Cocco 「想い事。」 毎日新聞社 | 気ままな活字中毒者のBook shelf

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読書が三度の飯より好き、しかし時間がない……、でも読みたい!というmayumiの気ままな読書日記

Cocco
毎日新聞社
発売日:2007-08-10


想い事。

あまり知られていないが
ジュゴンの見える丘という
美しい場所が沖縄には在る。

実際、ジュゴンを見たという
そんな人には
会ったことがないけれど
それでも私は
歩く力を失くした時
何度かその丘に立って
ジュゴンを待った。

普天間基地の移設に伴い
沿岸だろうと沖合だろうと
その丘の向こうに
ヘリポートが建設されれば
私たちはまた一つ景色を失う。

そもそも度重なる環境破壊や
水質汚濁によって
ジュゴンが帰ってくることなど
もう無いのだろうと
覚悟はできていたはずなのに
最後の細い祈りが
断たれた気がして、泣いた。

私は基地のない沖縄を知らない。
生まれる前から
基地はもうそこに在った。
人生において
あの人と出会っていなければ
私は今、
存在していなかっただろう
という出会いは幾つかある。
その人が、その一人だった。

“愛してる”だけじゃ
届かない世界で
“愛すること”しか知らなかった
あの頃の私に、
あの出会いは絶対だった。
父親の記憶が朧げなその人は
米国軍人と沖縄人との間に
生まれたアメラジアンだった。

沖縄の人は皆、やさしい。
大抵の人は口を揃えてそう言う。
懐が深く、慈悲深い、と。

ところが私はその人の側で
愛する沖縄が容赦無く
彼に過(か)す仕打ちを見てきた。
誤解を恐れずに言うなら
基地の存在を否定することは
彼の存在を否定することだった。

それでも米国軍人による犯罪や
事件は途絶えることが無く、
沖縄が傷付けられ
虐げられてきたことも
紛れも無い事実だ。

“YES”も“NO”も
私は掲げてこなかった。
こんなの戦時中で言うなら
間違いなく非国民だ。
でも、“YES”か“NO”かを
問われることは
残酷だという事を知ってほしい。

返還とは、次の移設の始まりで
基地受入れのバトンリレーは
終らない。
どこかでまた
戦いが始まるだけのことだ。

生まれて初めて
私は、はっきりと願った。
あの出会いを失くすとしても、
あの存在を
否定することになっても。
馬鹿みたいに叫びたかった。
例えばその全てをチャラにして
能天気に鼻歌なんか歌いながら
高い高いあの空の上から
ただ“ILOVEYOU”を
掲げて。
私達の美しい島を、
“基地の無い沖縄”を見てみたいと
初めて、願った。

じゃあ次は誰が背負うの?
自分の無責任な感情と
あまりの無力さに
私は、声を上げて泣いた。
誰か助けてはくれまいか?
夢を見るにもほどがある。

私は馬鹿だ。
ぶっ殺してくれ。


沖縄出身の歌手・Coccoが、毎日新聞で月一回連載していたエッセイを一冊にまとめた本です。

月に1回、12本のエッセイが色とりどりに掲載されています。


本来、エッセイストではない彼女の文章が、本職のエッセイストよりも心に響く気がするのは何故なんだろう。

技巧を凝らした文章ではなく、むしろありのままの、拙いとすら言える言葉の羅列がどうしてこんなにも愛おしいのだろう。


歌手である彼女は、自分のことを「うたうたい」だと言います。

しかし彼女は自分で曲を作り、歌詞を書き、エッセイを書き、絵本を描き、絵を描くのです。

彼女は類まれな「表現者」であると思います。


痛々しいまでの叫びを、小さな願いを、叶えて欲しいと願うことは愚かなことなのでしょうか。

望みは叶えられず、虐げられるだけの世界で誰が幸せになれるでしょう。

沖縄出身の彼女は、沖縄の基地返還問題が一番盛り上がっている最中、一番冷静でした。

静かに沖縄を見つめ続ける彼女は、今、暗礁に乗り上げ甘い期待だけを抱かせた政府に何を思うのでしょうか。


行動を伴わない優しさは罪だと知ってほしい。

そうして、この本を読んでみてほしいのです。