空・色・祭(tko_wtnbの日記) -4ページ目
「成熟」するとはなにかを獲得することではなくて、喪失を確認することだからである。だから実は母と息子の肉感的な結びつきに頼っているものに「成熟」がないように、母に拒まれた心の傷を「母なし子牛」に託して歌う孤独なカウボーイにも「成熟」はない。拒否された傷に託して抒情する者には「成熟」などはない。抒情は純潔を守りたい気持ちから、死ぬために大草原を行く「母なし子牛」の群れにその子牛のやさしい瞳とやわらかな毛並みに自分の投影を診ようとするナルシズムが生まれるからである。32p
 


さらにわれわれはどこかに「ウソ」を感じながら新しい異邦人である「父」の強制する世界をうけいれ、どこかにかすかな痛みを覚えながら「母」を、つまりわれわれが慣れ親しんできた生活の価値を否定した。われわれがこのような「裏切り」をおかしていることはどんな心理操作によっても消えはしない。176p




「父」に権威を付与するものはすでに存在せず、人はあたかも「父」であるかのように生きるほかないのかもしれない。彼は露出された孤独な「個人」であるにすぎず、その前から実在は遠ざかり、「他者」と共有される沈黙の言葉の体系は崩壊しつくしているのかもしれない。彼はいつも自分ひとりは立っていることに、あるいはどこにも自分を保護してくれる「母」が存在し得ないことに怯え続けなければならないのかもしれない。だが、近代のもたらしたこの状態をわれわれがはっきりと見定めることができ、「個人」であることを余儀なくされている自分の状態を直視できるようになったとき、あるいはわれわれははじめて「小説」というものを書かざるを得なくなるのかも知れない。250p



そしてこの特徴がポストモダン的だと言えるのは、単一の大きな社会的規範が有効性を失い、無数の小さな規範の林立に取って替わられるというその過程が、まさに、フランスの哲学者、ジャン=フランソワ・リオタールが最初に指摘した「大きな物語の凋落」に対応していると思われるからである。一八世紀末より二〇世紀半ばまで、近代国家では、成員をひとつにまとめあげるためのさまざまなシステムが整備され、その働きを前提として社会が運営されてきた。そのシステムはたとえば、思想的には人間や理性の理念として、政治的には国民国家や革命のイデオロギーとして、経済的には生産の優位として現れてきた。「大きな物語」とはそれらのシステムの総称である。44p



近代は大きな物語で支配された時代だった。それに対してポストモダンでは、大きな物語があちこちで機能不全を起こし、社会全体のまとまりが急速に弱体化する。日本ではその弱体化は、高度経済成長と「政治の季節」が終わり、石油ショックと連合赤軍事件を経た七〇年代に加速した。オタクたちが出現したのは、まさにその時期である。そのような観点で見ると、ジャンクなサブカルチャーを材料として神経症的に「自我の殻」を作り上げるオタクたちの振る舞いは、まさに、大きな物語の失墜を背景として、その空白を埋めるために登場した行動様式であることがよく分かる。45p




川端康成は一九六八(昭和四十三)年、日本人として最初の、東洋人としてインドの詩聖タゴールについで二人目の文学者としてノーベル文学賞を受賞し、日本文学の存在を世界に知らしめました。川端文学は、西洋的な近代的文学観に対する東洋的な非論理の美による挑戦であり、しかも彼の空無に似たネガティブな美は、近代の崩壊後の現代文学の最尖端をいく前衛的な試みということができます。川端文学の中には、自然主義や私小説を中心とする日本の近代文学を否定した現代性と、『源氏物語』、いや『新古今集』的な古い日本の女性的な伝統美とが融合しているように思えます。そして日本の古典的伝統美の現代における表現者として、月や雪に象徴される女性的な陰、虚の美を追求しました、昭和四十七年四月十六日、川端康成は逗子の仕事場で自ら命を絶ち、内外に大きな衝撃を与えました。113p