優しい感性にふれて | こどもの心はミュージカル!

こどもの心はミュージカル!

こどもの心は喜びにあふれ、歌いたくて踊りたくて、ワクワクしているものです!それは『創造力』『表現力』があふれているから。
その力を、ミュージカルをはじめとする全身表現で、大きく膨らませたい!――― それが私の大きな夢。



先日、新美南吉記念館前にいきました。


「前」と、いうのは、

中には入っていないからです。


そのそばに、

「童話の森」という場所があり、

そこの見学と打ち合わせでした。


新美南吉とは、

『ごんぎつね』を書いた人。


愛知県半田市にあるその場所と

新美南吉の残した世界を、

豊かに子どもたちに伝えたいと、

活動している人たちとお話することは、

とてもあたたかな時間でした。


さっそく童話選集や詩集、

彼の生涯をまとめたものを

読み始めました。


5巻の童話選集は

わりと分厚く量がありましたが、

一日で一気に読みました。


柔らかくあたたかく、

でも、

的確に子どもの心をとらえ、

うまくいかない葛藤も

文学として書き上げられるすごさ。


それは、

『ごんぎつね』を初めて教科書で読んで、

人間の持つ愚かさや、

ちょっとした心のすれ違いの切なさに

胸を痛めたことを思い出させてくれました。


私は未だに、

火縄銃と聞けばごんを思い、

彼岸花を見ては命の尊さを感じます。


あの鮮明に胸に焼きついた

『ごんぎつね』の世界を描いた南吉さん。


私は

『手ぶくろを買いに』も

大好きな絵本でした。


「人間とはいいものかしら?」と

母ギツネが言う最後の言葉は、

今も私に問うています。




私は中学生の時、

ある童話賞に佳作入選したことがあります。


『おじいさんの空き地』というタイトルで、

おじいさんが昔、遊んでいた空き地に

ある日、町開発のために

シャベルカーがきて、

掘り返してしまうというもの。


それを知った孫たちが、

おじいさんを連れて夜の空き地に行くと、

シロツメクサがポゥッと光り、

その光が天に昇っていく話。


後半はいささか、

宮沢賢治の作品への

オマージュ(パクリ)になっていて、 

それで佳作とはありがたい話でしたが、

私は審査員の言葉が忘れられません。


「おじいさんがその光に泣くのを見て、

孫たちも泣いていますが、

子どもはこういう時に泣きますかね?

泣かないんじゃない?」


私はそういう時に、

泣く子どもでした。


おじいさんはそこにいなかったけど、

大好きな空き地がなくなって

涙を流した経験からこの話を作ったから。


審査員よりはるかに

子どもに近い年頃の私の感性を、

まるで大人が考えたものを書いたと

言われたような悔しさが、

いっぱい込み上げて、

それ以来、出しまくっていた

童話賞に作品を送るのをやめたのでした。


大人が正しいと思っているその判断は、 

時に子どもを傷つける。


子どもがうまく言えないのをいいことに、

大人はそれを自覚すらしない。


正しいことは一つじゃない。

子どもはそれを知っている。


だから、大人の言うことが違っても、

言い返したりしない。


そんな私の長年の気持ちが、

彼の作品を読むごとに

柔らかくほぐされるようでした。


作品を読んで、

言葉とテンポと空気に合わせて

呼吸をすると、

南吉さんの見ていた世界に

近づける気がします。


壊れやすい繊細さに

相反する鋭い洞察力、

生きたい気持ち、

エゴイズムや孤独感、

自然や生きているものへの愛情など、

さまざまな思いを、

優しくあたたかい形にして、

言葉にしてあふれさせ、

生きようとした彼の、

一心不乱な姿が身に沁みます。


GW、みんながあちこち旅してる時、

私は南吉さんの世界を旅しています。