プロローグ

 雪まくり

 タニウツギの花

 マヒーロの大男

 甘噛みサルーキ

 アディウ

 帰っておいで

 弟よ

 異端児の城

 To the park

 みなみかぜ

 まづめのさびしさ

 (アンコール)あんべいいな

 

 シンガーソングライター、青谷明日香の存在をたまたま知ったのが、ほぼ三年前。ライブをぜひ聴きたいと思ったが、どんぴしゃりとコロナ禍と重なって、やっと聴けたのが一年ほど前。そして、全国あちこちを飛び歩く、この人が、久しぶりに、東京に来てくれた。

 会場は、御覧の通りの、シンプルで落ち着いた内装のカフェ。無駄を洗い流したような、この方の歌・演奏に、よく似合う。しかも、今回は、ドラムスとヴァイオリンとのアンサンブルという、ミニマムながら、最小限の構成で想像力を刺激する曲想がいきる編成。

 

 20人ほどの客が集まり、最新アルバムの一曲目の「プロローグ」から、静かに開始。途中、休憩をはさんで、二時間弱のライブだった。冒頭に、思い出す限り、演奏された曲目を、並べてみた(曲順は、全く自信なし)。書き出してみて、思ったのが、「え、こんなにたくさん、歌ったの?」ということ。何だか、一時間たらずの演奏のように思えて、あっけなく、終わってしまった感じ。あの曲も、この曲も、聴きたいと思って聴いていたからだろうか。つまり、欲張りなファンとしては、物足りなかったということ。

 前回がソロだったので、それはそれで、楽曲を素顔のまま見られたようで、良かったのだが、こうしてアンサンブルで聴くと、どの曲も、味わいと奥行きがまして、「では、あの曲は、どうなるんだろう」と、ますます欲張りになって、「前のめり」で聴いていた。

 ヴァイオリンは、各曲の抒情的な部分にぴたりと寄り添い、ドラムスは、むろんリズミカルな、時にはコミカルな部分を盛り上げる。青谷明日香さんのボーカルも、ライブらしい、熱のこもったものだった。

 

 再び、生演奏に接してみて、あらためて思ったのが、「日本語の力」ということ。モーツァルト好きで、当然、そのオペラや歌曲に親しみ、ザ・バンド、ブルース・スプリングスティーンなどロックも大好きなのだが、青谷さんの歌を、しかも何気なくテレビを通して聴いた時に感じたのは、「やっぱり日本語だと、凄い」という妙な感想だった。言い換えれば、母語は、心に響いてくる、あるいは、時に刺さってくる感覚が、外国語とは、残念ながらというか、やっぱりというか、ぜんぜん違うのだ。

 余談になるが、退職後、ボケ防止と、ボランティア活動への補助で、英会話を勉強し直していて、「教材」はNHKラジオなのだが、その、毎日、聴いている番組の、日本人の講師が、番組中で、「この言葉のニュアンス、ネイティブに聞いてみましょうか」と、アシスタントのイギリス人とアメリカ人にふる場面が、けっこう、ある。たとえば、「Look! All the people!」(こんなに人がいる)の「All」は、いらないというか、理屈に合わないんでは?と聞くと、「うわー、パッと見たら、こんなに人がいるよって、感じなんですよー」と(英語で)アシスタントが答える。講師は、番組として必要なので、わざわざ質問して答えてもらったわけで、むろん、十二分にその意味は理解して、使いこなしているのだが、やっぱり、ネイティブの持つ感覚といのは、この人をもってしても、同じようには「感じる」ことはできないんだなと思う。だから、わざわざネイティブにふって、英語で答えてもらって、その感触をつかんでもらおうとしているのだろう。薄皮一枚のようなものなのだろうが、その「皮」は、最後まではがれることはない。ましてや、その言葉を使って、人のナマの声を届けようとする歌となると。

 

 そして、こんなに、日常的な(日本語の)言葉遣いで、ほとんど、周りのありふれた(日本人の)日常を題材にして、「そうそう、この気持ち、分かるよ」と思わせるような歌って、私の守備範囲が狭いからなのか、実は、あまり、お目にかからない。例えば、「To the park」は、「公園デビュー」した、若いお母さんの内面世界の歌。

 そして、そうした方向で歌を作り、歌っていくんだという、作曲者の強い意志に、ブレがない。今回の最後は、「まづめのさびしさ」という曲。「まずめ」は、この曲で初めて聞いた言葉で、主に釣り用語で、「朝マズメ」だと、夜明け前の明るくなり始めから日の出までを指すとのこと。

 こんな歌詞で始まる。

 

  朝まづめどこからか聴こえるギター

  そんなに心締め付けないで

 

 そして、その、夜明け前のギターの主の心に寄り添うように、歌は続き、こんなリフレインで終わる。

 

  人はなぜ歌を歌うのか

  さびしいからさ

  さびしいからさ

 

  私 今 大声で歌いたい

  さびしいからさ

  さびしいからさ

 

 そもそも、なんで、人は歌うのか、自分は歌うのか。ここには、この歌で想定されている人物の答えがあるが、むろん、これは青谷明日香自身の解答ではない。「いつか歌になる」という傑作では、その答えを探して時に苦悶する人物自身が、歌い手に想定されている。

 「人はなぜ歌を歌うのか」

 ポピュラー曲だろうが、クラシックだろうが、当たり前すぎて、ふだんは忘れ果てているような問いだが、青谷明日香は、いつも、それを問いながら、これからも歌い続けるのだろう。その姿勢が、心を打つ曲を生み出していく。そのことが、しっかり確認できた、ひと晩だった。

 

 

 青谷明日香 東京合奏会

  代田橋CHUBBY 2023年2月11日 19:00

 

  青谷明日香(ピアノ、ボーカル)

  宮川剛(ドラムス)

  銘苅麻野(ヴァイオリン)