オールタイム・ベスト5「本」

「鉄腕アトム(カッパ・コミクス)」手塚治虫 1964年光文社

「どくとるマンボウ青春記」北杜夫 1968年中央公論社

「地球の歩き方オーストラリア」1986年ダイヤモンド社

「中島敦(ちくま日本文学全集)」 1992年筑摩書房

「モーツァルトその音楽と生涯」吉田秀和 2014年学研パブリッシング

 

正式な書名は、「名曲のたのしみ 吉田秀和 モーツァルト その音楽と生涯 1~5巻」

最近、しょっちゅう読んでいる、というか目を通しているのが、この本。どんな本か、AIに解説してもらうと、

  • 吉田秀和が40年以上担当したNHK-FM「名曲のたのしみ」の書籍化。

  • モーツァルトについては 1980〜1987年の7年間・270回分の放送をまとめたもの。

  • モーツァルトの生涯に沿って、ほぼ全作品を網羅的に解説する。

  • 各巻には、放送音源から抜粋した 吉田の語り+音楽の一部を収録したCD が付属。

と、さすがに簡にして要を得た説明。モーツァルトの曲を聴く時に、ほとんどいつもこの本を開いている。

 

いま、これを書いているパソコンの乗った机の両脇にはスピーカーがあって、この部屋はリスニングルームも兼ねているのだが、最近思うのは、クラシック音楽を聴くのを趣味にしておいて良かったということ。クラシックは、だいたい一曲が長いし、構成が複雑だったりして、繰り返し聞いても飽きず、音源はたくさんあるので、金もかからず、快適な室内で何時間も過ごせる。私の場合、たとえば、次に行くコンサートのプログラムにモーツァルトのピアノ協奏曲があったりすると、モーツァルトのピアノ協奏曲全集(所有しているのは、バレンボイムと内田光子)や、手持ちのモーツァルトのピアノ協奏曲のCDをあれこれ聴き比べをしたりしていると、半日くらいはすぐに経ってしまう。そんなわけで、高齢者の暇つぶしには最適。

NHK-FMの「名曲のたのしみ」は、放送されていた頃は忙しくて、たまに耳にしたくらいだったが、改めて、「書き起こし」された「語り」を、モーツァルトを聴きながらじっくり読んでいて、やはり感心するのは、実にわかりやすく、モーツァルトの音楽の魅力が、ろくに五線譜も読めない私にも、楽曲そのものに即して伝わってくるということ。たとえば、交響曲第38番「プラハ」K503の、こんな解説。

この曲の第一楽章は、長めの序奏からはじまり、そのあとにアレグロの主要部がはじまる。そして、

 

目立っておもしろいことに、この頃のモーツァルトは、長調で出してきた節をそのまますぐ、今度は短調に変えて繰り返すという手法をよくとっているんですけど、この曲でもそれが出てまいります。第二主題が最初イ長調で出て、それからすぐイ短調になります。これがとっても印象的です。おそらく長調で書いてすぐ短調で繰り返すというモーツァルトのやり方の実例として、最も印象的で成功した例になったと言ってもいいんじゃないかと思うんです。同じものが明るい日差しの中で照り輝くように出されたあとで、今度は日陰に入ると、その節の持っている意味が、明るい時と暗い時と両方にまたがってどんなに複雑なものであったかということが、聴く者に改めて印象付けられることになります。(第4巻 322ページ)

 

「プラハ」はモーツァルトの交響曲で「ジュピター」とならんで、最も好きなもののひとつだが、なんとなく感覚でとらえていたこの曲の魅力の一端が、見事な比喩をまじえて、解き明かされている。こうした「発見」があちこちにあり、モーツァルトという天才が、ただその天賦の才能を駆使したばかりでなく、いかに工夫を凝らして作曲をしていたかが、くりかえすが、ろくに譜面も読めないような、素人の私にも、曲そのものに即してわかるようになっている。

その生涯にわたる天才の努力の足跡が、その音楽にそって、すべてひとりの優れた音楽家によって、具体的に逐一解き明かされているという点で、これは稀有な本なんではなかろうか。曲を聴くのに参考になるような生涯のエピソードなどの紹介は必要最小限にとどめて、あくまでモーツァルトの音楽そのものの、変遷と成長を語っている。

「名曲のたのしみ モーツァルト その音楽と生涯」という、一見そっけないようなタイトルも、改めて見直してみると、実に正確にこの評論の意図を言い表している。こういう音楽評論は、実は、意外に少なくて、多くは、悪く言えば、通り一遍の(つまりほとんど意味不明な)楽曲の解説と、歴史的背景やエピソードの紹介の付け足しだったり、自分の思い入れを押し付けているだけだったりする。

 

また、曲の解説に徹しながら、時に思わず漏れる(したがって貴重な)吉田氏のモーツァルトへの熱い思いを吐露した言葉が、「書き起こし」ならではの魅力のひとつかもしれない。

晩年のオペラ「魔笛」を作曲していた時に書かれた、モーツァルトの有名な手紙がある。「ウィーン、9月1日」という日付があるが、宛名はない。借金に追われ、なんとか作曲を続けていた頃で、死は、もうその翌年に迫っている。

「僕はもう頭も混乱し、気力もつきてしまい、例の見知らない男の姿が目の前から追い払えないのです」と始まる。彼が「レクイエム」の注文を、注文主を明かさない謎の男から受けたことを言っていると推測される。手紙の引用が続く。

 

作曲している時のほうが、しないでいるより時よりも疲れないので、仕事は一生続けていきます。けれども僕はもう、何も気にしたくないんです。ただ時に触れて、もう自分の終わりの鐘が鳴っているのかなと、ふっと気づかされるような感じがする時があります。僕は本当は息もたえだえなんです。自分の才能を楽しむ前に死んでしまう。ですが、生きるということは実に美しかった。僕の若い時は本当に華々しい、前途を約束するような出発だったんですよ。でも自分の運命を勝手にかえることはできません。諦めなければなりません。何事も神様の望む通りに行われるでしょう。これで筆を置きます。これは僕の白鳥の歌です。僕はどうしてもこれを完成しないわけにはいかないのです。 モーツァルト。

 

この手紙を紹介した、つまり、ラジオで朗読したあと、吉田氏は、こんな一言で結んでいる。

 

僕はこの手紙を読むたびに、おしまいまでいっぺんに読むことができない。(第5巻 257ページ)

 

この本には、各巻に一枚ずつ、放送された音源の一部を収録したCDが付属されていて、吉田氏独特の語りの魅力も味わうことができる。

最後に、いらぬ付け足しかもしれないが、この素晴らしい本(よくぞ、これを本にして残してくれたと感謝したいくらいです)の、唯一と言っていい欠点は、その装丁で、少なくとも私には、内容にそぐわない、美的センスにも欠ける、凡庸なものとしか思われない。だから、写真のとおり、ふだんは購入時のカバーをかけて読んでいる。もっとも、こうすると本も長持ちするので、この、見たくもない装丁も、そういう意味では役に立っているのかもしれない。たぶん、ボケてしまわないかぎり、この本は今後ずっと、モーツァルトを聴きながら、繰り返し繰り返し読むことになると思うので。