今日から大阪の専門学校の
保育科の学生と
全身表現する授業が始まりました。
9時からの授業。
初日だし、準備からあるから…と
早めにと5時に車で出たら、
早く着きすぎ、
途中のパーキングで寝ながら向かいます。
ワクワクしていると、
あまり寝る気分にならないから
不思議ですね!
私は前期しか授業がないから、
半年以上ぶりに
学生と出会います。
二年生ですが、
初めまして、の子がほとんど。
あまり学校が楽しくなさそうな顔で
集まってくる学生たち。
そういう顔の子は、
「学生」という立場が、
いかに社会的に特別に許されているか、
知らないんだろうなぁと思います。
私もあのころは、
早く何かにならなくちゃいけないのに、
何になればいいかわからず、
何になるかを決めても、
そのための道のりの長さに
うんざりしていました。
恋もやる気も人間関係も、
めいいっぱい空回りで、
ただただ必死でした。
でも、今なら分かる。
あの時代は、
若さゆえ、
無知なこと、無礼なこと、
できないさまざまなこと、
情緒も行動も不安定なこと、
いろんなことが許されていました。
そして、可能性があふれ、
生きる道も迷えるほどあったのです。
悩んで迷って、つまづいて、
転んで、あがいて、もがいて…
苦しんだから、
今の自分は、まんざらでもなく、
生きたように進んできていることに
気づきます。
そして、あのころの自分に
言ってあげたいのは、
何かになろうとしなくていいってこと。
今、なっている自分を
もっと楽しんでみていいってこと。
最近、読んだ本に書いてありました。
「一生で、あと何回
服を着るチャンスがあるだろう。
だったら、毎日、
捨てられない服を着ないで、
お気に入りの服を着よう」
それは、いらない服は溜め込むな、
的な、本だったのですが、
生き方も服と同じですね。
誰かがしている
捨てられない理想の生き方じゃなく、
自分がお気に入りの居心地のいい
生き方をしていたい。
それこそ私の一生は、
一回きりだから。
学生たちの
迷いや悩みを抱えた背中の固さを
ほぐしながら、
エールを贈りたい気持ちです。
いろいろやってみたらいいんだよ、と。
何かになろうと急がなくていい。
決まっていない未来の
心地よさってのもある。
決めたら、そちらに進むばかりだから。
今の今を大事にして欲しいです。
そして、学生たちの焦りをみるから、
とぶくじらのこどもたちに
伝えるのです。
こども時代は一回きりだから、
豊かに過ごして、
自分の良さをたっぷり信じられる時間を
作ってほしいって。
それが、学生を過ごす頃に、
栄養になるから。
学生たちが即興表現をすると、
自由なイメージを躊躇なく発揮するよりも、
答えのある動きを出そうとする姿が
ほとんどです。
正解を教えられるから、
間違えてはいけないと思うんですね。
そもそも生き方にも表現にも、
答えはないんだから、
いろいろやってみたらいいんです。
学生の中に、
数人いる出会うのが2回目の子たちは、
さすがにそれを覚えてくれていて、
表現がいきいきと自由でした。
昨年のたった3回の授業でも、
楽しく表現した記憶は体に残り、
今年初めての子とは、
やっぱりちょっと豊かさが違います。
私の授業の意義は、
表現する喜びを知れること。
自分の良さに気づくこと。
友の個性を好きになれること。
さあ、これからも楽しもう!
…授業が終わると、
強烈な眠気に襲われながら、
次回プランを練っています。