さらにわれわれはどこかに「ウソ」を感じながら新しい異邦人である「父」の強制する世界をうけいれ、どこかにかすかな痛みを覚えながら「母」を、つまりわれわれが慣れ親しんできた生活の価値を否定した。われわれがこのような「裏切り」をおかしていることはどんな心理操作によっても消えはしない。176p
「父」に権威を付与するものはすでに存在せず、人はあたかも「父」であるかのように生きるほかないのかもしれない。彼は露出された孤独な「個人」であるにすぎず、その前から実在は遠ざかり、「他者」と共有される沈黙の言葉の体系は崩壊しつくしているのかもしれない。彼はいつも自分ひとりは立っていることに、あるいはどこにも自分を保護してくれる「母」が存在し得ないことに怯え続けなければならないのかもしれない。だが、近代のもたらしたこの状態をわれわれがはっきりと見定めることができ、「個人」であることを余儀なくされている自分の状態を直視できるようになったとき、あるいはわれわれははじめて「小説」というものを書かざるを得なくなるのかも知れない。250p
「父」に権威を付与するものはすでに存在せず、人はあたかも「父」であるかのように生きるほかないのかもしれない。彼は露出された孤独な「個人」であるにすぎず、その前から実在は遠ざかり、「他者」と共有される沈黙の言葉の体系は崩壊しつくしているのかもしれない。彼はいつも自分ひとりは立っていることに、あるいはどこにも自分を保護してくれる「母」が存在し得ないことに怯え続けなければならないのかもしれない。だが、近代のもたらしたこの状態をわれわれがはっきりと見定めることができ、「個人」であることを余儀なくされている自分の状態を直視できるようになったとき、あるいはわれわれははじめて「小説」というものを書かざるを得なくなるのかも知れない。250p