寛容 |   Flying in the sky Sasuke

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   ~アキクサ達と文鳥のシルバのお話です~

例えば、愛鳥が肩や足に糞をする。

 

汚い!ふざけんな!

服が汚れる。

 

なんて思う人間は鳥飼いに向いていない。

 

もちろん、一般的な鳥飼いにとっても、糞は綺麗なものではないだろう。

私的には少なくとも汚いとは思わない。

糞は愛鳥の健康メッセージ。

糞を拭う時に、よく観察できるのでありがたいとも思う。

 

鳥飼いの向き不向きをお話しするほど、ベテランではないし、模範的な飼い主でもない。

それでも、敢えて言えば、鳥を飼ってはいけない人間がいる。

 

最たるは鳥を逃してしまう者。

人間誰でもうっかりはある。

1人暮らしならまだしも、3人、4人、5人と家族が増えれば、リスクは飛躍的に増大する。

家族が増えれば、全員が同じ意識を持ち注意しなければならない。

愛鳥にしても、2羽、3羽と多頭飼いを進めれば、やはりリスクが増大する。

 

それでも、逃がさない者は逃がさない。

 

当家の話をすれば、鳥は3羽、家族は5人。

それなりに、リスクはあるが逃したことは無い。

 

神経質な私が徹底的に家族へ注意を促すのだ。

嫌われようが、無視されようが、僅かにロストに繋がりそうな行為すら許さない。

私以外は鳥飼い未経験だったので、当初は反発もあったけど、今ではお互いが声掛けをしている。

 

それでも、安心していない。

信じられない偶然が重なれば、ロストの可能性は当家でもある。

 

肝心なのは逃すということ(ロスト)は鳥にとって恐ろしく絶望を意味していることを理解することなのだ。

 

人間誰でも最初のうっかりはあるが、万一、2度、3度と鳥を逃す者がいれば、鳥を飼うべきではない、ハッキリ言えば資格が無い。

 

飼育環境にしろ、飼育者本人(家族を含む)にしろ、大きな問題を抱えているのだ。

鳥は小さく自由に飛んで行くということを理解も学習も出来ないのだ。

 

ましてや、逃げたから、また買えば(飼えば)良いなんて思う人間は最低だ。

ちなみにロストととは「逃げた」ではなく、飼い主が不注意で野生で死ぬ可能性が高いのに「逃した」ことを言う。

鳥に何の責任もないのだ。

 

私のこの文章を見れば、寛容のカケラもないことが分かる。

しかし、鳥たちに対しては寛容で溢れているつもりだ。

 

 

私の側で羽繕いをして、ジーンズに糞をされても、もちろん問題ない。

 

 

詰まるところ、寛容であるためには時には不寛容も必要という話なのである。