新聞を読むのは楽しいと、近頃本当によく思います
自分の知らないことや、興味の角度が違うことでも、
新聞という広場的な紙面を通して、時代を反映した内容で読むことができるからです
今日の記事での感動は…「ミケランジェロ」のお話。朝日新聞の天声人語です。
「大理石の中に天使が見えたので、自由にしてやろうと彫り続けた」と、
ルネサンス時代の巨匠は言ったらしい
ミケランジェロは、はたして大理石の中に何を見たのでしょう
私がスタッフをしている「ミュージカルひろば」のサマーキャンプは、
滋賀県の「青年の城」で、かれこれ20年以上しています。
この施設の入ってすぐのところで出迎えてくれるのが、ミケランジェロの「ダビデ像」のレプリカです。
真っ裸で、空一点を見つめる彼は、何を思っているんだろう?
中学一年で初めて像を見た私は、できるだけ彼の瞳を見つめるようにして、思ったものです
もう亡くなった彼に、そのことを聞くことはできませんが、
ミケランジェロは、常に「生命の躍動」を見たのではないかと思います
私たちは「頭」「心」「体」を一つにして生きています。
それは「イメージ」「感情」「内動」とも言い変えられるでしょう。
そこに、その人独自の個性(あるいは本来の自分)という、ものの見方・感じ方があり、
それを発揮して私たちは生きています。
その奥にはそれぞれ生命があり、それは誰の生命が優れるなんてこともない、貴重なものです
そして、その生命は常に、「生きよう よりよく生きよう」と、躍動しています。
死ぬ寸前まで細胞分裂は繰り返されることが、まさにその証拠です。
ミケランジェロが見たもの。それは人間の中にあるその「生命の躍動」ではないでしょうか?
私も子どもたちの姿を見て、いつもそこを引き出したいと感じています
何気なく触れる手で、心や体の固さを溶かし、個性を発揮することで、生命が躍動する。
そのなんと素晴らしいことか
表現する側は、個性を持っているので、それぞれ出てきた形は違います。
でも、その根本はすべて「生命の躍動の発露」である
そういう意味では、全ての人の中に、ミケランジェロの感性が宿っているんですね。
だからこそ、彼の作品にも感動できるのでしょう!
子どもギュッとね!プロジェクト
私は、どこにいっても割と子どもに好かれます。
きっと、子どもの生命の躍動を引き出したいと感じて、触れているからかもしれません。
ただ抱っこするだけでなく、相手の内を感じようと、内感を働かせて抱っこする。
それだけで、 子どもの感じ方は違うのかもしれません