こどもの見るものはいつも断片
・・・でもその時の記憶はゴブラン織りのように
心に綴られている・・
昨日の「とぶくじら広場」で、
参加者のこどもの一人(大豆君)が、
「覚王山祭りの『そうべえ』すごくおもしろかったよ」と、
来るなり伝えに来てくれました。
そして、そのお母さんからお誕生日のプレゼントに、
クジラのガラス細工をもらいました
黒壁に行った時、
クジラを見て、大豆君が私を思い出してくれたというから感動です。
その前の日、
星が丘の公園に学童の子と行くと、知らない男の子から、
「あ、ボク、お姉さんのこと、しってる」
と、声をかけられました。
???
夜、寝る前に思い出しました!
そうだ、覚王山祭りで、
『じごくのそうべえ』の紙芝居を聞いていた子だ
彼は私を覚えていてくれたのです
この子たちの記憶に、
おいしい栄養のある記憶として、
私のしたことが、
ボディートークが、
全身表現が残っている!
感動でした
茨木のり子さんの詩「こどもたち」は
私の大好きな詩のひとつです。
こどもの記憶はいつも断片的なもの。
だから、大人は油断している。
なんにもわかりはしない、と。
けれど、それらすべてが、
ある時、ゴブラン織りのように
一つのものに織り上がっていく。
その時、大人がゆがんだ記憶にならないといい。
と、書かれています。
私はいい加減な大人にならないよう、
いつもこの詩を心に刻みます。
こどもに恥じない大人でありたい、と。
そして、私とかかわったこどもたちが大人になった時、
私のことは忘れても、
なにかステキなものにふれた栄養として、
次の世代に、恥じない大人になっていてほしいなと
心から思います。
茨木のり子さんの詩はすばらしい
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