東京では、孤独死する人が多い。日本では、60歳以上の爺と婆が一杯いる。最初は、夫婦で生活していたとしても、どちらかがあの世に行くと、一人住まいになる。

ある日、突然と死は訪れる。誰も気がつかないが、数日経てば、腐敗が進むので、隣近所からの警察署への通報が入る。でかさんが勤務する葛飾区は、老人の孤独死が多い。年間500体くらい扱うので、まず扱いのない日というのが稀である。

変死体といっても、色々。腐敗が進んだものは、強烈な匂いを発する。まあ、着ていたものは、洗濯なんかしないで、ゴミに出した方がいい。

しかし、腐敗が進んだ変死体を綺麗に洗って、検死して、たった数百円の手当かい?イヤハヤ!ますます、でかさんのなり手がいなくなる。イヤハヤ!

誰も見てないから、万引きしてもいいだろう。誰も知らない。英語でいえば、Nobody knows.
しかし、別の言い方すれば、God knows.

誰も知らなくても、神は、お見通しだといったところであろうか。英語圏は、神の存在は常識なのであろう。日本人は、神の存在を信じている人もいれば、そうでない人もいる。

しかし、不思議なのが、現金入りの財布を落としても欧米では出てこないのに、日本では、出てくることだね。一体、他人の財布をネコババしても、神は見ていないと判断するのかねぇ?ここら辺が理解に苦しむ。
40年も前の話を聞いてくれ!でかさんがヨーロッパ漫遊した。フランスからスペインに入った時に、前にいたスペイン人が何やら話しかけてきた。何かを質問しているようだった。

注意深く聞いていると、「ハポネ、シノ」と言っているのが分かった。「あーそうか!ハポネはジャパニーズ、シノは、チャイニーズ」日本人か、中国人かと聞いているんだ。「ハポネ」と答えると、急に親しげになった。

後で、そのことを現地に生活していた日本人に聞いたところ、「中国人は、自分たちだけでゲットー作って、決して現地の人間と交わろうとしないから、嫌われるんだよ。」なーるほど。

それにしても、MM2Hの皆様は、まさかそんなことはないですよねー。イヤハヤ!
過日、クアラルンプールTTDIに住む日本人夫妻にコンド見学させて頂いた。セントラル駅からU82のバスで行った。到着したら、電話することになっていたが、公衆電話がない。近くのスーパーで聞いて、その場所に行くが、電話機自体がない!線がむき出しになっていた。仕方なく、先ほどのスーパーのお姉さんのところに逆戻り、ipadで住所見せる。


お姉さんが、何人かの人に聞いて、大分離れたとこに見えるタワーを指差す。えーーー全然違うところにいる。タクシーは見当たらない。やっと見つけ、住所見せて、「分かる?」と聞くと、分かるという。


しかし、タクシーは、途中から、タワーと逆方向に。「なんだ!こいつ全然分かってないぞ!!」「No,No,Tower!!」と絶叫。すると、ドライバー誰かに電話した。どうにか分かったらしい。イヤハヤ!


ところが、今度は、建物見えているのに、入口探しでグールグル。やっと到着した。バス代 2人で5リンギット、(安い)タクシー代7.5リンギット(高い)。


23階、街を一望。風が心地いい。2人で生活するには、広すぎる。メイドルームまであった。5階には、プールにジム。プールは、ミッドバレーのブルバードホテルと、あまり変わらない。


帰りバス停にいたが、タクシーが通ったので、乗車。ホテルまで11.5リンギットだった。行きは、セントラルまでの電車代いれて14.5 リンギット、しかも1時間半くらいかかった。帰りは、15分以内で11.5リンギットだった。イヤハヤ!

でかさんのマレイシアの初めてのバス体験でした。
前回の続き。爆死したヴェトナム漁師の下半身は、粉々。現場には、柳の木のような木が何本か立っていた。風が吹いて、立っていた木の上から、細かい物が落ちてきた。

手で払いながら、「なんだろう?」と思い、よく見ると、人間の皮膚の一部であった。足の親指の皮のようだった。指紋があるのが分かった。あたりを良く見ると、足の裏の皮が落ちていた。さらに良く見ると、その皮や粉々になった肉片の周りに蟻が無数に群がっていた。

あちらこちらで、蟻が出動して餌集めに精を出していた。カンボジアの蟻については、あまり記憶にないが、この時の蟻は、日本の蟻よりも大型であったことを記憶している。
カンボジアコンポントムに向かう途中のこと。手製爆弾を作成中のヴェトナム人の爆死直後にたまたま遭遇した。

カンボジアには、トンレサップ湖という大きな湖があり、多くのヴェトナム人が漁をしていた。今は知らない。22年前の話である。カンボジアには、多くの不発弾があった。ヴェトナム戦争で、アメリカ空軍の爆撃を受けていたから。

ヴェトナム人は、不発弾から、手製の爆弾を作成して、湖に投げ込んで、失神して浮き上がった魚を集めていた。な、な、なんと、この漁法は、太平洋戦争の時に、カンボジアに進駐した日本軍が、手榴弾を川に投げ込んで、魚を取ったことに由来する。

ところが、30代くらいのヴェトナム漁師は、誤って、爆死してしまう。上半身は、残ったものの、下半身は、粉々。今でも忘れないのは、頭の毛が全て逆立っていた。腹部からは内臓が出ていた。

その時、内臓が出ている上半身を大きな豚がくわえて引きずって行きました。もちろん、村人が豚の頭殴って追い払いましたが、普段豚の肉を食べている人間も豚の餌になってしまうんですね。イヤハヤ!
道路の陸橋の下にうまい具合に住んでいた難民さん。空き缶拾いをしたりして生活をしていたが、ある時亡くなった。陸橋の始まる部分のスペースを囲ってそこで生活していたが、誰も難民さんの死を気がつかない。

数ヶ月が経ち、たまたま覗き込んだ人から、「男の人が死んでいる。」との110番が入った。出動した鑑識係りのおじさん、腰を抜かしてしまった。壁に寄りかかるように死んでいた難民さんを狭いスペースから出そうとしたところ、難民さんの腹部分から、何百匹のゴキブリが一斉に飛び出して来た。

鑑識係りのおじさん曰く、「俺はいままでに色々な死体を扱ってきたが、こんなのは初めてだ。」イヤハヤ!
都会には、自由な人が多く住んでいる。新宿や池袋といった盛り場には、多くの難民がいる。最初は、仕事を日替わりでして、ネットカフェあたりで泊まる生活している。これが、ずっと続けばいいのだが、職を失い、預金が底を突くと、ネットカフェでの酔客目当ての置き引き犯人となる。

これがうまくいかないと、ネットカフェにも泊まれなくなり、路上生活者と成り下がる。路上では、酔っ払いが多く居るので、介抱する真似して、鞄や背広内の財布を失敬して、生計をたてる。

これもうまくいかないと、ひたすら繁華街を歩いて、落し物の財布を見つけたり、自動販売機の下に落ちている硬貨の回収を行う。たまに、数十万円入った財布を拾う。金がなくなると、コンビニに行って、おにぎりを万引きする。たとえ、警察に逮捕されても、どうということは無い。逮捕されたら、ただで、寝泊まり出来るし、食事にもありつける。

この手の人種は、最初は大きなスーツケースを持っているが、次第に荷物が少なくなり、最後には何も持たなくなる。寝る時の段ボールは、当日調達だ。

日本国にも多くの難民が存在する。
この言葉、今の若者には、わからないよねえ?織田信長さんの時代、人生は、50年だった。戦があるから、戦で死んだ人も多かったが、戦で死ななくても、今みたいに長生きできなかった様である。

でかさんがカンボジアに居た22年前、田舎の家は、本当に掘ったて小屋であった。夜、寝ていると、獣の足跡とか聞こえる。ある晩、明らかに人の歩く気配。何者か分からないけど襲われると感じた。寝てなんかいられない。

翌朝、仲間にそのことを話すと、皆笑っていた。地元警察に頼んで、見回りをしてもらっているのだと。そこで、感じた。昔の日本でも、いつ敵が襲ってくるのか分からない状況では、熟睡なんて出来ない。常に怯え、警戒していながら、夜を過ごしていた。これでは、長生き出来ません。世界の国の中では、今も同じような状況の国があるのだから。イヤハヤ!日本国に生まれて良かった。
この言葉、若者には、わからないよねえー。爺いには分かる。これは、脅かし文句。22年前、でかさんは、カンボジアのコンポントムにいた。コンポントムというのは、ポルポトの生地。「コンポントムを制する者は、カンボジアを制する」という格言があるらしい。

コンポントムには、電気がなかった。ある晩、子供達が道を歩いて来た。当時、ポルポト軍が近くにいたので、気が気じゃなかった。「な~んだ、子供かよ。」拳銃を納めて、「何してる?」と日本語で聞くと、分ったようで手に持っていた蛙を見せた。そこには、稲に通した数匹の蛙が生きたままいた。「どうするんだ?」とまたまた日本語で聞くと、「ニャム、ニャム」と言う。食用なのである。

イヤハヤ!驚き、桃の木、山椒の木。でかさんには、子供たちが本当に至近距離に来るまで分からなかった。その暗闇の中で、彼らは、蛙を捕まえたのである。これじゃ、ポルポト軍が来たって勝負にならないだろう。日本人の目は、退化してしまいました。

夜は、漆黒の闇であるが、満月であれば、明るい。日本人のでかさんにも、見える。その時、感じた。昔の日本人も、今夜は満月、半月、三日月、あるいは、月夜のない晩というのが重要だったんだなあと。

まあ、こんなこと、今の日本人に言っても、何もわからないよねえ?イヤハヤ!(これは、でかさんの口癖)