本郷和人「鎌倉13人衆の真実」(2022) | 北条得宗家の鎌倉めぐり

北条得宗家の鎌倉めぐり

養老孟司教授の著書に書かれている医療や歴史の他に鎌倉散策の様子などを中心に紹介

 

2022年と言えば、やっぱりNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人 - THE 13 LORDS OF THE SHOGUN』だろう。これが私にとって2020年代の最終的な転機となった。その前は2020年からコロナ禍だったので、遠くまで行くことなく、ワクチン接種も4回やると、取り敢えず安心してフラフラ歩いて行ける。養老孟司教授の著書から見たのは、日本の中でも家制度で鎌倉の歴史であった。

 

 

鎌倉幕府が成立した時、最初の将軍は源頼朝だった。誰もが知っていると思うから、知っていると思い込んで終わってしまう。これには大きな理由があった。その前に大河ドラマで見事に描かれていたのは、源氏と北条氏が互いに利用し合うことだった。世直しを図り、天下を取るためなら、伊豆から出てきた田舎者の北条氏はどこの馬の骨かも分からないので、源氏を利用したのだな。

 

 

鎌倉幕府二代目将軍に源頼家が就くと、状況が一変する。つまり、源頼朝による独裁体制だったので、御家人たちの不満が募っていた。やっぱり自分勝手なところは京都育ちのお坊ちゃまだったのかな~と、現代人なら誰も自己中な振る舞いを咎められることはないが、だから中高年なんて自分を棚に上げて若い人の悪口を言う。自分はどうなんだろう。それと同じで、不満が募ってくれば殺害される。この身体所作の時代は謀反の罪で討ち取られる。今現在は暴力が禁止されているが、だから頭でっかちになった。

 

【北条派】

 

北条義時

北条時政

和田義盛

安達盛長

三浦良澄

 

【反北条派】

 

梶原景時

比企能員

八田知家

足立遠元

 

【中道派】

 

大江広元

中原親能

三善康信

二階堂行政

 

 

2022年みたいに自分のことしか考えていない将軍様なら、源頼家は若いし、13人で決めれば公平になるのでは?と考えた。それに過ぎないが、合議制として初めて日本型民主主義が出来上がった。つまり「みんながこう言ってるから正解!」みたいなことはあり得ないのだが、未だ日本におかしな人間関係問題が蔓延っている。以前も述べたけど、西洋型民主主義というのは、私はこう考えるけど、あなたはどうなんだい?というのが、よくある。つまり日本みたいに自己主張をひたすらぶちまけるのではなく、世間が民主主義を強要するのである。この世間とはキリスト教の神の世界。日本は違っていて、多数決イコール勝ちみたいなもの。

 

 

その中でも特に梶原景時は怖かったと思う。なぜなら、マトモに文字の読み書きが出来るのは梶原景時と大江広元だったから。つまり、そういう人が反北条派に付いてしまうと、一種の反逆グループが出来上がってしまう。北条の世を作るために、討伐した。

 

 

北条義時により、ムラ社会やイエ制度といったものを守るために梶原景時の後、比企能員も謀反で討ち取った。それぞれ一族ごと葬り去るのである。これが武士たるゆえん。ここから一気に爆発。史実では畠山重忠の謀反ゆえ討ち取ったのち、そそのかした北条時政を追放。あの人って酷いことするよね~ってこと。また北条時政と牧の方が娘婿で養子でもあった平賀朝雅を将軍に立てようとしたことも一因とされる。ドラマでは和田合戦が最後に溜めて一気に放出される。中道派いわゆる官僚を味方に付けたのだ。

 

 

そこまで行く最中に源頼家が修善寺に送られ、幽閉されて殺害。これもまた比企氏との癒着があったと言われている。比企能員と共に、床に伏せていた源頼家がボソボソと相談をしていて、北条氏が憎いから滅亡させようということをたまたま聞いた北条政子が北条義時率いる一家にチクったと言われている。でも、これ無理があるし、とはいえ源頼朝も北条義時に殺されていたとするなら、憎いことこの上ないだろう。一方で、そこまでしないと北条氏は天下を取れなかった。まさにファミリーという名の仁義だ。

 

 

こうして北条得宗家を我が物とし、執権政治の土台を作った。北条が名実ともに頂点に立ったのである。つまり政治問題というよりはヤクザの抗争に似ている。だから最初は反社会的勢力の祖先だという間抜けな歴史学者もいたが、これは否定されている。つまりイエ制度とは、そういうものなのである。これは京都を中心とした西日本にはない。だから大河ドラマでも承久の乱にて後鳥羽上皇の負けっぷりに注目が集まる。東日本が中心か、西日本が中心か、日本史上最初の大きな内戦であり、武士の世を確立した一戦でもある。つい最近の東日本は葛飾区や足立区あたりの下町にあったテヤンデーコノヤローという風情がなくなりつつあるものの、あれが本当の東日本の人たちの本性。つまり乱暴者は東日本から出た。そして北条義時は天皇家に対して賊軍というレッテルを貼ってやった。いわゆるクソ野郎ってことで、天皇をクソ野郎と呼んだのは、日本史上でも北条義時とマッカーサーだけだ。

 

 

ちなみに北条派でも対立は起こった。源実朝を担ぎ上げた北条氏が気に食わなかったのは和田義盛。つまり和田合戦。根っからの武闘派タイプである和田義盛は源氏と違う将軍を立てようとした。再び鎌倉が真っ二つに割れる。北条氏か、将軍家か、の争いである。ご存知の通り、鶴岡八幡宮で公卿により源実朝が殺害されることになるのだが、これ実は北条義時がそそのかしたのでは?

 

 

江ノ電の最初の駅が和田塚だったりする。塚とは墓のこと。大量に死体が実際に出てきたことから、和田一族のモノだと後で判明した。駅名が墓だもんね。和田塚って、和田一族の墓だもん。だから私は鎌倉を死体の街とか呼んだりしている。歴史の街とは思っていない。なぜかと言うと、歴史とは動いているから、過去のモノなんだけど常に発見がある。実際にモロ文系の小林秀雄でさえも無常論を説いて見せた。死んでこそ人というのは成立する。生きている人は常に変化している。だから止まっていないのだ。

 

 

何で鶴岡八幡宮の裏手は森で溢れていると思うか、知らない人は少なくないと思う。戦後にマンションを鶴岡八幡宮の裏手に造る計画があったんだよ。景観が台無しになってしまうと、かつて鎌倉に住んでいた小林秀雄と川端康成が中心になって住民を決起させて立ち上がったんだ。身を挺して工事車両を止めたこともあった。先人達には感謝しなければならない。もちろん何もしないで口だけの人には感謝しなくていいけどね。景観を残してくれたから、歴史も見えてくるんだよ。ホラもう、それで動いてるんだ。

 

【ニューソース】

宝島社・鎌倉13人衆の真実 公式サイト

臨済宗円覚寺派大本山・円覚寺 公式サイト

臨済宗建長寺派大本山・建長寺 公式サイト

日蓮宗霊蹟本山・比企谷妙本寺 公式サイト

真言宗泉涌寺派・覚園寺 公式サイト

真言宗泉涌寺派・明王院 公式サイト

真言宗大覚寺派・満福寺 公式サイト

佐助稲荷神社 公式サイト

鶴岡八幡宮 公式サイト

江ノ島電鉄・株式会社 公式サイト