空・色・祭(tko_wtnbの日記) -24ページ目
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これはiPhoneに保存されていた写真です。

上は新宿のデパートのディスプレイ、マルイなのか伊勢丹なのかルミネなのかは忘れてしまいましたが、通りすがった際に撮りました。

下は、二級建築施工管理技師の資格を受験するため、文教大学に足を運んだ際に撮った写真です。

以上暇なので投稿致しました。
本来質的なものは、純粋な美の範疇になく、むしろ純粋な美に逆比例するように、その美を減殺するものでありますが、その質的なものが形式に適っている限りにおいて、純粋な美に寄与するといいます。

デッサンなど美術の教育を受けたことのある私は、それを経験的に実感できます。

私が写真を編集するにあたっては、そうした質的なものを形式に従えることを心掛けています。

つまり、白黒で撮った写真のそのグレートーンのグラデーションを活かすことを心掛けています。

また、色彩という質的なものーーそれは快適に寄与する、は純粋な美を減殺させてしまいかねないので、多色使わずに、今のところ感覚を操作するだけにとどめるため、一色だけ使うことにしています。

色彩の調和と言うものは経験的なものであるので、万人に普遍妥当するものではありません。(それは想起を通じたアナロジーの思考に支えられている)

そうした多分に趣味嗜好に左右される色彩の調和を望むわけにはいきません。

そういうわけで、先の写真のような編集を施しました。

可能性として、二色三色ほど色彩を使用しようという企図もあります。

これから模索したいと考えています。


被写体に対する関心の分量は、その作品の魅力を多分に左右すると考えています。

欲求を司る理性が寄与するものは、善あるいは快適という快感情ですが、それらは全て経験的なものであり、社交によって成り立つものであるので、社会的人間としての関心というものが、多分に影響してくると思います。

そういう事情もあり、これまでにアップロードした写真は、人の欲求を掻き立てるには、平凡過ぎると考えています。

田舎の街並みを写した写真は、人を惹きつけるには足りない。

例えば、どの文献で読んだかは忘れてしまいましたが、夏目漱石は『こころ』を書く際に、自分の思惟を述べるにあたって、万人が関心のある事柄として恋愛という形を借りたと言います。

また、男性に女性の裸体を、女性に幼児の姿を見せると、瞳孔が開く、つまり興味を示すという生理現象が起きると聞いたことがあります。

人の関心事と言えば、やはり人の事が比重を占めるように思うのですが、とりわけ人を撮ろうという気持ちはありません。

街を人とのアナロジーで考え、あるいは衣服がそうであるように、街をフェティシズムと考え、そうした見方も持ち、今後しばらくの間は、街の写真を撮りたいと考えています。

また、田舎の街並みではなく都市の本来は喧騒とし混沌とした街が静寂に包まれている姿が撮りと考えています。

都市の街と言っても一括りにできないものがありますので、後日、その都市の街にと言うものを分化し、そのなかでなにを被写体に選ぶのかも考え、記事に書きたいと思います。