戦争 ⇒ 常態化した時空
明日8/6は広島原爆投下の日、8/9は同じく長崎である。
そして、終戦記念日も近い。
昭和は遠くなりにけり。
太平洋戦争の風化は著しい。
史実が抹消されてきたと言える。
自分たちに不都合な真実を教育現場では生徒に伝えない。
良心のある教師は授業時間に脱線して、戦争について、空襲について語っていたが。
意図的だったのか、使命感だったのか。
自民党が戦後の国政において、戦中の過ちを極力隠蔽して、封印して、自分たち政権与党の志向と軸足を盤石にするための邪道だったと言える。
つまり、反戦という思想信条を弱体化させたい。
反戦の素地を萎えさせたい。
その点に関して腐心していた、力点を置いていたとも言える。
中野にある小劇場で「父と夏」という芝居が公演中である。
戦争を扱った作品である。
これまでに、数えきれないほどの太平洋戦争を扱った、演劇、映画、漫画、ドラマ、小説、歌曲、実録などがあった。
私的には戦艦大和と知覧特攻隊を扱った映画、この2作品は記憶に、印象に強く残っているが。
硫黄島玉砕を扱った映画は上記の作品ほどではないが。
いずれにしても、なぜ軍人民間人を合わせて、310万人もの日本人が絶命し、死没したのか。
有り得ない数字である。
恒例である、武道館の慰霊式典だけで済ませてはならない。
それはセレモニーに過ぎない。
現在のイスラエルの侵攻による、パレスチナの惨状を上回る、地獄絵図があった。
その総括は?
極東裁判が総括ではない、。
それは東条英機を筆頭とする、一級戦犯だけのケジメでしかない。
悲劇と慟哭を次世代に伝えることは、日本民族が続く限り、始まりはあっても終わりはない。
他人事ではない。
若者には、せめて「はだしのゲン」を読んで欲しい。
入門書としては最適かと。
ドイツでは学校でナチスについて教える。
勿論、生徒同士でディスカッションを行う。
それが教育としての責任であり、必修のカリキュラムとなっている。
日本では全く、1ミリも触れない。
黙殺である。
ドイツとの民度の差である。
それが政治的偏差値となって表れる。
投票率は恒常的に低い。
個人は国家に翻弄される。
生命も財産も極めて軽く、国に捧げることになる。
己の運命を苛烈に左右される。
亡命しない限りは、逆らえないし抗えない。
それが基本的な構図と思うべき、捉えるべきである。
中国が台湾に進攻すれば、尖閣諸島を占拠すれば、瞬時に同じ事態に至る。
決して非現実的ではない。
能天気にゲームに現を抜かす場合ではない。
令和の男性が、若者がメイクと美に時間と金を費やしている場合ではない。
戦争という狂気が理性や損得勘定では抑止できないことは、疑問の余地がない。
欧州と中東の現在進行形の戦争が象徴的な見本と言える。
独裁的な暴君の即断で戦火と戦禍に至る。
いずれにしても、政府を信用しないことに尽きる。
それが最大の自己防衛と断言する。