気ままな活字中毒者のBook shelf

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読書が三度の飯より好き、しかし時間がない……、でも読みたい!というmayumiの気ままな読書日記

Amebaでブログを始めよう!

震災以後、自転車で通勤される方が増えたそうです。
健康志向の高まりもあり、いざという時の利便性を考えてのことだとは思うのですが、自転車乗りさんが増加して、格好良い自転車も見かけるようになりました。


私たちが小さいころには、子供用自転車、ママチャリ、マウンテンバイクぐらいのものでしたが、今は自転車の種類がたくさんあって、見ているだけでも楽しいですね。
高級自転車と呼ばれるものの中には、百万円以上するものも少なくないようです。
時代は変わるものだなあと、しみじみ(ババアです (笑)


まあ、100万円オーバーの自転車なんてものは買えないので、そこそこの値段の良い自転車があれば……と思っているのですが、女性サイクリストさんのブログを見ていたらどれもよく見えてきて迷う!!

マウンテンバイクぐらいからはじめるべき? いやいや、クロスバイク? それとも思い切ってロードバイクにいっちゃう? みたいなレベルで迷っているのですが、迷っている時が一番楽しいですよねえ。


自転車を趣味にできたら健康的になれるだろうなあと思うのですが、先に一緒に走る仲間を見つけておいた方がいいのかも。
一人でちんたら走っていたら、さみしくなってしまいそうです(笑)
いろんなブログを読んでいて多いのが、「仲間が見つからない!」という女性サイクリストさんの嘆き!
まだまだ女性サイクリストさんは少ないのですね。

今、読んでいる女性サイクリストさんのブログ

 クロスバイクを買っちゃうぞ!

 RINSOU

 fun! ride fun!

 ロードバイクを夢見るクロスバイク初心者の恥じらい

 女は度胸と愛嬌

皆さん日常生活の中で、自転車を楽しんでおられて大変羨ましいです。
私も頑張りたい……。


自動車でもそうですが、なんにでも事故はつきものです。
事故を起こしたり、事故に遭ってしまった時にしっかりと安心できるように、自転車保険 には入っておこうと思います。
友達の自転車事故の話とか聞いていたら、心配になってきちゃったので。





映画で一気に有名になった、「ナルニア国ものがたり」シリーズの第一作目。

大きな衣装だんすをくぐったその先は、雪の降り積もる別世界だった。
そんな始まり方のこの本は、小学生ぐらいの頃に読んで欲しい一冊です。
豊かな感受性を育む年代にこの物語を読むことは、なによりの財産になるはず。

内容の方は映画で見た方も多くいらっしゃるかと思いますが、映画で描ききれなかった部分も丁寧に描写されていて、頭の中でストーリーを補完するのにも良いと思います。
聖書を踏襲した物語ではありますが、ほとんどそんなことは感じないのではないでしょうか。
いつの時代に読んでも伝わる、普遍的な価値観を感情豊かな登場人物たちと追体験するのがとても楽しい一冊です。

お子さんがいらっしゃる親御さんには、何かの折にこのシリーズのボックスセットをプレゼントされると良いかもしれません。
小さいころから物語に触れ、本に慣れ親しむというのはとても素晴らしいことですから。



Cocco
毎日新聞社
発売日:2007-08-10


想い事。

あまり知られていないが
ジュゴンの見える丘という
美しい場所が沖縄には在る。

実際、ジュゴンを見たという
そんな人には
会ったことがないけれど
それでも私は
歩く力を失くした時
何度かその丘に立って
ジュゴンを待った。

普天間基地の移設に伴い
沿岸だろうと沖合だろうと
その丘の向こうに
ヘリポートが建設されれば
私たちはまた一つ景色を失う。

そもそも度重なる環境破壊や
水質汚濁によって
ジュゴンが帰ってくることなど
もう無いのだろうと
覚悟はできていたはずなのに
最後の細い祈りが
断たれた気がして、泣いた。

私は基地のない沖縄を知らない。
生まれる前から
基地はもうそこに在った。
人生において
あの人と出会っていなければ
私は今、
存在していなかっただろう
という出会いは幾つかある。
その人が、その一人だった。

“愛してる”だけじゃ
届かない世界で
“愛すること”しか知らなかった
あの頃の私に、
あの出会いは絶対だった。
父親の記憶が朧げなその人は
米国軍人と沖縄人との間に
生まれたアメラジアンだった。

沖縄の人は皆、やさしい。
大抵の人は口を揃えてそう言う。
懐が深く、慈悲深い、と。

ところが私はその人の側で
愛する沖縄が容赦無く
彼に過(か)す仕打ちを見てきた。
誤解を恐れずに言うなら
基地の存在を否定することは
彼の存在を否定することだった。

それでも米国軍人による犯罪や
事件は途絶えることが無く、
沖縄が傷付けられ
虐げられてきたことも
紛れも無い事実だ。

“YES”も“NO”も
私は掲げてこなかった。
こんなの戦時中で言うなら
間違いなく非国民だ。
でも、“YES”か“NO”かを
問われることは
残酷だという事を知ってほしい。

返還とは、次の移設の始まりで
基地受入れのバトンリレーは
終らない。
どこかでまた
戦いが始まるだけのことだ。

生まれて初めて
私は、はっきりと願った。
あの出会いを失くすとしても、
あの存在を
否定することになっても。
馬鹿みたいに叫びたかった。
例えばその全てをチャラにして
能天気に鼻歌なんか歌いながら
高い高いあの空の上から
ただ“ILOVEYOU”を
掲げて。
私達の美しい島を、
“基地の無い沖縄”を見てみたいと
初めて、願った。

じゃあ次は誰が背負うの?
自分の無責任な感情と
あまりの無力さに
私は、声を上げて泣いた。
誰か助けてはくれまいか?
夢を見るにもほどがある。

私は馬鹿だ。
ぶっ殺してくれ。


沖縄出身の歌手・Coccoが、毎日新聞で月一回連載していたエッセイを一冊にまとめた本です。

月に1回、12本のエッセイが色とりどりに掲載されています。


本来、エッセイストではない彼女の文章が、本職のエッセイストよりも心に響く気がするのは何故なんだろう。

技巧を凝らした文章ではなく、むしろありのままの、拙いとすら言える言葉の羅列がどうしてこんなにも愛おしいのだろう。


歌手である彼女は、自分のことを「うたうたい」だと言います。

しかし彼女は自分で曲を作り、歌詞を書き、エッセイを書き、絵本を描き、絵を描くのです。

彼女は類まれな「表現者」であると思います。


痛々しいまでの叫びを、小さな願いを、叶えて欲しいと願うことは愚かなことなのでしょうか。

望みは叶えられず、虐げられるだけの世界で誰が幸せになれるでしょう。

沖縄出身の彼女は、沖縄の基地返還問題が一番盛り上がっている最中、一番冷静でした。

静かに沖縄を見つめ続ける彼女は、今、暗礁に乗り上げ甘い期待だけを抱かせた政府に何を思うのでしょうか。


行動を伴わない優しさは罪だと知ってほしい。

そうして、この本を読んでみてほしいのです。

川上 弘美
文藝春秋
発売日:2004-09-03

「センセイの場合、優しみは公平であろうとする精神から出ずるように見えた。わたしに優しくしよう、というのではなく、わたしの意見に先入観なく耳を傾けよう、という教師的態度から優しさが生まれてくる。ただ優しくされるよりも、これは数段気持ちのいいことだった。ちょっとした発見だった。理由なく優しくされるのは、居心地が悪い。しかし公平に扱われるのは、気分がいい。」

「よくわからないや。 わたしはつぶやいて、センセイの家を後にした。 もう、どうでもいいや。恋情とかなんとか。どっちでもいいや。 ほんとうにどちらでもよかった。センセイが元気でいてくれれば、よかった。 もう、いい。もう、センセイに、何かを望むのはやめる。 そう思いながら、わたしは川沿いの道を歩いた。」

「センセイのてのひらからは、催眠物質でも出ているんじゃないだろうか。眠りたくないの。センセイに抱きしめてほしいの。そうわたしは言おうとしたが、うまく舌がまわらない。」



還暦を超えた老教師と40歳を間近に控えた女性の淡い恋愛物語。

恋愛と言うには淡すぎる恋模様は、ひどく穏やかで優しい。
小さな種が育っていくその過程を、そっと辿っていくようなお話です。

センセイとツキコさんはひょんなことから居酒屋で再会し、美味しい食事をとりながら少しずつ関係を深めていきます。
その行程がとても甘く切なく、大人の女性の抱える寂しさや、行き場のない愛情の持っていき場を彷徨い探すようなもどかしさがまるで自分のもののような錯覚すら覚えたり。
最後はどうにもやるせないですが、それが人間という生き物で、センセイとツキコさんの関係は優しく幕を閉じるのです。

決して、ストレートな恋愛小説ではないのです。
恋愛小説とすら呼べないかもしれないこの淡さを、どうか体感してほしい。

穏やかな春の日差しの中で、ふと気づけば泣いてしまっているようなそんな感じの一冊なのです。
「都会の空にこそ星が必要で、睦月のような人にこそもっとやさしくてちゃんとした女が必要なのに。」

「まるで水の檻だ。やさしいのに動けない。睦月には私の気持ちが、私には睦月の気持ちが、こんなにくっきりわかってしまう。羽根木さんのことも、ポケットベルのことも、私はもう睦月を責められない。まぶたに感じる睦月の指。どうしていつもお互いをおいつめてしまうのだろう。」

「睦月はほんとうのことを言うのをこわがらない。勿論私はそれが死ぬほどこわくて、言葉なんてほんとのことを言うためのものじゃないと思っているのだ。ものすごく悲しかった。どうして結婚なんかしたんだろう。どうして睦月を好きになんかなったんだろう。」

「こういう結婚があってもいいはずだ、と思った。なんにも求めない、なんにも望まない。なんにもなくさない、なんにもこわくない。」

「「でも、僕は男が好きなわけじゃないよ。睦月が好きなんだ」あっさりと涼しい顔で紺くんは言う。「ふうん」と私は胸がざわざわした。それじゃあ私とおんなじだ。」



アル中の妻とホモ(作中にそうあるので敢えてこの表記で)の夫のゆったりとした日常と、ちょっぴりスパイシーな人間関係を描いたお話。
個人的には恋愛小説だと思っているのですが、読んだことのある友人は皆口を揃えて「恋愛小説?」と言います。

精神的に少し弱い人間は多分どこにでもいて、パリンと割れてしまうきっかけがないのでギリギリで留まっているのだと思います。
アル中の妻、笑子は脆い心を抱えたままアルコールに逃げたり、泣きわめいてみたり。
でも、そんな笑子を異端とするわけでもなくただ在るものとして包みこむホモの夫、睦月。
睦月には男の恋人、紺がいて、笑子はその紺のことが好きだと笑う。
笑子と睦月には単純な恋愛関係ではない繋がりがあって、睦月と紺は恋愛感情で結ばれている。

リアリティはあまりなく、ただ亡羊と心地の良い日常の風景を切り取ったような作品で、作中の言葉のチョイスがただただ美しい。
奇妙な人間関係の中で育まれていく関係が、とても優しく感じられるのです。

恋愛ファンタジーと言ってもいいと思うし、現実にはこんな関係は存在しないのだろうと分かってはいるのですが、ふと現実味を帯びる部分もあって、とても心がかき乱される一冊。

優しいだけでもなく、辛いことばかりでもない、多分人ひとりの人生がぎゅっと圧縮されているような、そんな本なのかもしれません。