空・色・祭(tko_wtnbの日記) -28ページ目
表現をするに当たっては、中心に自分自身の趣味嗜好が立つ場合があるにせよ、もしそうであるのならば、それを文化的コンテクストに汲みするだけの言表を持ち合わせるべきだということを、私は主張したいです。

先の『表現者は文化を映す鏡であるべきだという理念』においては、いささか極端に、表現者は己の趣味嗜好を禁じなければならぬと述べましたが、私自身が主張したかったことは正確には上の通りです。

また、私が禁じなければならないと自分自身に言い聞かせたのは、表現の根幹に個人的な好き嫌いを位置づけることであり、表現をするという行為の分別に個人的な欲求を据えることです。

自分を表現する、自分の内面を表現するというアートに関するイメージは、そうした偏屈なものへとアートを貶めてしまうでしょう。

そうではなく意義において表現を考えたいというのが私の方針です。

もしはじめに個人的な欲求があるならば、それを社会的に意義のあるものへと錬金する必要があると考えます。

丁度、今では自明と思われる道徳が起源まで遡れば利害関係から成り立ったものであるにも拘わらず、今では万人の守るべき共通の指標として尊いものへと高められたように、表現においても個人の欲求、言わば利己的なものを、他の欲求、利他的なものへと転化しようという姿勢というものが必要であると考えます。

そして、自分の欲求などなかったかのように、個を無に帰する。

それが、表現者は文化(社会)を映し出す鏡であるべきだという私の主張です。


無事転職が決まり、プライベートが持てるだけの余裕ができれば、文化活動がしたいと考えている。

文化活動と言えば広義的な言葉であるから、漠然としいろいろな事柄を思い浮かべるところだが、僕が文化活動というのは、アートや芸術に傾倒した創作活動である。

それであるのなら、アートをやりたいとはじめから言えば良いじゃないかと思われるところだが、僕にそうさせない事情というものがいろいろとある。

アートという言葉は一般的に広く流布され使われている言葉であるが、その状況の中で一般的に思われているアートに対するイメージに対して、いささか従属するのを躊躇ってしまう部分が多いからだ。

例えば、芸術の師が芸術を志す人間に対して「君の内面が見えてこない」といった切実な言葉を放つ光景は、僕にとっては昔観た映画を彷彿とさせる。

またそれが、一般的にまかり通ったアートのイメージではないかと思う。

僕自身、美術大学に入学する以前は、そのようなイメージを持っていたのだが、次第に、それが一般的に間違ったイメージであると思うようになった。

表現者は何故に自らの内面を表現しなければならないのか。

表現者が自分の内面を表現することを一義的に考えているのであれば、それは自愛としか言えないのではないか。

その表現に文化的な価値はあるのか。

確かに、親切な批評家はそういった表現においても、なんらかの文化的な価値を見出して批評をしてくれることもあるだろう。

しかし、その場合、表現をする当の表現者は文化的価値に対して無為といった状況に等しく、文化的価値を追求している真の表現者とは言えないように思えてならない。

アートは自分を表現するもの、そういった一般的に流布された間違った見解に組み込まれながら表現をすることに、どうしても嫌厭の情を感じてしまう。

それであるから、アートをやりたいと発言することに対して躊躇いが起こってしまうのだ。

本来表現者はそうあるべきではないだろう。

ここで僕は建築家が雑誌に寄稿した文章を引用したい。



「私が昨今、自然界・有機生命体の非線形的振る舞いを建築秩序として採用しようとすることも、それをアルゴリズミックな創作プロセスとして提示しようと模索することも、それらは何も己の趣味趣向などではなく、自身の好き嫌いを超えたところでの新しい建築ヴィジョン(現代建築)を発見しなければならぬという使命に由来しているからに他なりません。因みに私自身は、非線形秩序も、アルゴリズムも、その根は実はとても古きものに根付いていることを始終言明しています。一見それは新しい顔つきをしていますが、実のところそうではなくてその背景にある本質は「古(いにしえ)からある東洋の摂理」に酷似しているのです。ですから今、それによって西洋主知主義(近代建築)を相対化できるのではないかと私は信じています。」
『GA_JAPAN_132』(文章=前田紀貞)


これは、建築家・前田紀貞という方が『GA』という建築雑誌に寄稿した文章である。

僕が今主張しようとしている内容にとって重要なのは、「己の趣味趣向などではなく、自身の好き嫌いを超えたところでの新しい建築ヴィジョン(現代建築)を発見しなければならぬという使命に由来しているからに他なりません。」という箇所である。

本来表現者はこうあるべきではないかと思わせてならない言説である。

表現をするに至って己の趣味趣向などは取るに足らぬ、そう思うことが大前提ではないのか。

己の趣味趣向の表現を禁じ、文化的コンテクストにあるものを奪取し、身に纏うこと、それが最も重要であるし、文化的価値に貢献することに繋がるのではないかと考える。

それであるから、表現者は絶えず先行する文化に鑑みて思弁を巡らし、創作に励まなければならない。

言わば、格好付けた言い回しになってしまうが、表現者は文化を映し出す鏡にならなければならない。

表現者は自らを借りて、そこで文化が表出するところのものでなければならない。

これが表現者の大前提であると思うし、僕自身の方針であり理想であり、表現者はそうあるべきだという表現に対する見方である。

それをこの記事において表明したいと考え、この文章を書いた。

僕自身の表現に対する理念である。

更には、文化の勉強をしなければならない。

そして文化活動をする。

子供から大人になるに連れて、次第に価値観は変化するものです。

小学生においては、勉強もでき、スポーツもでき、真面目で、しっかりしていて、ませている人間が比較的に注目を浴びる傾向にありました。

しかし、注目される人間、されない人間がいようと、スクールカーストなどという格差が存在しないというのも小学校の価値観です。

人生においてその価値観が、本来的に正統なものであると思っていますが、しかし、中学高校という過渡期においては必ずしもその通りではなかったと思います。

人生の過渡期にあたる中学高校時代とは、その正統な価値観から言えば、真っ向から反対する力学が働いているようなものです。

例えば、丁度この年頃の人間を対象にしたマンガの多くは、それを物語っているでしょう。

〈不良マンガ〉というジャンルがある通り、マンガの多くはそちらの側に傾倒しています。

そのなかでは、不良やアウトロウ、ヤクザなどの力の行使者が、一種の権威として描かれています。

例えば、当時流行し、ドラマ化映画化までされた『GTO』というマンガは、正にその通りです。

大人たちのつくった存続の社会的秩序に反逆したい年頃、違う学校同士すれ違えば睥睨し合う環境、そういった時勢においては、そうしたイリーガルな力が信望される傾向にあったと言えます。

そういう状況であるならば、真面目に勉強している人間はガリ勉と言われ、広く外にはみ出して遊びや活動をしている人間が敬われるという事態が起きるわけです。

ホワイトカラーよりもブルーカラーの方が断然格好いい、それが人生の過渡期における支配的な価値観だと思います。

日常を取り巻く価値観がそうした潮流へと向きを変える折、その潮流の変化をはじめから待っていたの如く、うまく乗った人間がいます。

それが、先の文章で示した「その友人」です。

先の②で述べた通り、アイディンティティの目覚めが早かった、早熟なその友人は、不真面目さや、教師に対する反発や、学力テストで最下位を取ることなどで自分自身の不真面目さを周囲に誇示していきます。

また、その傍ら学校の権威のある先輩と親しくすることによって、同級生の間から抜き出るということが起きました。

中高一貫校として校舎を構えるこの学校は、中学一年生であれば、五学年先輩がいることになります。

そして高校生であり、かつ心にゆとりのある人間であれば、中学生には優しい筈です。

その友人が気に入られ、親しくなったのは主に高校生の先輩であり、それも応援団長をやるような目立った高校生です。

逆に、一つか二つ上の先輩になると、あれやこれやと後輩にうるさいわけですから、その友人は、そういった先輩に対して「ムカつく」と愚痴をこぼしていました。

僕自身は、中学入学と同時にバスケ部に入ったのですが、そうした手荒に後輩を扱う先輩に対して、いささか物怖じしていた節があります。

僕は小心者でした。

また、コミュニケーション能力も低かったということも言えます。

その頃の自分と言えば、無愛想で先輩に気に入られる素養などは皆無と言ってよい人間でした。

たかだか一つ二つ上の先輩に物怖じをして、どう接して良いか作法が分からないというのは、長けている人間ではありません。

もっと度量のある人間であれば、先輩であれ、その友人の如く「ムカつく」と突っぱねたこともできるでしょうが、そうした度量もありませんでした。

そう考えれば、中学一年において、すでにその友人に一歩上に行かれた感は否めません。

先輩にかしこまって従順であるよりも、嫌いな先輩を突っぱねるぐらいの方が、この頃の少年にとっては、幾らも優っている。

中学生に入り、小学生の頃いろいろな事情から、イジメられっ子という劣位の立場を強いられたその友人の、今度は長けている面が表れるようになりました。

先輩から気に入られる陽気な人柄や人当たりの良さなど…

外部からこの中学校に入学してきた同級生が、すでに中学一年生の頃から「お前がイジメられっ子だったなんて信じられない」と口々に言っていました。

しかし、そうした光景を見て、当時の僕は何故そうした事態が起きているのか理解できない部分がありました。

今でこそ、この文章で書いているように、何故その友人がそれまで買い被られたのか分かりますが、当時僕としては、その友人は取り分け変わっているようにも見えませんでした。

恐らくそれは、その友人を軽く見ていたということもあるのでしょうが、なりより、社会的な慣習を学習するのが遅く、価値観が疎かったというのが挙げられると思います。

高校生の先輩方に顔がきく中学一年生はませていますし、敵に回したら痛い目に合いそうな気もします。

しかし、僕はその友人に一目置くようなことがありませんでした。

一つ二つ上の先輩に物怖じをする僕ですが、その友人に気後れを起こすことや、物怖じをするなんてことはありませんでした。

それは、それを察するだけの価値観が備わっていなかったからだと思います。

また、その友人はある父親の写真を学校に持ってきたことがあります。

父親が、上半身裸の姿で、いとこと写っている写真です。

父親こそ刺青を入れてはいなかったのですが、隣に写っているいとこの身体には和堀が入っていました。

そしてその友人は「俺の父親は元ヤクザだ」と言います。

本来大人であればそんなことをこれ見よがしに自慢する人間はいないでしょうが、当時は中学生です。

中学生ですから分別がないと思わず、見せられた方も幾らかの畏怖の念も交えて見るわけです。

しかし、僕自身、その写真やその写真を自慢するその友人の姿など、覚めた目で見てたわけです。

しかし、周囲の同級生は、畏怖の念を抱くものもいれば、一目置人間もいるわけです。

それが、中学一年生のその友人の中学デビューの黎明です。

その頃から、小学校の頃イジメの主要人物であったある一人が、その友人と複数人にイジメられている姿を目にするようになります

それほど執拗に陰湿なイジメではなく、複数人におちょくられ笑い飛ばされている姿をしばしば見受けました。

つまり、黎明に至ってすでにあっという間に関係性の逆転が起きたということです。

しかし、これは黎明であり、物事の端緒でしかありません。

続く…