ダンマパダとはバーリ語の経典で、ブッダが在世時に話していたとされる短い金言を集めたメッセージ性の強い経典である。アフォリズムともいうし、中国仏教からの由来で法句経ともいう。日本語訳が、真理の言葉である。どんなものなのか、実際に読んでみると、難しく感じるのだ。
第20章- 道
Sabbe baṅkhārā aniccā'ti yadā paññāya passati
Atha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiyā.
Sabbe baṅkhārā dukkhā'ti yadā paññāya passati
Atha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiyā.
Sabbe dhammā anattā'ti yadā paññāya passati
Atha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiyā.
諸行無常・一切皆苦・諸法非我
智慧をもって観るときに
ひとは苦から厭い離れる
これが清浄への道である
第25章 - 比丘
Siñca bhikkhu imaṃ nāvaṃ sittā te lahumessati
Chetvā rāgaṃ dosaṃ ca tato nibbāṇamehisi.
比丘よ
この舟から水を汲み出せ
汝が水を汲み出せば
軽やかに進むであろう
貪欲と瞋恚を断ったならば
汝は涅槃に達するだろう
無の世界
(色即是空)
仏教はとにかく、無の世界を教えている。空を見上げてごらんなさい。そこはただの空間に過ぎない。空はあるようで、実は、そこにはない。この考え方こそが、インドで(0)ゼロの発見につながった。生きる苦しみは四苦八苦となった。つまり生老病死である。ここからは逃れられない。
私的に書き方が、キリスト教の新約聖書に似ているな~と思った。でも、これは分かりやすく訳してあるからこそ、こういう書き方になるのだろう。しかし、書いてある内容は、まったく違う。キリスト教の場合は、死んだら、最後の審判があって、魂となって、天国に行くか、地獄に落ちるか、判断が下されるために、死体は燃やしてはいけないことになっている。これユダヤ教もイスラム教も同様である。神のみぞが知る世界だ。
仏教は、実際には、そうではない。つまり、無の世界だから、本来は無墓制。テーラワーダ仏教だと、薪をくべた上で遺体を燃やしてしまうらしい。そして、燃やした後は灰になる。その灰は、どうするか。そのまま放置なのだ。雨風に晒されるのみ。だって輪廻転生だもん。違うモノに生まれ変わるため、崇拝するべき実体はいらない。とにかく先祖を祀るんじゃないの?って人。それは儒教と間違えているでしょう。中国の文化だから。中国仏教は、儒教と織り交ぜて、独自の文化を築いた。つまり、インドのような黎明期の仏教とは違う。日本はどちらかというとインド。
本気で仏教の教えを守ろうとしたら、何も得られなくなるかもしれない。ただ、とにかく、抑制する教えなのは、確か。自己主張しなさんな。他人とうまくやる方法。それは喋り過ぎない。相手の話を聞く。家も適度な大きさに。大き過ぎたら、税金をたくさん持っていかれるだけ。自分は最初からない。世間を見よ。とても広い世間だから。自分の身体から見れば、ジブンというのは細胞に過ぎない。子供は自然。だから、思い通りに行かなくて当然。思い通りになるなら、それは人間ではなく、科学という怪しいモノ。実は、仏教とは、世間の当たり前を、説明しているだけ。
【ニューソース】