自由と不自由 | こどもの心はミュージカル!

こどもの心はミュージカル!

こどもの心は喜びにあふれ、歌いたくて踊りたくて、ワクワクしているものです!それは『創造力』『表現力』があふれているから。
その力を、ミュージカルをはじめとする全身表現で、大きく膨らませたい!――― それが私の大きな夢。


今日の岩倉教室。

みんな、ふざけながらも、
それぞれの役を楽しんでいました。

今日は悟空と白馬の関係について、
こどもたちに話をしました。

なんとなく…
ちょっと難しいかな。

でも、後ろで聞いていた
保護者の方は、
うんうんと聞いてくださっていました。

自由に空を飛び回り
(原作では龍宮城にいます)
暴れていた白龍は、
ある日、悟空と出会います。

そして、悟空が
龍の宝である如意棒を奪います。

その如意棒の両端には、
悟空が三蔵に頭にはめられる
金の輪と同じ模様が。

つまり、
悟空に如意棒をとられたことで、
白龍はその力をも
悟空に奪われます。

白龍はその力を取り返そうと、
三蔵の足となり、
旅をお供しますが、
原作の中では馬は喋らず、
足として三蔵を運ぶだけなのも、
そんなわけがあるからです。

私はそこに脚色をしました。

白龍は、いつか悟空から
如意棒を取り返し、
自由を再び手に入れたいと思っています。

でも、共に旅をするうちに、
旅そのものが楽しくなり、
仲間と力を合わせ始めます。

自由がないとか不自由であるとか、
自分自身の意識より、
天竺に向かうという
目的を達成するのに夢中になります。

天竺にたどりつき、
お釈迦様に願いを叶えてもらう時には、
特に何も願い出ません。

すると、お釈迦様はいいます。

本来の姿に戻してやろう。

そして、白馬は白龍になり
空を飛び回るのです。

私たちは不自由だと
自由になりたいと思います。

では、はたして、
自由になったら、自由なのか?

なんでもしていいって、
言われても…何すればいい?

かえって不自由になることもあります。


私は今、こどもと
表現する喜びに生きています。

この時期は本番への重圧で
苦しいこともしょっちゅう。

不自由だ。
よし、これが終わったら
ミュージカルを辞めよう!

でも、終わってみたら、
また、やりたくなる。

ミュージカルに縛られて生きている。

じゃあ、私は不自由か?

いいえ。

こんなに心豊かな活動を
やり続けられる幸せ!


不自由と自由は反対語じゃないと
私はかねがね思います。

自由とか不自由とか、
全てを越えて、
自分のためだけじゃなく、
誰かのために夢中に生きた時、
本当の自由がある気がします。

この白龍は、最後に
大きな心の自由を手に入れるのです。

こどもたちが、
いつか、本当に
自分の心のままに、
自由に生きてほしい。

でも、それは好き勝手ではなく、
自由にとらわれない
自由であってほしい。

私はそう思い、
龍をチクチク作っています。