空・色・祭(tko_wtnbの日記) -3ページ目
そうして荒(正人)は、「天皇は全然責任をとっておらぬ」と述べながら、こう主張している。「文学者は政治の事だから俺は知らんぞといって看過したり、或は共産党に一枚加わって天皇の戦争責任を追求するーーーそういう態度においては文学者の戦争責任は絶対に追及出来ないんだよ。文学者が文学的に天皇の戦争責任を追及するならば、自分の内部にある『天皇制』に根ざす半封建的な感覚、感情、意欲ーーーそういうものとの戦いにおいて始めて天皇制を否定することができ、究極において、近代的な人間の確立という一筋の道が開けて来るんじゃないか」。218p

すなわち敗戦後における「主体性」とは、マルクス主義をはじめとした、体系的な理論に回収されることが困難な心情を表現した言葉であった。人びとは、戦争と敗戦という巨大な社会変動に翻弄されるなかで、自分自身を納得させる説明をもとめて、「世界史の哲学」やマルクス主義の説く「歴史の必然性」を信じようとした。しかしそうした理論的な説明に納得しきれない「自己」の残余の部分が、別種の言葉をもとめる原動力となったとき、それが「主体性」という言葉で表現されたのである。



丸山は後年、「超国家主義の論理と心理」が注目を集めた理由として、「終戦直後に輩出した日本の天皇制国家構造の批判は殆どみなコンミュニズムか少なくともマルクス主義の立場から行われた」なかにあって、「精神構造からのアプローチがひどく新鮮なものに映じた」からだろうと述べている。すなわちこの論文では、マルクス主義の理論的体系をはじめとした、既存の言語では表現困難な「精神」の問題が論じられていたのであり、だからこそ爆発的な人気を集めたのである。


小熊英二著『〈民主〉と〈愛国〉ー戦後日本のナショナリズムと公共性ー』 232p




いわば、丸山や大塚が「近代」という言葉で述べていたものは、西洋の近代そのものではなかった。それは、悲惨な戦争体験の反動として夢見られた理想の人間像を、西洋思想の言葉を借りて表現する試みであった。「個」の確立と社会的連帯を兼ねそなえ、権威にたいして自己の信念を守りぬく精神を、彼らは「主体性」と名づけた。そうした「主体性」を備えた人間像を、丸山は「近代的国民」とよび、大塚は「近代的人間類型」とよんだのである。


すなわち、戦後思想のキーワードともいえる「主体性」とは、戦争と敗戦の屈辱から立ち直るために、人びとが必要とした言葉にほかならなかった。今後の章でみてゆくように、その「主体性」が、国内においては権威に抗する「自我の確立」として、国際関係においては米ソに対する「自主独立」や「中立」を唱えるナショナリズムとして、それぞれ表現された。丸山が、福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」という言葉を愛したのは、そうした心情の表現にほかならない。そして丸山や大塚の思想は、共通の戦争体験をなめた同時代の人びとから、圧倒的な支持をうけたのである。


小熊英二著『〈民主〉と〈愛国〉ー戦後日本のナショナリズムと公共性ー』100p