硝子の中年のブログ
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マイルス・デイビス:今さら何者?

  本日のNHKの番組で、ジャズのマイルス・デイビスを紹介していた。

当人の生誕100年に因んで。

クラシックの番組だが、クラシック以外の音楽も不定期に取り上げる。

司会進行役はピアニストの清塚信也。

マイルスのキャリアを辿って、節目となったスタイルなどを超ショートバージョンでゲストのクインテットが実演して、解説に繋げていた。

  いずれにしても、30分番組でマイルスの全貌全容を網羅することは不可。

全く無理である。

本来、前編後編として制作すべき。

当人は間違いなく、時代を切り裂いて、ジャズシーンを牽引していったミュージシャンだった。

1991年に逝去。

天才がゆえの苦悩もあったと推測する。

それが頂点を極めるアーティストの宿命でもある。

非凡という言葉を3乗くらい掛け合わせると、本人の実像に近づくかもしれない。

  マイルスは変遷に変遷を重ねたジャズマンでもあった。

革新がキーワードと言える。

1966年を最後に、それまでのモダンジャズのスタイルに決別し、次の次元に移行する。

勿論、テーマから始まってソロの受け渡しを経て、またテーマに戻ってエンディングに向かうというパターンも殆ど行われない。

当人の中でマンネリがあったのか、他のジャンルの音楽の要素を導入して、昇華させたいという閃きがあったのか。

ジャズのバックグラウンドである、ブルースなどの黒人音楽の濃度や密度も希薄になる。

  新たな局面の希求である。

曲想としては、高い熱量とテンションと音圧で、聴き手の前頭葉を刷新してしまうようなベクトルではない。

浸潤したら、元には戻れないような。

むしろ、逆の志向である。

宇宙的で、ミステリアスで、内省的なサウンドと言える。

アドリブの要素を若干減らして、総合的なアプローチで一曲に仕上げていく。

ソロで目立つような主役は要らない。

ジャズの基本であるフォービートも使わない。

  この傾向の傑作がアルバム「ビッチェズブリュー」と言われている。

1969年にリリース。

マイルスは、このサウンドをロックビートのエネルギーを倍加して増幅させ、さらに激化させた。

1972年前後にリリースされたアルバム2枚である。

当時、来日もしている。

勿論、賛否両論であった。

マイルスを盲目的に信奉するファンは高く評価したが、私は駄目だった。

  マイルスは完全にメロディを吹かなくなった。

ピーとか、パーとか、トランペットという管楽器をアクセントを付けるための、シンセサイザーで済むような、パルスを刻むような演奏となっていたため。

マイルスは1980年代に入ると、再びメロディに回帰する。

そして、シンディ・ローパーやマイケル・ジャクソンの曲もカバーする。

当時、再び来日して、真夏のよみうりランド・オープンシアターイーストで神髄を披歴する。

私も客席にいたが。

  初めて生でマイルスを聴いた。

背中に別の神経が感応した。

私はマイルスの信者ではないので、客観的に臨んだが。

やはり、緊張感と時空を支配するカリスマとしての、別格の姿があった。

後年にも、新宿厚生年金ホールで聴く機会があったが。

  余りにも長尺になっても、要旨が散漫になるので、〆たいが。

複数のキーワードが参考になるかもしれない。

「インテリジェンス」「自由度」「模倣者・後継者」など。

マイルスでさえも、黒人と社会情勢・反骨精神とは無縁ではなかったと総括したい。

彼の傘下から巣立った、多くのジャズマンの活躍も特筆に値する。

ハービー・ハンコックやロン・カーターは未だに現役で活動している。

  個人的に挙げたいディスクは、1964年の東京での実況録音が超絶的な演奏で、歴史に残る最高傑作である。

一期一会で、前衛派のテナーサックス、サム・リバースが加わった音源は、この録音だけだし、当時19歳のトニー・ウィリアムスのドラミングも変則的なビートをバスドラやバスタムで強烈に刻み、フロントラインをフォルテシモでインスパイアするが、決してコンボのバランスを崩してはいない。

軽快な重低音のドラミングは彼だけの、神技のようなパフォーマンスである。

YouTubeでも聴けるので、是非。

最後に、今日の番組はジャズをポップスの尺で括ろう、としたところが拙劣で致命的な欠点と指弾して拙文を終えたい。

 

総選挙のキーワード&キラーワード

  昨日、衆議院総選挙の告示が行われた。

投票日に向けて、各党の実戦・本番がスタート。

永田町から全国各地に散っていった。

ところで一体、何が争点なの?

高市の信任を問う?

悪い冗談でしょ。

狂っている。

  愚劣の極み。

邪道すぎる。

国会の私物化に等しい。

論外であり、辟易する。

腐った自民党の本態が露出している。

  全ての党が消費税廃止・凍結を謳っている。

これって、大衆迎合主義・ポピュリズムの典型。

即ちバラマキに匹敵する。

同義語と言える。

減税したら、その分の行政サービスを大幅に削る。

それが正論で常道。

それがワンセットでなければならない。

 「日本の常識は世界の非常識

例えば、整備新幹線とリニアモーターカーの建設工事は半世紀凍結します!!

1ミリの暴論でも、極論でもない。

急激に加速する少子化の時代に、超高速の乗り物など全く不要で無用。

費用対効果として最悪。

ワーストのシナリオである。

淡水化プラントの方が1,000倍も意味がある。

  再三指弾するが、日本は産油国でも超大国でもない。

超大型公共事業を予算化して、ゼネコンとディベロッパーに対する醜悪な利益誘導が目的。

80年代のバブルの当時から構図が、方程式が全く変わらない。

何故ならば、企業献金という定石があるから。

企業献金廃止を野党は主張するが、与党は徹底して無視。

それが奴らの命綱だから。

このワンイシューが日本最大の頑迷な悪弊と指弾する。

この突破口により、日本の政治の閉塞はゲームチェンジャーの如く蘇生する。 

再起動できる。  

  この毎年、1兆円を超えるJRに対する政府からの公金を、地方自治体の地下埋設物の維持補修に充てれば、八潮市の道路陥没のような事故は発生しなかった。

無責任が酷すぎる。

日本は完全に中国人化している。

今後も各地で頻発、いや常態化するだろう。

  高校の授業料は無償化

義務教育の給食も無償化。

だったら、その代償として私学助成金は全廃したら。

特に偏差値の極めて低い、粗製乱造で創立した超三流大学は。

文科省の失政は国益を苛烈に棄損した。

結果として、エセンシャルワーカーは激減。

タクシー、路線バス、自衛隊、消防団など、介護や建設の現場も人材が全然足りない。

頭脳労働とマネーゲームを基軸に日本の将来設計を画策した結果。

その愚劣な歪みが我々一般人の日常を浸潤している。

高級車を乗り回す富裕層には関係ないが。

  再び消費税だが、全廃がマニフェストに載る。

だったら、法人税も固定資産税も上げて、所得税も最高税率を過去と同じ70%に戻したら。

世の中は全て、ギブアンドテイクの公式で成り立っている。

負担もせずに、受益だけを手に入れたい。

それが有権者の過半数。

そんな戯言は現世では通用しない。

恥を知れと言いたい。

つまり民度が低い。

勿論、政治的偏差値も。

  高市の謳う「責任ある積極財政」

今までの首相は無責任な積極財政だったのか?

平成の時代から、馬鹿の一つ覚えの如き「積極財政」を断行してきたはず。

安倍も常套句として。

いや、刑事被告人として訴追され、収監された田中角栄のDNAを踏襲して。

結果は世界に類例のない、驚愕の財政赤字が超高速で激しく膨らみ続ける。

現在進行形で、天文学的な領域に達している。

数字としては完全にデフォルトである。

  このため、国債の格付けはA1であり、韓国よりも2ランク、アメリカよりも3ランク低い。

そのフォーマットに決して終止符を打たない。

理由は自分たちの食い扶持である、献金という実弾が欲しいから。

政治資金規正法というザル法を背景に。

全てが通底している。

リンクしている。

  いずれにしても、現下の日本は不毛のカオス、癌化した奈落である。

投票行動の意思が萎えるくらい、政治ブローカーしかいない。

性善説は求めないが、悪党の寄生虫がこの国の行政を動かしている。

献金という名の、合法の汚職である。

諦念の脱力感しかない。

 

上野とパンダとスーベニア

  上野からパンダが再び戻ることのない旅に出立、機上の熊猫に。

遂にゼロに!!

上野の看板が消失?

パンダは上野の代名詞?

上野の街って、そんなに薄っぺらい地域なの?

一つのファクターに過ぎないと思うけど。

  まあ、個人の嗜好は千差万別だけど。

勿論、当人の年齢にも依るけど。

私的には殆ど関心が無い。

上野動物園で最も興味がある生物はハシビロコウかなぁ。

まあ、動物園とは無縁の猫がいれば、正解&満足で。

『この星に猫さえいれば異議はない』

  因みに上野公園は元々は寛永寺の敷地であった。

寛永寺は東京を代表する名刹である。

徳川将軍の墓も6基が安置されている。

そして、首都東京を象徴する芸術と文化の街である。

東京文化会館、東京藝大、東京都美術館、国立西洋美術館、国立科学博物館、上野の森美術館、国際子ども図書館など、多くの文化教育施設が並ぶ。

要するに知性と教養の街でもある。

博学とか、雑学というキーワードを加えても、特に拒否反応はないはず。

  明治時代から長い歳月、そのベクトルで素地が培われてきた。

個人的には池之端の寺に両親が眠っているが、それ以前から上野は訪れていた。

公募展である「日展」は1977年から「二科展」は翌年から毎年鑑賞していた。

この公募展が上野から六本木に移って、2年(2回)だけ観て、この会の鑑賞は最後とした。

理由の詳細は長くなるので割愛するが、国立新美術館の構造と仕様が原因であることだけを記しておきたい。

黒川紀章の最後の設計だが。

  上野はアメ横を中心に、下町の安価な買い物に便利で好都合な街である。

この独特のB級感に波長が、皮膚感覚が合う。

「二木の菓子」も無視できない。

駄菓子を含む、高級で上級以外の、普段使いの菓子が豊富に揃う。

中国人の観光客でなくても、食指が動く。

他にドラッグストア、ジーンズショップ、日本茶、財布・鞄、時計、靴、海産物、飲食店などの店舗が展開している。

毎日が特売日の如し。

統一性のない業態が錯綜している。

このカオスに近い態様が特長かもしれない。

  他に老舗デパートの松坂屋、そしてマルイ、多慶屋、吉池などの大型商業施設も需要に応えている。

新たなランドマークを開拓する必要はない。

それは姑息すぎる。

渋谷のように、再開発の蟻地獄に落ちると、着地点が見えない。

再開発は金太郎飴である。

何処を切っても同じで、没個性が相乗し、意匠が新しいだけの、陳腐で冴えない構造物の集合体と化す。

令和のバブル、即ち金余り現象を代弁する、無駄で不純な資本投下である。

  主人公が不在となったパンダ舎をどうするか?

いつまでも未練たらしく、中途半端に存置しておいては余計に心が空虚になる。

離婚した後に再婚した、元の妻を想っていても無意味な時間とエネルギーでしかない。

または遺骨を何年間も納骨しないで、自宅の居間に置いておくのに等しい。

同じ心理と言える。

リセットが必要。

  昔のムード歌謡コーラスの歌詞ではないが、別れても好きな人~♪は昭和の場末のスナックでは成立するかもしれないが。

令和では採用・登用・応用しない方が、自分のダメージには繋がらないと進言したい。

転用の具体的な方針は園長以下、専門家の知見とセンスに委ねたい。

外野から戯れた、大喜利のような口出しは避けることとしたい。

最後に四字熟語で〆たい。

栄枯盛衰、諸行無常、色即是空、会者定離。

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