辻発彦「プロ野球 - 勝ち続ける意識改革」(2012) | 養老孟司と鎌倉(医療から歴史ネタまで)

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2018年、辻発彦監督率いる埼玉西武ライオンズ優勝祝いの第2刷。野球の本はあまり読んだことがない。そもそもコロナ禍において野村克也元監督の本が野球関係の新書で初めてなのに、知る由もない。あまり手を出していないわけだから、本屋によっては実際、新書コーナーにないんだよね。いつも私がウロウロしているのは新書コーナーだから違う場所にある本は意識しない限り見つかることはあまりないと思う。

 

 

佐賀県小城市牛津町出身。西武ライオンズの前身である西鉄ライオンズのファンで、よく平和台球場へ足を運んでいたという(!)。佐賀東高校から日本通運浦和へ。野村克也元監督いわく「4番・サード辻」だった。1983年のドラフト会議で2位指名を受け西武ライオンズに入団する。

 

 

1986年、西武黄金期を築いた智将・森祇晶に出会う。キャプテンに指名されるなど、野手陣では石毛宏典や秋山幸二や清原和博や田辺徳雄、投手陣では渡辺久信や工藤公康、捕手では伊東勤らと共に道を歩む。清原和博だけは良い意味でも悪い意味でも別格でしたけどねぇ。

 

 

最初は広岡達朗監督の猛ノックを受けていた。この時、セカンドに山崎裕之というのがいたらしいが、私が振り返って知っているのは、ファーストに片平晋作、セカンドに辻発彦、ショートに石毛宏典、サードに秋山幸二だった(調べたことがある)。埼玉県所沢市にある西武ライオンズ球場。そこは家族同伴で子供たちのための夢の場所であった。父親と息子は西武ライオンズ球場で観戦、母親と娘は西武遊園地へ、これ実は南海ホークス(大阪市)や近鉄バファローズ(藤井寺市)があった時は、同じような球場の造りになっていたという。バブル崩壊後に廃れた。

 

森祇晶の格言

 

当たり前を当たり前にやるのが難しい

 

森祇晶が常に述べていたこと。どっかで聞いたことあるな~と思って読んでいました。過去に、このことをしっかりこの耳で聞いたことがある。

 

 

以前に西きょうじ先生の著書『さよなら自己責任』(2018)を紹介したことがある。日本独自の同調圧力とも大いに関係があるのだが、何と言っても大学受験にはこう言われた記憶がある。人が最も困難なことは「当たり前のことを当たり前に出来ることがいちばん難しい」と。例えば「2番バッター=バント」みたいな思い込みがあるとする。出来ない選手がバントしても失敗したら話にならない。無理を承知で言わなくていい。

 

戦略面においては、細かい気配りと緻密なID野球によって選手のやる気を引き出すことに長けていた森祇晶。清原和博だけは特別扱いだったって、恐らくそういうことだろう。言っても聞かないタイプだしね。1989年の近鉄バファローズがなければリーグ9連覇という恐るべき戦績であった。森祇晶の指揮の下では9年間において実に8度のリーグ優勝と6度の日本一。まさにパリーグは西武ライオンズ中心に周っていたのだ。

 

 

1995年に戦力外通告を受け、野村克也率いるヤクルトスワローズに移籍。ちなみに西武ライオンズ黄金期の選手らは、工藤公康、渡辺智男、秋山幸二、石毛宏典が福岡ダイエーホークスへ、そして渡辺久信と辻発彦がヤクルトスワローズへ、という”人脈”を作っている。94年に森祇晶が突然の解任。西武ライオンズはそれだけ堤義明オーナー(当時)の独裁体制だった。金銭面やフロントとの対立。チームは現場が重要なのにね。そんなことをやっていたから、今現在、埼玉西武ライオンズになってからでも、あまり変わっていない。もう西武本社自体がダメ。

 

とにかく西武ライオンズ時代は、所沢市(埼玉県)と武蔵村山市(東京都)の間にある多摩湖周辺(1周10キロメートル)を走った。徹底的に走って基礎体力を蓄え、ノックを受けたら再び多摩湖をダッシュ。クールダウンと呼ばれる練習の鬼というか練習の虫というか、とにかく鍛えさせられる反面、野村克也監督は森祇晶のように選手個々の能力を引き出すのが上手かった。特に配球を考えながら打席に入るID野球の深さを知ったという。その考える野球は森祇晶に勝るとも劣らず、むしろヤクルトスワローズのような最下位のチームを鍛え直すのに適していた。

 

森祇晶の場合は、すでに完成されつつある選手の能力を限界以上までに引き出すのに長けていて、野村克也は下から這い上がる気力を引き出すというのが、実は森祇晶も野村克也も選手時代に、それぞれ読売ジャイアンツと南海ホークスというセリーグとパリーグの王者で実際にやっていた選手起用そのものであった。そのあたりは辻発彦本人も認めているところ。土橋勝征の手本になってくれ、というお達しだった。

 

 

コーチ時代はおもに中日ドラゴンズなどで過ごした。他のチームのコーチも経験しているが、何と言っても監督目線で書かれている本書は、イチにもニにも落合博満なのだ。根暗だからこそ嫌われる監督。しかし、この落合博満は高校時代、体罰反対で野球部に対する退部届を一度、突き付けたことがあるという。そんなことして上手くいってたら、みんな出来ている。だから中日ドラゴンズ時代でも、練習時間は設けない。

 

各自自由。練習したい選手はすれば良く、練習しない選手はしなければいい。その代わり自己責任。そういうタイプだった。これを「今風」と単純に断罪する人もいるかもしれないが、つい最近においても体罰はどこかで必ずある。高校野球甲子園大会だって行進する。身体所作・身体表現が中心となった世間中心の悪い意味での問題も、日本からは完全になくなっていない。むろんプロ野球選手だから、そこまでしなくていい。自主性とは身体と精神を鍛えることに繋がる。実は体罰で精神力は鍛えられない。これは養老孟司教授の「脳の問題」と同じであろう。

 

 

二軍監督やヘッドコーチなどを担ってきた。その指揮力を買われて恐らく埼玉西武ライオンズ監督に急浮上したのだろう。それ以前の田辺徳雄前監督でも万年Bクラスだったチームを立て直すべく実行する。当時の中日ドラゴンズは、広岡達朗の「管理野球」とは正反対だった。それで黄金期を築ける。実に名将の名に相応しい勝ちっぷりで、落合博満は野村克也、森祇晶、王貞治らに並ぶ監督だと私自身、自負している。

 

私みたいな野球素人でも、例えば会社で野球好きの人が話しかければ、聞き耳を立てる。その場で「ふーん」と思っても多くを語らない。実はよくしゃべる人ほど怪しい。アメーバブログでもトピックス狙いで人気を得ようと奮闘している人も実際、存在するが、ほとんどは私の目から見れば怪しい。ウソつき。人気を得るためには、相手の顔が見えないだけに話を一から作ったり多く盛らざるを得ない。明らかな作り話が多い。

 

そのウソはキツネの森祇晶やタヌキの野村克也とは違う。例えば私だって視力は良くないから、普段はコンタクト。スマホでやっていると、やはりだんだん視力が下がってくる。自動車の免許更新があぶねーな。そうすると警察官共を騙くらかせばいいか、というレベルには至らない。

 

 

最後に王貞治。もちろん福岡ダイエーホークス~福岡ソフトバンクホークスに辻発彦が監督でもコーチでも在籍した経歴はない。プロ野球12球団ではなく、2006年のオールJAPANである。初めてのWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が新設された年。その年に全指揮を執る王貞治がいて、その下でコーチの任務を果たした。王貞治は傍観して全体を見るタイプ。真面目なので4時間しか寝られず、常に目が充血しているが、そこまでストレスがたまるほどの任務でも喜んで引き受けた。私も同じタイプであるためか、これまた同じ胃がんになり、またまた同じ慶應義塾大学病院にて、ほぼまったく同じような胃のバイパス手術をして、私も何とかしぶとく生き延びている。私の性格を自己分析した場合に、森祇晶と王貞治を足して2で割ったようなモノだと自負している。だいたい、みんなそこまでストレス溜めたことなんてほぼないでしょう?

 

 

※注:面影アリ

 

いくら冷静沈着であっても、納得いかないことはあるし、時に行動に出ることもある(森祇晶は横浜ベイスターズ監督時代に遅延戦術で退場になったことがある)。あまりラクするのも良くないけどね。たまには他人に1度のギブ(give)も必要だと言われる。実は最も幸福になる秘訣って「他人の役に立つこと」であり、自分を大きく見せることでも、自己顕示欲や承認欲求を発揮することでもない。カルト教団には麻原彰晃や池田大作や大川隆法などという自己顕示欲と承認欲求の塊で生きている人たちがいる。それとブログで自分を発揮することは変わらない。

 

何の話だ?って思った人。もう一度、言うが辻発彦は王貞治タイプである。胃潰瘍は今現在はほとんど聞かないけれども、胃がんになるぐらいストレス溜めても、早期発見なら命を取られない。そのぐらいひたむきに何かをやったらどうだ?ってこと。それは自分のためではなく、世間のためにね。選手のことを考え、常に気配りしながら、時に鬼になり、傍観して選手らが集った全体を見てみる。つまり木々のそれぞれ(個人)を見ても、森全体(集団)を見ても、どちらが正しとか間違っているとかではなく、それぞれに良い方法を常に考え続けていく必要がある。

 

 

コロナ禍においても、2018年と2019年に続いての連覇かと思いきや、敢え無く撃沈。戦力が均衡してきている近年において、連覇というのが難しくなってきている。近年の選手もよく考えていて、何も考えていない中高年は「若い人は」と一言で切り捨てる怠けぶりだが、むしろ私よりも年下で、もっというと1995年以降生まれの選手たちはよく考えて選んでいる。行きたい球団と言ってもたいていは福岡ソフトバンクホークスか北海道日本ハムファイターズで、読売ジャイアンツもなければ、埼玉西武ライオンズでもないしね。その方がたぶん理想だと思うし、どうせ巨人だけに集まっても、試合に出られないなら面白くないし、話にならない。何のためにプロ野球選手を目指してきたんだって思いません?

 

好きなことなら命を懸けられる。実はブログというのは、命を懸けるものではないということ自体、好きではないということ。他人には興味がない。でも自分には興味がある。「いいね」押してくれ、コメントしてくれ、一つ言っておくが、人間が一番嫌いなのってあーせーのこーせーの上から目線で偉そうに命令されることなんだよ。そういうこと言える暇があるなら、お前が先にやれよと言いたくなる。出来ないのは、それは紛れもない自己中心的な人物である証拠なんだよ。だって他人を動かして気分が良くなっているんだから、大人がやることでないと思いませんか。

 

 

でもまだ分かっていない人があまりに多すぎるんですよね。日本人はブログの運営能力が世界に比べてかなり低いと言われる。以前も述べたけど、欧米の個人主義って、自分を発揮することではない。だいたい監督が自分を発揮してどうするんだ。チームでしょう。木々があって、その木々の先頭に監督がいて、すべてが機能して瑞々しい森が出来上がる。たまたま森祇晶の苗字は「森」だしね(名前は本当は”昌彦”)。監督が自分を発揮しなくても、選手たちが頑張ればチームはきちんと機能する。そういうことを辻発彦は教えてくれている。インターネットの記述はないけど結局は同じことです。変化がなければ機能しない。インターネットは変化しませんから、現代人が安心して使っているんです。情報が変化すると思い込んでいる現代人は、間違っている。逆なんだよ。昔の人は「万物流転・情報不変・諸行無常」と言った。時に「忍」が必要。

 

【ニューソース】

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