林家木久扇「イライラしたら豆を買いなさい -人生のトリセツ88のことば-」(2020) | 北条得宗家の鎌倉めぐり

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養老孟司教授の著書に書かれている医療や歴史の他に鎌倉散策の様子などを中心に紹介

 

人生はイライラすることばかり。だからこそ笑点で有名な林家木久扇師匠が指南してくれるという。コレはあくまで私的な持論であり、私的に自分の身にふりかかってくることであるが、実際に期日前投票に行ってみると、区役所など投票所の出口でNHKが出口調査をしているのだ。

 

NHK「すみません」

私「ハイ!」

NHK「出口調査をしております。どちらの政党に入れましたか?」

私「新進党です(自慢気に)!」

NHK「(苦笑気味に)えっ…いや、あの…」

私「ウソウソ。立憲民主党です」

NHK「立憲民主党にいちばん期待していることは何ですか?」

私「何と言っても政権交代を実現させることですね」

NHK「現在の与党・自民党に対して不満はありますか?」

私「たくさんありますよ。国債発行し過ぎ。勉強していない国民をバカにして政治を私物化している。税金使い過ぎ。消費税増税は良しとしても削るところは削って欲しいですね。あと憲法9条改正についても絶対に反対です」

NHK「ありがとうございました」

 

NHKに意地悪するの大好きだね(笑)。私は政治に対して怒っている。だけど目先のことしか考えられない人たくさんいるでしょう。若い人だけが全員、本当に政治に興味がないのみだったら投票率30%台になんかならないって。こういうの何で自分たちすべての人の責任だって考えられないのかな。選んでポンと投票箱に入れるだけ。5分も10分もかからない画期的なシステムなのにね。粗探しする暇あったら行動しろよ。

 

 

そうだそうだ。イライラしたら豆を買うんだった。キクちゃん(気安く呼ぶな!)がいろいろ教えてくれるってさ。菅義偉が首相になって「不妊治療の保険適用」を実現させる。不妊治療をしている人に対しては良い制度です。でもメリットはそこだけです。コレで自民党一党独裁体制を維持し続けているって、なんでこんな単純な子供だまし分からんのかな。これで国のお金が無くなったらどうしますか? そうすると後先のことなんて分かる人はあまりいないでしょう。どうしても必要な時は、我々国民全員の銀行預貯金が止められるんです。つまり政府に取り上げられる。

 

 

んもぉ~やーねー

 

林家木久扇師匠は東京市・日本橋に生まれる。1937年生まれだけに、7歳~8歳になる頃、太平洋戦争が終戦となる。家は雑貨問屋で、焼失した。このため父親は今現在でいう戦後うつになり、働けなくなった。父親と母親は離婚。父親が4人きょうだいのいちばん下の妹を連れて家を出る。外食といえば近くに人形町があり「○○亭」が多くあった。和食から洋食などあったが、現代ほど裕福ではない。その日暮らしなので、まだ幼かった林家木久扇師匠は小学校高学年頃から新聞配達などをして家計を助けなければならなかった…それでも不幸に感じていない。

 

高校はデザイン科のあるところに行きたかったが、アチーブメント・テスト(略してア・テスト)という到達度を測るテストで点数が足りないため、食品科のある工業高校にいかなければならなかった。それでも「今はそれが木久蔵ラーメンに活かされている」という。過去を見返すよりも、現在どうするか、これからどうすればいいか、を考えるべきなのである。現代人は他人任せで、自分で決めた方が良いにもかかわらず、自分の威厳を示したがる。それは間違っている。なぜなら、人それぞれ違って当然だから、その人それぞれの決め方があるから正解はないのだ。

 

 

今でこそ息子・二代目木久蔵のことを周りはうらやんでいるかもしれないが、最初は反対だった。反対というよりは、イヤだった。長女がいわゆるマネージャーのような立場で、妻がいて、息子もまた高座に上がるとなれば、滅茶苦茶になると思っていた。だけど息子のことは常に信用してきたという。野球を始めたことも、高校が強くないために球拾いと先輩のユニフォーム洗いが嫌になって自分からスッパリやめたことも、怒ることはなかった。しかし林家木久扇師匠が怒る時は、弱い者イジメをした時。それは息子をいじめっ子にさせたくないのと、反対に息子が祭りの時に太鼓のバチを無理やり上級生に取られた時は、本気で上級生(他人の子供)をとっちめた…こういうお節介が今現在はないのだ。

 

なんで世の中が悪くなった?と言っても、何でもかんでも優しすぎるの分かるでしょう。もちろん林家木久扇師匠が子供の時に国民皆保険制度なんてなかった。病気になれば重体になることも少なくない。だからこそ「命は尊い」というのを口で言うのではなく、肌で感じていた。誰も言い出したわけではない。今現在は「電車が参ります」と言えば白線だか黄色い線だかの後ろに下がるものだが、いちいち「黄色い線の内側までお下がりください」と言わないと下がらない人がいる。便利なりの裏返しというのが必ずあるのだ。同じ教育をしたとしても、すべての人が同じになるわけではないのは分かり切っているにもかかわらず、いまだ学校で同調行動を教えている。そんなもん、自分で考えなさいよだって。

 

 

最初の方というか、林家木久扇師匠が昭和44年に笑点メンバーに加わる時、立川談志、三遊亭小圓遊、5代目・三遊亭圓楽、桂歌丸、5代目・鈴々舎馬風、三遊亭金馬、といった面々が人気を博していた。特に三遊亭小園遊が桂歌丸に「なんだこのハゲ!」と言って桂歌丸が「なんだコノヤロー!」と本気ギリギリでケンカをさせるシーンは落語ファンの間で、のちに語り継がれているという。古すぎるから、私は知らんよ。

 

 

立川談志

 

 

4代目・三遊亭小圓遊

 

 

5代目・三遊亭圓楽

 

 

桂歌丸

 

 

5代目・鈴々舎馬風

 

 

5代目・三遊亭金馬

 

落語会は揺れ動く。林家木久扇師匠が高座に上がり、前座をやっていた時の古今亭志ん朝はすでに倒れた後であった。弟子が負ぶって運んでいる。こうしてのちの笑点メンバーも入れ代わり立ち代わり、入れ替わっていった。より若い弟子に託す。今なんて高齢者ばっかりだしな。

 

 

3代目・古今亭志ん朝

 

 

「6代目・古今亭志ん生」を継がぬまま63歳・肝臓がん逝ってしまった。こういうのって有名人は話題になる。その辺の人は話題にならない。それでいて「人の命は儚い」とか「人の命は尊い」とか言っている。現代人の方が変だよ。インターネットをやっていると、私の病気に対して何とも思わないとハッキリ言ってきた人がいるし、やっぱり現代人って生き方に対して不器用なんだね。バカ正直な奴があるかって。日本人だって笑っていられず、1億層ガキ社会というのは本当だし、さらにほとんどの人がドナルド・トランプに追随している。だいたい結婚しなければ、結婚後なんて分からない。嫁との給料を合わせれば無敵なのを私は分かっていたし、なんたって「一人で食えず、二人なら食える」なんだよね。

 

インターネットなんていちばん本性が出やすいよ。よくあるのが「自分を見てくれ」「フォローしてくれ」「コメントしてくれ」と言って、やってあげた暁には返信など存在しない。別に期待するわけじゃないけど「大人は三度に一度必ず親切を返すべし」なんだよ。返せないのは子供だから。

 

子供目線ではなく、3歳~5歳ぐらいから成長していないんだよね。これ私の独断的ではないですよ。林家木久扇師匠が子供の時そうだった。

 

 

林家きく姫を総領弟子にする時、最初は反対の立場だったという。林家木久扇師匠の家に訪問した最初の時にピンポーン♪と呼び鈴を押して、試しに「いませーん!留守ですよ~!」と本人の声がする。この時のきく姫は「えっ…あの、その」で一旦、退散。翌日、再び来ますよね。これを何度か繰り返して試すうちに「この女は肝っ玉が据わってるな!」と判断して採用したのだという。まあ…このぐらいの世代までじゃないですかね。とはいえ全員ではないと思いますよ。一週間も同じことを繰り返されては、やんなって帰る人がほとんどです。林家きく姫は絶対に帰らなかった。一時、躁うつ病を患っていた時期もあったというけれども、だからこそ林家木久扇師匠に随分、助けられた…思い出は深いね。

 

1970年生まれというと、私の両親との間に入る世代ですな。いわゆる「団塊ジュニア世代」と言われる世代で、最も躁うつ病になりやすい世代。私の勝手な推測ではありません。認知科学の中野信子先生がそう言っているんです。バブル景気とバブル崩壊によって新たな時代に入るのと、それ以前の身体所作や身体表現を身に付けた世代との狭間に、いるからです。もちろん「団塊ジュニアなんて若い世代は…」だった。

 

 

現在の日本橋周辺

 

だいたい人間なんて細胞が生まれ変わっているんだから、変化しているんですよ。街が変わった、というけれども、実際には人間の都合で変えている。変わるのは人間なので、だから落語家でも名前は変わっていく。これが当然なんです。林家木久扇師匠はまさにその世界にどっぷり浸かっているから、よく分かっている。今現在、天変地異が起きたらどうしますか? 絶対ないとは限りませんよ。情報一つで人間は変わる。

 

実は林家木久扇師匠がレコード会社のプロモーションのような巡業で、いわゆる風俗店のような場所を周ることがあったという。とはいえ本番をしているわけではなく、おっぱい触る程度だったり。実はそういうところで短大教授の妻がアルバイトしていたりする。別にこういうのを妻は夫にバラさなくていい。台所で電気を付けて「あの…実はね」なんて言わなくていい。おっぱいだけに思い出は胸にしまっておけばいい。だいたい中には60歳過ぎのババアが人気だっていう人もいるらしいじゃないか。オイラ自分の母親と同じぐらいの年齢のババアの裸なんか見たくもねーよ。嫁だったら問答無用で後ろから抱きついて遊んだって罪にならんけど、どうやらウザイらしい。いや~んばっか~ん♪アハハ~ン♪

 

 

いくら論理を持ち込もうと、日本は「世間の中にある情の国」なので、人づてというのは大切。例えば、林家木久扇師匠は、息子が大学受験となれば、面接が寡黙に設定されていれば、大学の近くに寿司屋があるとすれば、そこに働きに行くという。そうやって来店した教授たちから色々ノウハウなどを聞き出すのだ。もちろんお金を摘んだり、点数を不正操作したり、というのは最もやってはいけない罪である。しかし、どういう世の中になっているか、どういう世間になっているか、は人づてしかないのである。今現在、そういう伝手が存在しないので、インターネットという妄想の世界に入るしかないのであるが、本来は生身の人間なのである。実はインターネットこそフェイクニュースが多いのは、正しい。

 

だいたい口先で「世界に一つだけの花」とか「オンリーワン」とか言っておきながら、他人の闘病記を読んでいるのが私的には面白い。別に否定しているわけではない。だけどそれをあくまで”参考程度”にするだけで「勉強になりました」なんて二度と口にするなってことだ。みんな同じ方法でやってもらえるとでも思っているのか。医療の裏側を知っている私は分かっている。抗がん剤なんて一種類じゃないの知ってましたか。

 

 

日本橋出身の林家木久扇師匠。田舎がないために山梨県に別荘を買い、島根県に250万円で土地が買えて、釘をいっさい使わない宮大工に頼んで山小屋を建てたらどうですか?ってんで、酒飲んだ勢いで町長に騙された挙句、家に帰った暁には「お父さん、バカじゃないの!」と妻がお冠だったようだ。たまには嫁の言うことも聞いた方がいい。我が家も嫁の方が圧倒的に家のことが分かっている。やっぱり見方なんだ。

 

中国進出のために田中角栄首相(当時)に掛け合った。あの図体で「何でワシがお前の面倒みにゃあならんのだ!」と怒っていた。しかし1982年にお笑いコンビで有名だった西川きよしのもう一人の相方・横山やすしと「ラーメン党」を結成し、党員が1万人のことを伝えると「何!ワシの応援をしてくれるか?」とコロッと態度が変わったのだとか。これで信用こそ数字が命なんだと確信したという。正しいか間違ってるかなんて、後先でどうでもいい。だから中国の次にスペインに出店したら失敗。首都マドリードからバルセロナに移転したら、日本の青山通りのような場所に移したことで木久蔵ラーメン店は成功したという。何でもかんでも仲間が肝心。近づきすぎず、離れすぎず、がまさにベストなのである。

 

林家木久扇師匠は株にも手を出して失敗している。振れ幅が大きい会社は不可能だった。そこで人から聞いた話で、病院にもよく通っているため、漢方薬で有名な「ツムラ」の株を買うことにしたら、ジワジワ上がっていったという。つまり株で大儲けできる上手い話なんて存在しない。経済の勉強になるというが、それはウソ。仕組みを知ることは出来るかもしれないが、ちょっと上がったとか、ちょっと下がったとかで、一喜一憂する日本人にとっては無理だろう。だいたい欧米人はみんな株を買っているという出鱈目を池上彰氏が言い回し、日本人はアメリカ人やヨーロッパ人が、みんな株を持っているんだ~みたいな思想を植え付けている。アレ、ウソだから。金持ちで余裕のある人が、社会への恩返しとしてお金を貸すために株を買っているのであって、自分ばかりが儲けようと思って株をガンガン買いまわしている人なんかいない…これ事実。

 

 

今現在のメンバーはもちろん重要だけど、落語ファンの話を聞く限り「昭和の爆笑王・林家三平」がいちばん面白かったという。その面白さは、例えば病棟に見舞いに来てくれるだけで、他の患者も見に来て人だかりができるほど。そこで高座が始まってしまうのである。それは林家木久扇師匠も認めている。見舞いだけで終わりでは、患者はつまらない。いかに笑わせてくれるかが肝心なのだ。もう病院に来るだけでご本尊のようなオーラを放っているという。実はオーラなんて得体のしれないものは、現実的に存在しないので、人間的にどれだけ好かれているか。

 

 

昭和の爆笑王・林家三平

 

林家木久扇師匠が言うあたり、現・林家正蔵は師匠の八代目・林家正蔵に、現・林家三平が「昭和の爆笑王」に顔がよく似ているという。ただここからが肝心で、兄弟双方とも、実力で取っていかなければならない。桂歌丸が引退した後の笑点メンバーには、兄の林家正蔵より、弟の林家三平に決まった。春風亭昇太も司会でだんだん板についてきて、どれだけ良い笑いをお茶の間に届けてくれるかだろう。世代交代の時。

 

 

現・林家正蔵

 

 

現・林家三平

 

 

林家たま平

 

同じことなら飽きるといっても、同じことをやって同じにならないのは分かるだろう。だから身体表現・身体所作なんです。いくらやっても師匠は「ダメダメ!」と言うだけ。別にダメだししているわけではない。なぜダメなのか考えても分からない。家に帰って練習する。これを何度か繰り返して、ある時に「ヨシ!」と言う。初めての良しでも、なぜいいのかが分からない。これは”型”だからです。その人のモノになったからヨシなんです。他の人が同じように繰り返しやっても同じ。オーケーはなかなか出ない。そういうモノなんですね。理屈ではなく、雰囲気とでもいうべきか。

 

だから年数が必要なんです。真打昇進だって10年なら早い方ではないでしょうか。高校卒業なら28歳、大学卒業でも32歳、まだまだ良い方ですよね。昔の人は「10年はえーよ!」なんてよく言ったでしょう。それはこういう意味なんですね。今現在でも言おうものならパワハラになりかねないこともあってか、わりと怒らない大人しい師匠が多いけど、だからこそ自ら自分を追い込むことも必要なんですね。どうしても人間はラクしたいから、便利な方を取りたがる。でもラクばかりしていたら成長もない。だから大人がみんな子供のままになってしまった。別にラクしてはいけないわけじゃないけど、そういうことも必要だよ~ということ。何で現代人はうつ病になるか知っていますか? それはヒマだからなんです。

 

 

さてさて、これから林家木久扇師匠はどこまでを目標に噺家を現役にするんでしょうね。ぶっちゃけ90歳までやって欲しいでしょう。桂歌丸が81歳で死去してから「雨乞いの先生」「やーねー」「なんだこのハゲチャビン」「アンニョンハセヨ カネカセヨ」「ウィ~ン ウチュウジンニ ナリマシタ ボヨヨヨ~ン」はキレがなくなってきてるの分かりません? とにかく元気で高座に上がってくれれば…いいですな。木久蔵ラーメンも楽しみ。

 

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