霧島神宮に行ってきたよ。
出張で鹿児島に行ってきました。
帰り道、ちょこっと桜島が見えました。
以外と近くだったので、初めての霧島神宮に寄り道。
「古事記」や「日本書紀」に記されている
天上界から初めて地上に神が降り立った神の
ニニギノミコトさんが祀られているそうです。
坂本龍馬とお龍が、新婚旅行で訪れたのも霧島神宮。
バタバタの見学だったので、
次回は、ゆっくり来ようと思います。







炭素循環農法HPより
帰り道、ちょこっと桜島が見えました。
以外と近くだったので、初めての霧島神宮に寄り道。
「古事記」や「日本書紀」に記されている
天上界から初めて地上に神が降り立った神の
ニニギノミコトさんが祀られているそうです。
坂本龍馬とお龍が、新婚旅行で訪れたのも霧島神宮。
バタバタの見学だったので、
次回は、ゆっくり来ようと思います。







炭素循環農法HPより
神様の気持ちになって(立場の逆転)
最近、「代替医療」という言葉が盛んに使われています。
主に東洋医学や民間療法を指すようです。
ところで、今まで当たり前と思っていた「病気を治す」という現代医学の考え方、ちょっと変と思いませんか。
よく考えると、西洋科学を基盤に置く現代医学は「直し」たのであり、ただの一人も病人を「治し」てはいません。
医はあくまでも補助的なものであり、病人が自分自身が治すのです。
医者はその手助けをしたに過ぎません。
そして、代替医療を「認めよう」なんて、何とも傲慢な発想ですね。
現代医学は病人自身の「生きようとする力」が治癒の源泉だと、ようやく気付き始めただけのこと。
無視してきた医療を認めざるを得なくなっただけでしょう。
補完代替医療:[現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称]
「直す」の例を臓器移植でみれば、先ず他人から臓器を切り取って患者の身体に縫い付けます。
でも、機械じゃないんですから、それだけでは治ったとは言えません。
患者が自ら繋ぎ合わせなければなりません。
医者は単に臓器を取り替えたのであり、それを繋げて機能させるのは患者自身です。
「自然治癒力」と言いますが、全ての病気は患者自身の、生きようとする力「治癒力=生命力=自然の意思」で細胞を再生したりして治しているのであり、医者は薬を与えたり、切り取ったり貼り付けたりしているだけです。
でもまあ、輸血や臓器移植って究極の「共食い」ですね(^-^;。
ところが、同じ移植でも自前の細胞から組織や臓器を作り直す、「再生医療」「遺伝子治療」は自然治癒力を最大限に活用していると言えます。
一見同じように見える切り貼りでも、再生医療は、原始的、未分化な幹細胞を「分化=進化」させ、その上位にある各種組織細胞を再生するわけです。
これは自然の意思であり、自然治癒力そのものの応用と言えるでしょう。
幹細胞は炭素循環農法で言えば、微生物に相当します。
特に造血幹細胞は酸素や養分を運ぶ赤血球や免疫機能を持つ血球を二次的に作ります。
血球はトラックで荷物を運搬するように、単に荷物を載せているのではなく、血球自身が養分や免疫物質です。
これは、微生物自身が養分でありバランスであるのと同様です。
自然は相似した仕組みが幾重にも入れ子になり階層構造になっていて、基本は非常に単純です。
慣行農法や有機・堆肥農法等の「肥料・殺し農法」は現代医学と同様な思考に嵌っていて、本来(自然)の生かすシステムに反した、一時的な対症療法的農法です。
人が「主」で自然(作物)が「従」と考えています(典型的な西欧的思考=三次元思考)。
作物自身が自ら育つのであり、人はあくまでも手助けするだけです(東洋的思考=四次元思考)。
説明は省きますが次元の転換です。
何事も「逆(あちら)から見る」。
自分(人)の側ではなく、相手=自然(神)の側から見るということ。
早い話が「神様の気持ちになって」(笑)物事をみる。
神様をやってみるということなんです。
代替医療や無施肥・炭素循環農法が感心もたれ始めたということは、人々が神様を始めた?証拠でしょう(笑)。
遠く遠く
大分に戻ってきたばかりですが、出張しています。
今回、ホテルまでグーグルさんに案内してもらいました。
途中、霧の濃い山道で不安になったり、
電波が入らなくなったらどうなるのと思ったり、
地図では左折の表示なのに、ナビの声は右折して下さいと言っていましたが、
無事辿り着く事が出来ました。
唯一の標準装備のAMラジオも聞けませんでしたが、
アマゾンさんのミュージックライブラリで歌いながら、
4時間の道のりを居眠りせずに運転することが出来ました。
10年後は、ビールを飲みながら映画を見て
気がついたらついてるのかも?
旅のお供に図書館で借りた本を持ってきました。
キンドルさんを持ってくれば、もっと便利!
昔は、出張に行くとバカみたいに飲んでいましたが、
今のように、インターネットもなかったので
寂しさを紛らわすために飲んでいたのかな(言い訳^^)。

炭素循環農法HPより
今回、ホテルまでグーグルさんに案内してもらいました。
途中、霧の濃い山道で不安になったり、
電波が入らなくなったらどうなるのと思ったり、
地図では左折の表示なのに、ナビの声は右折して下さいと言っていましたが、
無事辿り着く事が出来ました。
唯一の標準装備のAMラジオも聞けませんでしたが、
アマゾンさんのミュージックライブラリで歌いながら、
4時間の道のりを居眠りせずに運転することが出来ました。
10年後は、ビールを飲みながら映画を見て
気がついたらついてるのかも?
旅のお供に図書館で借りた本を持ってきました。
キンドルさんを持ってくれば、もっと便利!
昔は、出張に行くとバカみたいに飲んでいましたが、
今のように、インターネットもなかったので
寂しさを紛らわすために飲んでいたのかな(言い訳^^)。

炭素循環農法HPより
ほとんど病気?(「らしい」ものは要注意)
関心持つのは結構ですが・・・、炭循農法に惹かれる半数程度?の方は病気?。
社会環境の悪化に耐えきれず、発症している過敏性体質(心質?)の持ち主です。
そもそも、体も心も頑丈な(鈍い)者は、こんなものに関心を持ちません。
どちらが正常なのかは、??ですが・・・。
現在の環境を過酷(異常)と感じている者が発症します。
過酷(異常)と感じている:
人は環境が過酷であるほど依存的になる。薬物のマイナスの効果を十分に知りながら、プラスの効果にあらがいきれずに薬物依存になるが、プラス効果の大きさは個々人の環境差による。より過酷な環境に置かれている者ほど大きく、依存症になりやすい。
心理学者(ブルース・アレグザンダー ; カナダ)の実験「ネズミの楽園」。動物は自傷や餓死のようなことがあっても、薬物そのものの魅力が強いために依存症になるのではない。育った環境が過酷であればあるほど薬物依存になるとの仮説から、ネズミにモルヒネ入りの水を飲ませた。理想的環境で育てられたネズミは、ほとんどモルヒネに興味を示さなかったのに対し、閉じ込められた過酷な環境のネズミは簡単に中毒になる。また、前者は中毒になっても簡単に、そこから抜け出せたが後者のネズミは依存から脱却できないことを立証した。
実際に、交流会に集まる方の中に、十人に一人ほど異様に眼が輝き始める方がいます。
間違いなく重症者。医者の診断とは無関係に心の病気、本当の精神疾患?(医者は症状が出ない限り診てくれない)。
これは「自然農法症候群」とは、また別。
何れにしても(ここに来る来ないに関わらず)過敏(心質?)であり、ある意味で危険な状態と言えます。
しかし、眼が輝いているくらいでは、誰も異常さを指摘してくれません。
自分が病気だと自覚できるようになれば、ほぼ大丈夫なのですが・・・、既に手遅れの場合も。非常に残念ですが気付いたショックの余り?、結果的に思い詰め自ら命を絶つなどということも現実に起きています。
ある意味で危険:
39%。これは強姦、強盗など凶悪犯罪者の再犯率(日本)。犯罪も「依存症」も、心の作用から見れば同質。単に表出する症状の違い。何かに依存し、心のバランスを保とうとする多くの信仰行為や、自然に対し過度に依存・期待・崇拝する「自然教徒」なども、その現れの一つ。心の病も環境改善が行われない限り完治(更正)は困難。腐敗型環境では、何時でも害虫になり得る。
そこまでは予想外でもあり、医者でもない素人に治療もできません。
でも、ここを理解することにより改善される筈です。
土と心の治し方は同じ。心も土同様、いきなり良くはなりません。
ゆっくり焦らず、時間をかけて下さい。
一応、このホームページは病人用に純度を上げ、薬効を高めてあります。
だから、少々苦いのです(笑)。
薬は、時には毒。
使用に際しては使用説明書(サイト案内)を、よく読んで副作用に気を付けて下さい。
世の中、最近「らしい」ものが溢れています。
その類の「もの」の氾濫は、異様なほど。
それだけ危機感を抱いている人が増えた証なのでしょう。
しかし似てはいても、似非は似非。
毒にも薬にもならず効果もありません。
それでも、気休めくらいにはなりますから、楽しむ分には一向に構いません。
とは言え、遊んでいる内に手遅れでは・・・。
特に、著名なものほど×。
くれぐれも、ご用心のほどを。
もう、「らしさ」を弄んでいる場合ではないと思いますが・・・。
炭循農法など昔から良く知られ、行われている土壌改良法に過ぎません。
心の問題も、結果は誰でも知っています。
知られている事象を理論化しただけの話なんです。
尤も「リンゴが木から下に落ちる」ことは誰でも知っていますが・・・。
実利実効。能書き無し。
本物(本来のもの)は「当たり前のもの」少しも「らしく」はないのです。
「らしい」ものは、「おかしい」。
怪しいと思って間違いありません。
富士山を観たよ。
久しぶりに大分に戻ってきました。
東京、長野の家に比べて、
我が家はちょっと寒いです。
週末あたりから、本格的に寒さが厳しくなりそうです。
先日、長野から東京への帰りに、
中央高速の双葉サービスエリアで富士山を観ました。

炭素循環農法HPより
東京、長野の家に比べて、
我が家はちょっと寒いです。
週末あたりから、本格的に寒さが厳しくなりそうです。
先日、長野から東京への帰りに、
中央高速の双葉サービスエリアで富士山を観ました。

炭素循環農法HPより
偏食のすすめ
現在の栄養学では、蛋白質を多く摂った者の方が長生きできるからと、老人に肉をたくさん食べなさいと肉食を奨めています。
確かに統計上は、その様な結果が出ています。
しかし、本当なのでしょうか?。
殆んど肉食をしない者でも長生きしています。
これをどのように説明するのでしょう。
これはデータの読み間違いと思います。
因果関係が逆で、全てとは言いませんが肉食したから長生きしたのではなく、身体が丈夫だから肉食ができるのであり、肉食で多少寿命を縮めても、まだ身体が弱い者よりは長生できたということだと思います。
肉食できるのは結果というわけです。
体力的に劣る弱い者は、肉食をしないから辛うじて生き長らえることができていると考えられます。
体の弱い(弱っている)者にとって肉食は、非常に負担になります。
風邪などで体力が落ちている時に、肉を食べたいでしょうか。
そんな時は、お粥に梅干と相場が決まっています。
無理して食べれば身体が拒否し吐いてしまいます。
弱い者には身体に負担をかけない、低蛋白(窒素)の穀菜食が適しています。
動物は本能に忠実に従い、怪我や病気などの時は、絶食し体力が回復してくるまで何も食べようとしません。
<中略>
勿論、普段は蛋白質(窒素)は必要です。
しかし日本人の場合、最も身体に負担をかけないのは、植物性蛋白質を必要最小限度だけ摂り、動物蛋白なら魚や、せいぜい小動物程度と言われます。
肉食は、体力的に余力があり新陳代謝が盛んで、老廃物を体外に排泄しやすい、肉体労働者や若者、長すぎる寿命を持て余し、縮めたい者だけに奨めるべきです(笑)。
栄養学を元に、体力が劣っている老人や病人に、肉食を奨めることは殺人行為に等しいと言えます。
自然食の立場から見ると、現在の病院食は病人製造食、癌患者に対しては再発食だと言います。
うがった見方をすれば病人を増やし病院が儲かる食事です。
学校給食も同様で、画一的なメニューを改め、各人に合った偏食をさせるべきでしょう。
人は生まれ付き、頑強度が違います。
ブルトーザーのように頑丈な者もいれば、乗用車のように華奢な者もいます。
肉を食べてはいけない者もいます。
肉食はアレルギー食品のように急性症状を示さなくても、命や精神に関わる問題なのです。
各人各様、時に応じ、身体が要求する身体にやさしい物を、その地域に育つ物の中から選んで、偏食をすることが最も合理的で、健康を保つ食の在り方と思います。
偏りの無いバランスの取れた食事が良いと言いますが、特に生命関連では「〇〇と言われていたが最新の研究では××と言われ・・・」というのが常です。
基準が常に変わっていてはバランスなど取りようがありません。
そもそも、バランスの基準が自然食(健康に生きられる食物)なのです。
人に肉食が向いていないことを別の面からみると、人からできるだけ遠縁の物が良いということが言えます。
その証拠に、キノコ(菌類)や植物、発酵食品(間接的菌食)などには、健康食品、機能性食品と言われる物が多く、動物では魚くらいまでで、哺乳類等の高等生物にはそのようなものはありません。
機能性食品: 一般的には次のような機能を持つ食品。栄養素がある(第一次機能)。五感に好ましい(第二次機能)。健康、身体能力、精神状態に好ましい整理作用(第三次機能)。
法的には「特定保健用食品」。加工食品を対象に、食生活において特定の保健の目的で摂取をするものに対し、その摂取により当該保健の目的が期待できる旨の表示をする食品(栄養改善法施行規則第8条第5号)を厚生労働大臣が許可。
逆の好ましくない機能が強いと考えられるのが近縁食。
その最たるものが共食いです。
進化が進んだ高等動物ほど問題が起きるようで、進化面から考えれば誠に合理的な仕組みです。
折角、収斂した“いのち”が共食いで自滅したのでは進化が止まってしまいます。
異常プリオンによる海綿状脳症、狂牛病(BSE)は共食い(反芻獣)の結果、現れたと言ってよいようです。
海綿状脳症: 人のクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)、クールー病(Kuru)、羊のスクレイピー、慢性ウェイスティング病(シカ)、伝染性ミンク脳症等が知られている。
他の海綿状脳症も共食い(直接あるいは間接的に)という共通点があります。
異常プリオン(虫の代役)は、“いのち”の収斂に在っては不都合なものを、処分するために現れていると考えられます。
ただ単に太らせたり、効率を考える家畜などの場合には栄養学が非常に役に立ちます(できた肉や卵に問題が残りますが)。
中でも家禽栄養学は最も進んでいると言われ、蛋白質ではなくアミノ酸レベルで飼料配合設計をします。
私も養鶏で、随分と栄養学の恩恵を受けてきました。
決して栄養学を否定するわけではありません。
ただ、どんなに進歩しても食物の一面である、栄養面しか扱わないのが栄養学だということです。
栄養面に直接現れない、質を知ることはできません。
例えば、餌や水を変えれば吸血性の外部寄生虫までも消すことができますが、栄養学ではそのようなことを考えもしないでしょう(非吸血性では効果が現れないところを見ると血液が変わると考えられる)。
あくまでも限られた範囲内で通用する知識であり、分をわきまえた謙虚さを忘れないことが大切です。
科学教徒・栄養学派にならないために^-^。
明けましておめでとうございます!
明けましておめでとうございます。
こちらは、朝起きるとうっすら雪化粧になっていました。
初詣は、両親と近くの成田山薬師寺へ。
参道には、ピンコロ地蔵尊。
ピンコロとは、健康のまま天寿を全うする意味の“健康で長生きし(ぴんぴん)寝込まず楽に大往生する(ころ)”から命名されているそうです。
ピンコロのため、普段は食べ過ぎ飲み過ぎに注意していますが、
正月はちょっと食べ過ぎでお腹が苦しいです。
今年もよろしくお願いいたします。



こちらは、朝起きるとうっすら雪化粧になっていました。
初詣は、両親と近くの成田山薬師寺へ。
参道には、ピンコロ地蔵尊。
ピンコロとは、健康のまま天寿を全うする意味の“健康で長生きし(ぴんぴん)寝込まず楽に大往生する(ころ)”から命名されているそうです。
ピンコロのため、普段は食べ過ぎ飲み過ぎに注意していますが、
正月はちょっと食べ過ぎでお腹が苦しいです。
今年もよろしくお願いいたします。



焼き芋なう
隣のおじさんが、サツマイモあるかえ?
とやってきた。
木を燃やしているので、
焼き芋をしたくなったらしい( ´艸`)
濡れた新聞紙に包んでから、
その上をアルミホイルで包みました。
美味しい焼き芋ができるかな?

炭素循環農法HPより
とやってきた。
木を燃やしているので、
焼き芋をしたくなったらしい( ´艸`)
濡れた新聞紙に包んでから、
その上をアルミホイルで包みました。
美味しい焼き芋ができるかな?

炭素循環農法HPより
6. 虫食い?(過去のものか、現在進行形か)
土壌の清浄度、肥沃度が十分上がれば虫は全く食べなくなるため考慮外。
しかし、転換中の変化を正確に知っておいた方が良いでしょう。
また、炭素循環農法の野菜にはアクのないのが特徴ですが転換中でアクがあるうちは虫が食べます。
アクがあるから鳥や虫が食べないという従来の説明は、限定された範囲でのみ通用します。
限定された範囲でのみ:
自然状態や通常(炭素循環農法以外)の農耕地で清浄度・肥沃度が極限まで上がることはない。そのため、その原理も理論も、またどの様になるのかも誰も知らない。
穴だらけの葉野菜や、虫が中に入っている果菜類、イモ類は質が悪く虫の餌。
しかし、そこそこのレベルに達しても定植や管理の不手際、気候の急変等で弱ると虫に食べられます。
でも一時的で、その後食べなくなれば虫食い痕(試食痕)はあっても辛うじて、人の食物と言えます。
虫は人ほど馬鹿ではありません。
食べられるか食べられないか良く知っています。
分からなければ虫は試食をします。
かじってみてダメと分かれば、それ以上決して食べません。
試食痕は、それなりに良質な人の食物である証ですが困ったことに、キズ物になって商品価値が落ちてしまいます。
それなりに:
慣行物は評価外。無施肥で40~60点未満、まだ合格点(60)に達していない。
同じ虫食いでも、過去のものか、現在進行形かで質が全く違い、この違いの意味を生産者や消費者に正確に知らせることが重要です。
更に本物(本来の人の食物)は全く虫に食われず、全ての点に於いて慣行農法や一般的な有機栽培物を超えることを。
今年の門松は、ちょっと大きめだよ。
今日は、地区の門松作り。
みなさん、それぞれ拘りがあり
ああでもない、こうでもないと言いながら、
作業していました。
今年は、ちょっと大きめになりました。
毎年、形が変わって面白いです。
2010年の門松
2011年の門松
2014年の門松
来年はどんな門松になるか楽しみです(*゚ー゚*)


炭素循環農法HPより
みなさん、それぞれ拘りがあり
ああでもない、こうでもないと言いながら、
作業していました。
今年は、ちょっと大きめになりました。
毎年、形が変わって面白いです。
2010年の門松
2011年の門松
2014年の門松
来年はどんな門松になるか楽しみです(*゚ー゚*)


炭素循環農法HPより
精神論は逆走の元(拘り障害)
自然の有り様(ありよう)を基準にするのが自然農法です。
しかし、その自然自体が物理空間という鏡に、映し出された虚像。
実像=“実体”は見えない世界(意識世界)に存在します。
啓示の発信元でもあり、岡田茂吉や島本覚也が理念・原理や技術を授かることができたのも、“もと”が「在る」からに他なりません。
この関係が混乱を招いています。
“実体”: 全て(物質、非物質に限らず)を構成している“もの”。その“もの(光の珠)”を誰でも“みる”ことができる。見え方は次第に変化し最終的に、王冠のチャクラ(サハスラーラ)と呼ばれる“光の輪”となる。
実際面で、このようなことは知らなくても特に支障ありません。
ただ「認識できないことは存在しない」と否定したら「おわり」。
囚われるのは否定するより更に困りもの。1.人(表面意識) → 事象・・・[慣行農法]。
人の考えを基準に事象を捉え、人の都合に合わせて対抗策をとる。
2.人(表面意識) ← 事象・・・[自然農法]。
事象をあるがままに受け入れ、起因や因果関係を基に「生き物を生かしている仕組み」を円滑化するための対応策を講ずる。
3.人(表面意識) ← 事象 ← 意識世界(実在世界)・・・[精神農法?]。
代表的なものがシュタイナーのバイオダイナミック農法。
意識世界=言葉のない世界(未来、潜在意識もこの世界に属す)との関わりは、表現が多様・複雑・難解化する。
事象 ← 意識世界(実在世界): 同じ種を同じように蒔いても常に発芽率が良い者がいる「種が蒔き手を選ぶ?」「種に好かれている?」などという現象が昔から知られている。無条件で動物が「言うことを聞く、好かれる」なども同じ。
言葉: 物質に限らず科学、文学・芸術や言語、文化なども、言葉(虚像)の世界に属している。言葉を超えたところ(実像の世界)の“ことば”の応用がバイオダイナミック農法の調合材。
「自然という二文字を頭に冠したものは実体の存在に気付いたとき、本当の理解が始まった」と言ってよいとは思います。
しかし、誰でも見える世界と、“みえる”(分かる)者だけに、“みえる”世界を、ごちゃ混ぜに語るのは危険。
農法としては 2. で十分。3. は分かる者だけのものと言ってよいでしょう。自然の仕組みに沿う → 省力・省エネ・省資源 → 環境負荷軽減(浄化・保全) → 生産性向上 → 生活の向上(質、量とも) → 精神的向上・満足 → 自然に感謝。
これが自然の摂理に従うということ。
従った結果現れる一連の現象。しかし、自然に感謝しろ → 我慢し精神的向上をはかれ → スローライフ・スローフードに徹しろ → 低生産に甘んじなければならない → 自然を大切にしろ → 資源の無駄遣いをやめろ → 自然の仕組みを壊すな。
というのが一般的。でも、これ逆走なんです。
いたるところで見られる因果取り違え現象。
結果(事象)を「自然と調和し生きる方法」なのだと思い違している典型例です。
精神論による混乱は、無意識の内に“実体”の存在に、気付いたゆえの歓迎すべき現象?。
でも意識世界の知識を、無理矢理こちらの世界の言葉に変換したものを、“みえない”者が安易に使うのは考えものです。
天動説に嵌ります。
この世は、あくまでも物質世界。
農業は「生きている」「物」を扱う仕事。
精神面の偏重は意識の硬直化(精神世界病?)を招き、実際の栽培・技術面にも障害となって表れます。
「拘り障害=自然農法症候群」とでも呼べば良いのでしょうか(笑)。
施肥障害並みの重大な障害で、施肥農法と同様な結果をもたらします。






