表現について。鏡ーー個を無に帰すること。 | 空・色・祭(tko_wtnbの日記)
表現をするに当たっては、中心に自分自身の趣味嗜好が立つ場合があるにせよ、もしそうであるのならば、それを文化的コンテクストに汲みするだけの言表を持ち合わせるべきだということを、私は主張したいです。

先の『表現者は文化を映す鏡であるべきだという理念』においては、いささか極端に、表現者は己の趣味嗜好を禁じなければならぬと述べましたが、私自身が主張したかったことは正確には上の通りです。

また、私が禁じなければならないと自分自身に言い聞かせたのは、表現の根幹に個人的な好き嫌いを位置づけることであり、表現をするという行為の分別に個人的な欲求を据えることです。

自分を表現する、自分の内面を表現するというアートに関するイメージは、そうした偏屈なものへとアートを貶めてしまうでしょう。

そうではなく意義において表現を考えたいというのが私の方針です。

もしはじめに個人的な欲求があるならば、それを社会的に意義のあるものへと錬金する必要があると考えます。

丁度、今では自明と思われる道徳が起源まで遡れば利害関係から成り立ったものであるにも拘わらず、今では万人の守るべき共通の指標として尊いものへと高められたように、表現においても個人の欲求、言わば利己的なものを、他の欲求、利他的なものへと転化しようという姿勢というものが必要であると考えます。

そして、自分の欲求などなかったかのように、個を無に帰する。

それが、表現者は文化(社会)を映し出す鏡であるべきだという私の主張です。