鎌倉フォトギャラリー 2022晩秋【"バカの壁"の20年間】 | 北条得宗家の鎌倉めぐり

北条得宗家の鎌倉めぐり

養老孟司教授の著書に書かれている医療や歴史の他に鎌倉散策の様子などを中心に紹介

 

最後はやっぱり『バカの壁』(2003)に行きつく。私はもともと東日本の生まれではないから、そこを20年間、常に真剣に考えてきた。京都と奈良と、そして鎌倉。歴史的な場所は少なくないけど、だからと言って一緒くたにするのはおかしい。稀に鎌倉を小京都と表現する人がいるけど、それは間違っていないが正解でもない。なぜなら京都にやぐらは見かけない。死を抱く街、鎌倉。

 

【浄光明寺】

 

 

この年の鎌倉散策も終盤に差し掛かる。扇ガ谷地区にある鎌倉幕府六代目執権・北条長時が開基した真言宗泉涌寺派の寺院。実はブラタモリで見たことがある。やぐらまで行く場所が非常に狭く、小さい穴からモゾモゾと進む。こういう穴の場所は鎌倉幕府全盛期からので、切通しもそうだが、人数制限しないと幕府反対派まで易々と侵入を許すことになる。北条氏の菩提所のち室町幕府になると鎌倉公方の菩提寺となる。足利尊氏と足利直義という兄弟が興隆に力を注いだ。裏山のやぐらに網引き地蔵。その真上に玉垣で囲まれた冷泉為相の墓がある。冷泉為相は京都の天才歌人、藤原定家の孫。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)でも紀行の中で紹介されており、ここだけは行こうと思っていた。以前は奥まで行けなかったが、木曜日と土日に行けば見れるのだ。

 

【海蔵寺】

 

 

養老孟司教授の飼い猫まるが生前、来ていた場所。紅葉が美しいと言われる場所である所以は相変わらずで、いつ来ても素晴らしい。養老邸はこの寺院の裏手にある。梶原景時ゆかりの建長寺や鎌倉幕府全盛期より死体の捨て場となっていた円応寺とは反対側にあるから、ルート重視で周らなければならない。こういうところにも鎌倉らしさが現れていて、人間の脳だけはほとんど変わらない。切通しの外は死体の捨て場だった。平安から鎌倉にかけても死は絶対にあってはならないものだったから、身内でもサッサと外に出されるし、屋敷にしばらく入れてくれない。だから現代は、喪に服すようになったのだろう。解剖学の原点なのかもね。

 

【源氏山公園】

 

 

御年85歳のジイサンに負けていられんと、化粧坂(けわいざか)から登って来る。コロナ後すぐに来たかった場所だけど、いずれ来る場所だし、また一度は来てみたい場所。バナナムシはいるかと目を凝らすのだが、昆虫すら目に映ることはなくバナナムシもいなかった(2013年: 養老孟司『バカの壁のそのまた向こう』)。ここが恐らく『バカの壁』の原点だと思うけど、たとえ昆虫は嫌いだからと言っても、いるんだから仕方ない。たとえ昆虫の好き嫌いでも、カブトムシやクワガタやセミやカマキリやバッタは好きとか、ゴキブリやクモやムカデは嫌いとか、好きな人でもあることだしね。みんな何か勘違いしていないか。嫌だから避けるのとは違う。結果論として精神科医の片田珠美によるインスタ映えバカのリア充自慢は病気だという記事も以前に投稿されていた。同時に精神科医の香山リカも上島竜兵や渡辺裕之らの自殺を例に出して初老うつとインスタ自慢の関係性を説いていた。大人になるとは成熟するということ。これが戦後生まれの現代人に足りない。実は人の学びとは嫌いなものからで、思想家の内田樹と哲学者の鷲田清一も、若くいたいということはいつまでもお子様ということだ、と述べていた。人間はいちいち疲れる奴が多いんだけど昆虫はお世辞を言わないからね。動物の世界も同様なのであり、人間嫌いなら、もっと自然に寄ってみたらという提案なのだ。

 

【葛原岡神社】

 

 

もう一つに銭洗弁天宇賀福神社というのがあるものの、コチラの方が実際には有名。銭洗弁天は日本人の大好きな欧米人が普及させた。しかし本当の日本人であれば、日野俊基の墓に行ってみたいはず。こういう時にちょっと保守的になってみるという都合のいい私だが、後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府の倒幕に関わった一人。一度目は画策がバレても助かったのだが、二度目はなく、敢え無く御用の上に斬り捨て御免となった。しかも鎌倉だから斬首。日野家の親戚の子孫に日野富子が存在しており、室町幕府第八代将軍・足利義政の正室となっている。のちに鎌倉幕府倒幕のもう一人である大塔宮・護良親王の指揮のもとに新田義貞や楠木正成らによって、鎌倉は終焉となった。公家である日野俊基は文章博士として学問の神様にもなっているとか。来て良かったな。

 

【銭洗弁財天宇賀福神社】

 

 

全国にある銭洗弁天のひとつ。化粧坂のちょうど反対の源氏山公園を降りる坂の途中にある。駅側なら登りになる。化粧坂とはけわいざかと読むものの由来は文字の通りで、源頼朝の鎌倉入りの時に平家の残党の死体に化粧をして首実検をしたところから来ている。例えば「刀を入れる角度はどのぐらいか?」とか「どのぐらい刀を振れば首が吹き飛ぶか?」みたいなことをやっていたに違いない。そんな鎌倉らしさと比べると平和な場所。鎌倉幕府5代目執権の北条時頼がここでお金を洗ったところから始まっている。お金を洗うなんて!と思って入ってみると、本当にお金を洗っている。私はお金が濡れるだけだと思ってやらない。しかし、なぜか匂うなと思ったら線香を焚いている。神社に線香だと?日本人の大好きなガイジンが普及させただけに摩訶不思議だなあ。

 

【江ノ電】

 

 

歩いても行ける場所に向かうけど、足が痛いから乗る。幼稚園児ぐらいまでは昆虫と電車に魅力を感じる。男子は動くものが好きで、女子は生活に関わるものが好き。それは確かにそうで、東京の従妹がまだ小さかった時に、家の中で遊ぶとなると人形が増えてくる。24歳という短い生涯は私自身にとってとても辛かったけど、そもそも人間が電車を作るって、やっぱりカッチリした個体が好きなんだろう。車もパソコンもスマホも同じで、壊れたら造り直せばいい。だから生産になる。大臣の生む機械発言は古臭いのではなく、むしろ現代的な考え方で正しい。そういうものが現代では溢れている。だから勘違いしてしまう。本当は変化しているのは我々自身の方。つまり、歴史が動いているので間違いないのは、最後には死が待っている。生きるとは死に向かうことだ。

 

【和田塚】

 

 

この日にとって死に向かう最後だろうか。鎌倉なんて寺社仏閣の参拝か墓参りか、のような場所。駅が非常に小さいのを江ノ電で何度も目撃しているが、やっぱり小さい。ちょうど大河ドラマで和田合戦をやった後に来た。獅子鍋の友情が深い源実朝。色恋悩ましき三代目将軍でもある。みんな反対に考えているでしょう?実は鎌倉から戦国時代までは男同士でもオーケーで、のちに武田信玄の男子に向けたラブレターが発見されたのは有名。皆さんが思うほど体育会系でもない。御恩と奉公の関係は、御恩がなければ奉公する必要はない。つまり今現在の日本人の方が、むやみに威張り散らしている。そういうシチュエーションが大河の各所に見られて私的には「よーしーもーりー!」という源実朝の阿鼻叫喚が「しーしーなーべー!」に聞こえなくもない。私の母方の親戚がその少し前に農協に関わる人たちに、猪が街中に出たって言うんで分けてもらったそうな。私が「狩りでもしたのか」と聞いたら、そうだと返ってきた。そうか、狩りして来たのか。獅子鍋の友情は今も昔も、やっぱり深かった。タンパク質が豊富だね。

 

【鶴岡八幡宮】

 

 

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、などという五感を研ぎ澄ませるのに最後の場所。同じところに行くね。だからどうした?って思わないか。同じところでも自分が変化している。たとえ一日違いで同じルートでも違う自分がいる。周りが変化しているのではない。自分が変化しているんだ。養老孟司教授の著書によく出てきたなあ。でも自分が変わった感覚はない。同じだと脳の中で思い込んでいる。思い込んでおかないと、ここはドコ?私はダレ?となってしまう。そして、昨日友達からお金を借りた自分は本当の自分ではない、となってしまう。だって私も10円は確実に献金したはず。今回は統一教会がサタンを呼んでくるようなこともなく無事に終えられた。先ほどの同じだと思い込むイコールの話でも、お守りが千円なら五百円玉で間に合うな。そんなわけないでしょう。あと五百円玉がもう一枚もしくは千円札が一枚なければイコールにならない。これが分かるの人間だけ。脳化社会の弊害が色んな所に出ている。だから疲れる。ボーっとしているだけで良い場所だし、ウロウロしても、あまり怪しくないかも。取り敢えずまだ時間があったから、宝物殿も見ておく。こんな来てるのに宝物殿は初めて。二百円の割に史料の数が少ないから、チンケだな。源頼朝像は室町幕府版と江戸幕府版があって顔が違う。江戸時代の八幡宮の看板もあった。貴重なものはすべて撮影禁止だ。

 

【鎌倉紅谷】

 

 

クルミッ子で有名な紅谷へ。描かれているリスの絵が素晴らしい。ちなみに2022年が猛暑ということは3月頃から、すでに知られていた。よって「江ノ電は使うけどバスは使わない」という公約を自分に課して守った印象。何しろクリニックに通院しながら、大学病院で年2回の検査をしながら、余計なお金を使うわけにもいかないのだ。お金はいいとしても、私は乗り物酔い、特にバスに酔いやすく、何も考えていない人は自分の風邪だけをぶちまけたりするけど、インターネットに出れるならもうそれは風邪でも何でもなく、元気じゃねえかって普通は思うけどね。その程度で大騒ぎ?って養老孟司教授は常に思っている。本当にただの風邪なら寝れば治る。私なんて眩暈がしたらインターネットなんて出ない。小動物でも見ていれば鳴き声も自然と聞こえてくるのだ。

 

<授与品&鎌倉殿グッズ>

 

 

当サイトの紹介も兼ねて鎌倉紅谷に行ったんだけど、やっぱりクルミっ子は絶賛好評秒速売り切れ状態で、鳩サブレーを買う羽目に。それより少し前、買うものを決めた。思わず「おかいもの~♩おかいもの~♩」みたいな西武デパートばりの気分の人いないだろうか。授与所で受けたものは病気平癒お守り。クリニック診察を欠かせない私にとって非常に有難いもの。あれ?神なんて信じないとか言ってたくせに。でも人間は都合がいい。だから自分の元に太宰府天満宮と北野天満宮の学業お守りを未だ持っているんだけど、持っているだけで効果がないことは一目瞭然で、寺社仏閣による傲慢な儲け主義に踊らされ…じゃなくて、脳がそう言っている。間違っても「売店で商品を購入した」と言ってはいけない。大きな寺社仏閣に行くとたくさんあって迷うんだよね。これ!と指すと「1500円をお納めください」になるのが宗教的なところ。そして2000円だから「500円のお戻しになります」となる。そして「ありがとうございました」ではなく「お参りご苦労様です」となる。次に大河ドラマ館は行ったから、買い物だけでもさせて欲しい。いつも時間ギリギリに入るからショップは終了していた。向こうはどうせ儲け主義だから、いいんだよ。北条義時ボールペンと缶バッジ。選んだ理由は、ただ単に安かったから。インテリアとして置いておくのもアリ。使わないでおくんだ。

 

お守りを複数持ってていいか?については良いと答えておく。こういうためにコメント欄を使うべきなんだけど、話をぶちまける人も少なくないからね。相手の立場を考えても、その人そのものになれない。例えば健康男子であって毎日ムラムラしている人でも初潮と陣痛は分からないのと同じ。答えられるのは、あくまで誰でも理解できることのみ。キャパシティーの広い私が言うぐらいだから、相当に話題が外れている。カメラを向けて、堂々と前に来て、注意すると仕返しなのかブツブツ言うオッサンと同じだよ。自分の非常識をよく考えろって。それと同じく、以前に仕事関係でバッタリ会ってしまった僕イケメンで有名な狩野英孝に聞いて、お守りはいくつ持っていても構いませんよ!って言うんで、狩野英孝だと半信半疑だから、やっぱり太宰府天満宮の宮司である西高辻さんの言葉を思い出すと「日本は多神教だからどんな神様でいくらいても構わないんです」と答えていた。その西高辻さんは私の遠い祖先の親戚にあたる。関係あるか?と言えば梅鉢の家紋的にはあるものの、直接的な関係はない。何も知らないで過ごしてきたのは、決して恥ずかしいことではない。そう、日本はやっぱり世間的に生きていたということが窺えるエピソード。

 

P.S.補足

 

(”バカの壁”とは?)

 

 

自分のことだけ考えてはいけない。もし自分のことだけ考えていたいなら、それは相手に分かることではない。承認欲求を発揮する場となっている日本のインターネット界隈だけど、でもいい歳こいて自己中心的な人は少なくない。特に若い人というのはあった。それが『バカの壁』の論旨だった。論旨とはいえ、あれは専門書でも何でもなく、養老孟司教授がお喋りした言葉を新潮社担当の足立真穂さんがまとめたもの。しかも若い人とは、ただ単に自分から見てではないことが一目瞭然。誰から見て若い人なのか考える必要がある。本来の口癖は簡単に言えるものではないはず。こうして20年が過ぎたのだ。これは日本の世間の問題なのだ。

 

(NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』)

 

 

私が大河ドラマを見始めたのは実はたまたまで、2021年8月あたりに本郷和人教授が「次の大河ドラマの舞台は鎌倉らしいよ」と教えてくれたのが最初。私と同じく捻くれた母親に「養老孟司信者だから鎌倉なんだ」というキッツイ一言を浴びせられたとしてもキッカケは色々、人それぞれでコレという決定的なものはない。母方の祖父がかつて『篤姫』を見たのち昇天したのは記憶にあるから、たぶん私がジイサンになったんだと思う。こうして人は変化する。自分が変化していないと思っているのは脳で、思い込んでおかないと昨日までの記憶をすべて忘れてしまう。入院中に「ジイサン暇なんか?」って嫌味を言っても「おう!」と返事するだけ。あまり喋らなかった。それから14年後に自分が大河ドラマを見始めるなんて思いも寄らず。なんか、気になってしまったのだ。中世は未だ謎が多い。書かれていることも本当かどうか分からない。それと同じく聖書が嘘だというのもあり得る。昇天したとしても天国なんてあるわけがないから、極楽浄土さえ私は信じていない。死んだら終わり。それでお終いにするのは納得がいかないから、キリスト教では魂という概念を創りだし、仏教では極楽浄土に行けると教えるようになった。でも、それだとインドの数字であるゼロが証明できなくなってしまう。自分が40歳という大台に達し、ミドルと言われる年齢で、それでも世間では例えば30代から40代で若作りの痛い自撮りオバサンや、50代から60代で自己愛の承認欲求発揮オッサンが非常に多く、先述の壁とはこういうところにも表れていて、どうも感覚が違う。私は養老孟司教授みたく、もともと「どうせ死ぬんだ」という捻くれた性格だと自負していて、サトリ世代だからそこだけは一致している。恐らく、すんなり受け入れたのだろう。次の年も健康に気を付けて鎌倉散策を楽しみに出来るなら、また来たい。とはいえ、やっぱり2022年は大河ドラマと長谷寺の1300年記念で特別だった。

 

【公式ウェブサイト】

鎌倉の公園・源氏山公園 公式サイト

葛原岡神社 公式サイト

鶴岡八幡宮 公式サイト

江ノ島電鉄・株式会社 公式サイト