川端康成は一九六八(昭和四十三)年、日本人として最初の、東洋人としてインドの詩聖タゴールについで二人目の文学者としてノーベル文学賞を受賞し、日本文学の存在を世界に知らしめました。川端文学は、西洋的な近代的文学観に対する東洋的な非論理の美による挑戦であり、しかも彼の空無に似たネガティブな美は、近代の崩壊後の現代文学の最尖端をいく前衛的な試みということができます。川端文学の中には、自然主義や私小説を中心とする日本の近代文学を否定した現代性と、『源氏物語』、いや『新古今集』的な古い日本の女性的な伝統美とが融合しているように思えます。そして日本の古典的伝統美の現代における表現者として、月や雪に象徴される女性的な陰、虚の美を追求しました、昭和四十七年四月十六日、川端康成は逗子の仕事場で自ら命を絶ち、内外に大きな衝撃を与えました。113p