって、弱い立場からの声を表面化しようと試みた私達の活動に共感を得て頂けたと思いました。

 坂本さんと話をしていると、弱いことの全肯定が生まれあたたかい気持になりました。

 本当にありがとうございました。そしておめでとうございました。(大山)

 

 実家から車で10分ほどの場所に、小さな海水浴場(富岡町の海水浴場)がありました。1970年代、私が小学生だった頃のことです。夏休みになると、叔母たちが祖父母の家に長く滞在していたので、いとこたちと毎日のように海へ連れて行ってもらいました。富岡川が海へと流れ込む場所があり、外海は波の引き際の吸引力がとても強く、子ども心に恐ろしさを感じました。
 しかし、その合流地点には波がほとんど入り込まず、水もあたたかかったので、子どもには安心の格好の遊び場でした。もっとも、場所によっては深いところやごつごつした大小の岩や石があったり、水もそんなに透明度が高いわけではなかったので、今の感覚だったら遊泳禁止とされたでしょう。それでも当時は、多くの子供たちが楽しく遊んだ海の「川」でした。

その後、中学以降は海に行く機会もないままに、年月だけが過ぎていきました。

 2008年以降、2人の未就学児を持つ母親になった私は、---------------- 続きは こちら 悠久に触れた2010年の夏―そして、箕浦幸治の眼差し|夜明け(ふたば)

 

初投稿で紹介した國分先生との動画記事
https://note.com/agile_echium4439/n/n61f180b7ddba)を福島の友人達にも送りました。友人達は、子供が同じ幼稚園で、同じ団地に住むママ友でした。自主避難する時に別れの淋しさも示してくれ、たまに連絡するだけで、ずっと会えておりませんでした。今回の記事を送ったところ、次のような返信がありました。(本人達の許可を受けて掲載しています)
  
「とても深く 意味のある大切な活動の重要性を感じずにはいられませんでした。当たり前の日常を 故郷を奪われた方々の心情は 同じ福島県民としても理解は容易ですが、ずっと福島から離れずにいた者にとってもこの歳月は言い表せない苦悩もあったし 今でも 言葉で言うなら復興の途中です。福島県民は同じ苦悩を胸に秘めています。」

 

 

つづきは こちら それぞれの福島、それでも同じ空の下で|夜明け(ふたば)

 

 今日は2回目の投稿です。前回、國分功一郎先生との動画記事を紹介しました。今回の一連の取材を通して、強く感じたことがあります。
 それは、「言葉にしてもらうことで、初めて気づく思いがある」ということでした。
 記者様の丁寧な聞き取りによる記事を読み返す中で、心情に肉薄しているからこそ「本当はこんなことも伝えて欲しい」「こんな状況もある」という思いが、次から次に浮かんできました。
 文章として形にしていただけたことで、もしかしたら、文字でしか表現しえない境地にいることに気づかされました。
 昨年あたりから、やはり、解体した自宅や変貌してしまった町を受け入れなければならない状況、この15年で繰り広げられてきた復興に心が追いついていけない状況がありました。言葉を発すると虚しさが残る状況に追い込まれてきました。
 

 つづきは こちら 言葉にならなかった思いを、いま記録する|夜明け(ふたば)

新しい会名になり、note ノート始めました。

新しい会名(改名)では、重い問題を静かに語ることも活動目的の一つにあります。

 

 

ノートの初投稿記事です。

 

「救われてきた言葉とともに――原発避難者として、いま語り始める」

 初めまして。
 私は福島第一原子力発電所事故の原発避難者です。原子力災害を身近に受け、これまで苦しみながら、さまざまことを考えるようになり、自分なりに学びながら生きて参りました。

 しかし、私たちが言葉を発することには、大きな壁があり、長い間、我慢し、沈黙してきました。
 それでも、原発事故が省みられない社会を残してしまうことに強い抵抗があり、新たな会名(改名)とともに、これから少しずつ思いを吐露していこうと思いました。
 はっきり言うと、私たちの活動は関心がもたれないどころか、むしろ忘却化されてきたことも重々承知の上です。国は原発を絶対に手放さず、推進姿勢を崩しません。さらに、私達が受けた被害は可視化できるものではありません。
 しかし、原発事故は、多くの人の人生を狂わせ、魂を傷つけ、不自由な生活を強い、たくさんの命を絶命させる、非常に罪深いものであると感じてきました。と同時に、言葉で表現できない恐ろしさも感じてきました。身近で起きていた小さな消せない事実と真実のために、自分を売りわたすことにしました。どうぞよろしくお願い致します。

 

続きは、こちらです。救われてきた言葉とともに――原発避難者として、いま語り始める|夜明け(ふたば)