――井上雄彦『ピアス』より
その言葉がまるで呪いとなって現実になったかのように、兄は釣りへ行ったまま、海から帰ってはこなかった。少年はいまも、その痛みを抱え続いている。
少年の名は「りょうた」。
『ピアス』を読み返したのは、どのくらいぶりだろう? 「ヤンジャン」で読んだのが、なんと2001年か!?(初掲は1998年の「少年ジャンプ」) 探しても見つからないわけだ。「THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE」(以下「re:SOURCE」)に再録されているのを知り購入。ありがたい。
『ピアス』が『SLAM DUNK』のいわゆる「スピンオフ」なのか、はっきりしたことはわかりません。それでも作者のなかでは、云うなら「別世界の彼」のようにやっぱり繋がっていて、宮城リョータの描かれなかった背景だったんだなと、うれしくなりました。
彼にはこんな家族がいて、こんな生い立ちがあった。出身は沖縄。伝え聞いていた井上雄彦の「沖縄に寄せる想い」も、はっきり知ることができました。これもファンにはうれしい贈り物です。
(1)『ピアス』の舞台は?
『ピアス』には地域についての描写はありません。ですが、前に読んだ当時はまったく気にもしていませんでしたが、わかった上で読み返してみると、兄への呼び方にもそれっぽいところはあって、作者は当時から沖縄を舞台にしている意識だったのでしょうね。
(2)『ピアス』と『SLAM DUNK』の関係は?
まず、作者・井上雄彦はこのようにコメントしています。
――「THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE」井上雄彦ロングインタビュー前編より
もうひとりの重要な人物として少女が登場し、彼女の名前は「あやこ」です。のちの湘北マネージャー「彩子」との出会いであった――ということではないはずです。リョータと「彩子」の出会いは湘北高校であって、こちらの「あやこ」があの「彩子」だとすると、『SLAM DUNK』本編でのリョータの言葉との間に矛盾が生じます。
――『SLAM DUNK』7巻より
ですが、だからスピンオフではない。これは別世界なのだ。そう決めつけるのは、早計だと思います。少女はたまたま同じ名前の、別人かもしれないからです。
ワタシはむしろ、こういう解釈もできるなと考えるようになりました。『ピアス』の「りょうた」はまさしく宮城リョータであって、湘北高校で出会った「彩子」には、過去の思い出の少女と同じ名前であったことで、なおさら強く彼女に惹かれたのではないかと。
我ながらナイスな解釈だと思いましたが、実は以前ならこれでも通ったのですが、『ピアス』と『THE FIRST』にはある齟齬があって、両者は並び立ちません。やはり「別世界」というのが、妥当な解釈のようです。どこがどうでそうなのかは、双方をご覧になってお確かめください。
(3)優勝は「那覇水産」!?
解説動画。インターハイ優勝校は「名朋工業」ではなかった!?
『バガボンド』も『リアル』もすっかりご無沙汰で、いったいどうしたのかと思っていたら、これにかかり切りだったのか。納得。なら、しょうがない。前のテキストでしょうもないことを云ってしまって、ごめんなさい。
ワタシの『SLAM DUNK』原体験はテレビアニメで、そこから原作に入ったクチです。だからテレビアニメの声には思い入れもあったし、キャストのフルメンバーチェンジは、ワタシ的には「不安要素」でした。でも、スクリーンに物語が始まってしまえば、そんなものは一瞬で消えてしまいました。
ジャイアン・木村昴の花道もいいが、特に安西先生が素晴らしい。「デビル」を内包する渋い声にシビれました。テレビアニメの安西先生は「仏」に寄り過ぎていた。テレビアニメ放映が始まったのは、原作でデビル安西の過去が描かれるずっと前なので、そこはしょうがないんだけど。
原作の連載終了を追うようにインターハイ出場を前に放映を終えたテレビアニメのその後を描く、動く「山王戦」に感涙。そして、驚く。最初から最後まで「山王戦」。描かれる対戦は、たった一試合。こんなスポ根アニメがあるのか、有り得るのかと。
試合と交互に描かれるドラマは、それまでの道のりをたどる、宮城リョータの物語。主役は、なんと宮城リョータ! 原作者・井上雄彦でなければ許されない、大胆で、かつ井上雄彦らしいアレンジにも。
試合パートとドラマパートを交互に展開するテクニカルな効果としては、原作の20分ハーフ制と現在の10分クォーター制の違いをスルーできたことが挙げられると思います。クォーター制にアレンジするのではなく、この物語は90年代を描いていますとエクスキューズするのでもなく。試合に「時代」が出たのは、深津がリョータに故意に犯したファールが(現在の「アンスポーツマンライクファール」ではなく原作通りの)「インテンション」を取られたことぐらいでした。
続編のような、リメイクのような、スピンオフのような、オリジナルのような。広大なSLAM DUNK世界の一断片を切り取ったエピソードでありながら、既存の作品を前提にせず、続編ありきでもない、一篇の映画として成立し、完成完結している見事さ。
「宮城リョータを描きたい」という、漫画では果たせなかった作家的モチベーションを商業映画に昇華し、原作の主人公・桜木花道をチームメイトのわき役にすることで、彼の成長ストーリーである長尺のプロセスをばっさりカットし、原作のダイジェストに陥ることなく一気にクライマックスの一戦までもっていく。この神懸かり的発想! 三人がかりのブロックをかわしてシュートを決める沢北のダブルクラッチを目のあたりにしたように、口あんぐりです。――『SLAM DUNK』29巻より
脚本・監督、井上雄彦。原作『SLAM DUNK』を単にアニメ化したのではない、作者・井上雄彦がアニメーションという絵筆を用いて描いた、もう一篇の『SLAM DUNK』。
桜木花道のあの名科白を借りて見得を切る、井上雄彦の図。そんなモーソーが頭に浮かぶ。
おめーらアニメかぶれの常識は、オレには通用しねえ!! シロートだからよ!!
「THE FIRST」と冠したタイトルに込めた想い。それについて井上雄彦は、このように語っています。
――「THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE」井上雄彦ロングインタビュー後編より
てっきり、2nd、3rd…と5thまで続けて、湘北ファイブをひとりずつフィーチャーしていく構想なのかと思っていましたが、どうもそういうことではなさそうです……。
まぁ現実的に考えて、それは確かに難しい。なにしろこの映画には、本当に時間がかかっています。「re:SOURCE」の記述によると、ネームに掛ったのか2015年、アニメーション作業に掛ったのが2018年。「THE FIRST」と同じ調子で続けるとなると、井上雄彦の残りの一生すべてをそれに捧げることになってしまいます。
それもいいっちゃいいんですけどね、でも、やっぱりそれは困ります、ファンとしては。
あと四人ほど欲しいですね、井上雄彦を。
アニメ井上、スラダン井上、アート井上、バガボンド井上、リアル井上。
たとえムリでも夢見てしまうわ、そんな井上ファイブが活躍する世界を。
「ペン」を「筆」に持ち換える、メートル級の大カンバスにいどむなど、これまでも様々な試みにトライしてきた井上せんせいですが、今回のアニメーションへの挑戦は、山王並みの難敵であったようです。そのことも「re:SOURCE」のロングインタビューでは語られています。本当にこの本は、インタビューも映画パンフレットよりさらに深くて濃くて、パンフレット買ってこっちをスルーするなんてないわというぐらい読み応えたっぷり、ファン必携の一冊です。
このうえの引用はしませんがワタシなりの喩えをさせてもらえば、己れ独り刀を振るってきた剣士が、軍勢をまかされ、大将としていくさに出陣するようなもの。人を指揮する集団作業のあまりの勝手の違いに驚き、戸惑う。自分の感覚を人に言葉で伝えなければならないことへの苛立ち、もどかしさ、おかしくなりそうなストレスにさいなまれながら……。
そんな大いくさの戦果に、ワタシは大満足です。
試合ラスト25秒の息詰まる攻防。コンマ1秒でタイムを刻む電光掲示板。コート、ベンチ、客席、全ての人の発する「声」は消える。それは原作と同じ。違うのは地鳴りのような心拍音のようなそれを始めとする効果音。ルーズボールを拾った花道のパスから流川が逆転のシュートを決めれば、返す刀で山王のエース・沢北が再びひっくり返す。……どうなるかは知っている原作ファンのワタシでもヒリヒリする。
「×××××、×××××…」
原作ではそこだけは描かれた花道の科白も口パク、ゴールリングを前にシュートを阻まれた流川から花道にパスが渡る。ノーマークのジャンプシュート。電光掲示板のタイムは「0.0」に。ボールはリングをくぐる。試合終了――。
犬猿の仲の流川と花道のハイタッチ、歓喜の湘北プレイヤーたち。それも原作と同じ。違うのは、ひとり天を見上げるリョータ。幼い日、兄とふたり海辺の洞窟の秘密基地で話した、最強山王を倒す夢。――それをかなえたよと語りかけるような、この映画で初めて明かされた兄への、リョータの想い。
原作読者、テレビアニメ視聴者にも初見となるドラマパートが描くのは、宮城家の人間模様、リョータと母の衝突と和解の物語。一家の長男を失った母と弟は、ともに深い傷を負いますが、その顕れ方はまったく対照的でした。
母は兄の遺品を、すべて処分しようとします。悲しい思い出は忘れたかった、思い出させるものは捨て去ってしまいたかった。けれど、リョータの想いは違っていました。
「兄弟だからって、同じ番号にすることないよね。変えてもらおうよ?」
「7番がいい……」
忘れたくなかった、抱え続けていたかった。兄のTシャツを着るリョータを母は叱りつける。……刺さります。どちらが悪いわけじゃない、どちらの気持ちもわかるから。井上雄彦というひとは、こういう人情の機微を描かせても巧い。
女は別れた男のプレゼントをさっさと処分するのに、男ってそういうのをいつまでも大事にしたがりますよね(笑)。長男の遺品をめぐる、この母と弟の対立に、ワタシはそんな一般的な男女差を連想してしまいました。違いますかねえ?
この時、リョータはまだ小3。女親でも力ずくで勝てる年頃で、Tシャツは無理やり脱がされてしまいます。……そういう育て方をしていると、力で敵わなくなる年頃には、リッパな不良に育ってしまうという好例ですね(笑)。
これは映画をみて驚くと同時に、そりゃそうかと納得したことでもあります。てっきりボコられて入院したものとばっかり思っていましたが、全治数ヶ月もの重傷を負わせたとなれば、もはやケンカで済まない傷害事件です。湘北高校校舎屋上から救急搬送されたとなれば、表沙汰になることは必至、三井はバスケ部に戻るどころではなく、高校生ではいられなくなってしまいます。
妹のアンナは手のかからないいい子ですが、問題は兄貴のリョータです。やめてほしいバスケは続けるわ、ケンカは絶えないわ。怪我だらけで帰ってきたと思ったら、訳を訊いても答えもせず、スクーターでどっかへ行ってしまう。挙げ句、瀕死の大事故。
シングルマザーで子供は二人。家計は火の車でしょう。なのにスクーター(パートに通うのに必要な足であったに違いありません)はスクラップにされるわ、入院費用はかかるわ……。どこにそんなお金があるの? どうすればいいの? 経済的状況は頭を抱えるほど深刻でも、それでも子を心配するのは親心。そんな親の気持ちも知らないで、意識を回復してみれば、「沖縄が見えたぜ……」などと云う――。いい加減、ブチ切れますよね。
しかも、このあとリョータは沖縄に行ってるんですよ? その費用はどうした? どうせ母親に出してもらったんだろう。ろくに理由も説明せず。物語がリョータ目線で描かれているので気付きにくいですが、よくよく想像すると本当に親不孝者ですよ、コイツは。
アンナも羨ましがったに違いありません。
「いいなあ、わたしも行きたい、沖縄」
「あなたは学校があるでしょう」
「お兄ちゃんだって退院したんだから、学校行かなきゃじゃん!」
――そう云いたかったけど、黙っていた。そんなところではないでしょうか。この子は決して、兄も母親にも、ぶつかることをしません。母親が怒って病室を出て行ったリョータの「沖縄が見えたぜ」発言にも、何らコメントせずスルーするその態度に、それがよく現れています。それは計算ではなく、彼女のあの家庭環境で培われた習性なのでしょう。想像(妄想)がたくまし過ぎますか?
退院後(この時系列については後述)、リョータはひとり郷里沖縄に帰る。兄と過ごした秘密基地で、兄の愛用していた赤いリストバンドを見つける。母も知らない秘密の場所だからこそ遺された、それは貴重な遺品でした。リョータはそれを着けて、山王戦※に臨みます。※正確には「インターハイ」ですが、ここではあえてこう書きます。
大きかった兄。強かった兄。夫を亡くした母に、自分が「家のキャプテン」になるよと寄り添い支えようとした孝行息子でもあった兄。
ですが、その兄が秘密基地でひとり泣いているのをリョータは目撃してしまいます。彼もまだ小6の男の子、無理もありません。そんな彼が母親の前では精いっぱい気丈に振る舞っていた、そんな彼の健気さに、なお一層胸を絞めつけられます。リョータが彼に尊敬と、引け目を抱いてしまうのもよくわかります。
山王戦に向かう前、リョータは母に置手紙を残していきます。迷惑ばかりかけてごめん。そんな「謝罪」で始まるその手紙は、「感謝」で終わります。いやだったはずのバスケを、それでも何も云わず続けさせてくれた母への。
広島での山王戦の会場に、母が訪れます。試合終盤での来訪は、きっと忙しい合間を縫い、リョータにも黙ってやって来たのでしょう。
交互に描かれたドラマパートと試合パートは、ともにピークを迎え、リョータと母の物語と湘北VS山王の試合が、その頂きで結ばれ、交わります。
(行け――!)
客席の母の想い、それを届けるようにベンチの彩子の声援が飛ぶ。それに応えて、深津・沢北のプレスをリョータがブチ抜く!
(♪Pass code a "Penetrator" ベース! Bebop! ゲット triple! Buzz up ビート!)
涙がにじむ。アドレナリンも分泌する。ハートと交感神経を同時に攻める、胸熱と興奮のダブルチームが激しすぎる。
この気持ち良さは麻薬的で、これをまた味わいたくて、何度も劇場に足を運んでしまいます。ワタシはこれを書いている時点で通算三度。上映が続けば、もう少し伸びるでしょう。ソフト化は待ってられません。
山王戦を終えたリョータは、母にその赤いリストバンドを渡します。
それを手離すのは、兄・ソータへの憧れと裏返しの劣等感を乗り越えた証。アメリカへ渡ったリョータの腕に、もはや赤いリストバンドはありませんでした。
それを拒まず、受け取った母もまた、昔とは違います。息子の死を受け止め、向き合えるまでの年輪を重ねていました。親だって成長するのです。子供といっしょにもがきながら……。
映画になればただの一本のお話ですが、これはリョータが桜木花道に出会う以前から山王戦後に至る、丸ごと原作コミック本編の時間をまたぐ「歴史」が横たわっています。リョータの赤いリストバンドの物語には。
この映画のドラマパートは幼少期の回想を除けば、時系列に順を追って展開しています。つまりリョータが沖縄に帰郷するのは、三井グループとの乱闘→バイク事故→入院→のそのあと(退院後)です。入院でなまった身体を自主トレで鍛え直しており、神奈川に戻ったリョータがダンボールからバスケシューズを取り出すシーンが、さりげなく時間軸を物語っています。そして――この映画では割愛されていますが、原作読者にはおなじみ「バスケがしたいです……」の三井グループ襲撃事件を経て※――バスケ部に復帰する三井と鉢合わせする、という流れです。
※この映画は本当によくできていて、原作未読でもこの映画だけでまったく支障なく愉しめるのですが、ここだけは原作を知らないと、なぜリョータと三井の顔が絆創膏だらけなのか? あの乱闘の直後なのか? そのように混乱してしまうかもしれませんね。
さらに驚いたことに、原作ですでに、リョータが黒と赤のリストバンドをふたつしていることが描かれているのです!? このひとの創造する世界は、いったいどんなふうになっているんでしょうね。漫画に描いてはいなくても、死んだ兄の形見のリストバンドをしている……というようなバックボーンを当時から想い描いていた、ということでしょうか。世の中には、こちとらの狭い料簡で利いた風なケチをつけていると、かえって恥をかくことになる――そんなひとがいるものです。
――『SLAM DUNK』23巻より
筆者所有のジャンプコミックスを確認したところでは、インターハイ緒戦の豊玉戦から黒と赤のリストバンドを着用しています。
ほかに原作から加わったオリジナルで印象深かったのは、沢北の願掛けですね。
「俺に必要な経験をください。もしまだ何かあるとしたら」
その祈りがかなえられたかのような、アメリカ留学前の彼に与えられた「敗北」の経験……。
控室へ向かう廊下で沢北は泣き崩れるのですが、「これが俺に必要な経験だったのか……」「あんなお祈り、するんじゃなかった……」――そんな思いも、ちょっとあったんじゃないでしょうか?
これは幼少のリョータが最後に兄に向けて放った言葉にも繋がる、文字通り「滅多」なことは云うものではないという、「言霊信仰」としての戒めであると、ワタシは思いました。さすがに創り手の意図するところではない、ワタシ個人のこじつけだとは思いますが。
この大いくさを終えた井上雄彦は、ここからどこへゆくのか。全てを出し尽くした井上は、続く次回作、ウソのように……って、だから冗談でもそういうことを云っちゃダメなんだって。
『バガボンド』、『リアル』に還るのか、もしかして「山王戦」後の『SLAM DUNK』か。はたまた実は談話はフェイク、アニメの第二作か。あるいは(個人的にはあんまり望んでいない)「アートの世界」か……。
われわれファンは、ただ待つのみ。作者当人からすれば鬱陶しいかもしれない好き勝手を云いながら、次なる井上雄彦の降臨をお待ち申し上げております。
ただ、いまはこの作品の余韻にひたっています。この主題歌を聴きながら。
原作との比較、その後気付いたことを「おかわり」しました。こちらもよろしく。
2023.02.15 一部修正・加筆
2023.02.18 関連リンクを追記