「決める法則」は「選ぶ法則」

 

でもあります。

 

そしてどちらも人生そのものと

 

言うことが出来ます。

 

人生=選ぶこと=決めること

と思っています。

決めることは「選ぶこと」なのです。

毎日、何かをしますよね。

何時に起きるか

何を食べるか

何処に行くか

誰と過ごすか

誰と話すか

何をするか

何時に寝るか

全部選んでいます。

人に言われて仕事をしていても

それをやるか、やらないか

断るか・・・選んでいます。

人生そのものですよね。

何も選べなくなったら

終わりです。

人生が終わるということです。

だから選べるということは

とても幸せなことです。



しかし、多くの場合、

それらの選択に一つ一つ

丁寧に接する余裕がなく

惰性でしているように

なってしまっています。

情報が多すぎるのでしょう。

多すぎて処理できないから

順応して人は考えずに選択できる

ようになってしまったのです。

物事が起きた時に

思うことを決めつけ

パターン化してしまっています。

「~の時は、いつもこうなんだ」

と考えていたら、決めつけです。

パターンが増えればまるで

自動操縦されているかのように

なります。

それに気づきましょう。

何か言われて「嫌だな」と

思ったことがあったら

バリュエーションを考えてみて下さい。

自分が反応してしまった

 

「いつもの感情」以外の

 

思いを抱くとしたら

どんな理由なのか、を考えます。

今回は何か言われて

 

「嫌だな」と思った想定です。


なので言われたことについて、

 

「嬉しい」と思ったとしたら

どうなのかと考えます。


「それは、○○だから」

 

理由を考えてみましょう。

また、「自分もちょうどそう思って

 

たんですよ」と同感できたとしたら

というようにも考えてみます。

 

どういう理由ならそう思えるか

 

ということですね。

 

そうやって感情のパターンを

 

広げることで、多角的に事象を

 

捉えることが出来てきます。

そうすると、自分の決めつけから

抜け出せるきっかけになります。


自分で選ぶ、決めることは

 

人生そのものです。

大事にしてみてください。

「嫌いな人」には目にしない

方がいい、なんて書きました。

たしかにそうなんですが、

目にしなければだんだんいなくなる

なんてことはならず

常に一定数の「嫌いな人」は現れます。

「嫌いな人」とはなんでしょう。

話の合わない人、一方的に言い放つ人

空気感が合わない人、攻撃的な人・・・

単純に言うと波長が合わない

対立する人という感じですね。

さらに突き詰めると

「自分とは違う人」となると

思います。

自分と同じような人であれば

共通点なんかが多いので

嫌いになりませんよね。

だから「嫌いな人=違う人」は

ほぼほぼ当たっていると思います。


当たっていると言いながら

逆のことをいいますが

嫌いな人⇒違う人にはなっても

違う人⇒嫌いな人には

やっぱりならないと思うんですよ。


嫌いな人には判断が入っていますよね。

 あっ、この人は違う人だ

 “どうしよう、嫌だな。”

これです。

この「嫌だな」は感想というか

感情というか、自分の価値観による

判断なんですよね。

だから無くてもいいんじゃないかと

思います。


 あっ、この人は違う人だ

 (終わり)


これですよ。

人はみんな違うんです。

顔から考え方から何もかも

違うんです。

共通点がある方が奇跡だ

くらいに思っていても

いいんじゃないでしょうか。

みんな違った価値観で

それぞれの大事なものが

あって、だからこちらから見て

良いだの悪いだのの判断は

出来なくて正解なんです。


それでも、ものすご~く

嫌な人もいます。

人は不完全な存在なんです。

仕方ありません。

反面教師ということも

ありますよね。

 

そういう人を見るから

 

自分が成長できる。

自分の成長に欠かせない存在

なんです。

嫌な人は階段のステップです。

段差ですよ。

 

目の前に5mのカベがあれば

 

当然登れません。

 

でも、階段状に段を積み重ねて

 

いけば、やがて壁の上に

 

到達できます。

段差があるから上に登れる

自分が成長出来るんです。

だから、ものすごく嫌な人には

「いつもご苦労様です。

(段差としての活躍)

ありがとうございます。」

と思うのが正解です。

()内は心の中で思うのが

ベターでしょう。


判断しないで終わりにしたり

段差だと思って感謝したり

していれば、自分の不完全さも

同じように大目に見て

やさしく許してあげられるように

なってきます。

 

うまくいくようにできている

自分に「ぴーす」を。

前回、自己肯定感について

 

書きました。

 

「自分の好きな事をしてください。

 

好きにやらせてやってください。」

 

そんな内容でした。

 

 

あとはネガティブなときに

 

どうするか?ですよね。

 

ネガティブな時って

 

自分で「ネガティブになろう」

 

っていうことじゃないと

 

思うんですよね。

 

(おそらく・・・ですけど)

 

嫌な人がいたり、

 

不安な出来事があったり

 

そういうことがあって

 

そうなっちゃった、って

 

ことだと思います。

 

 

それを「ポジティブにしなきゃ」

 

って思ったら、自分はどうなりますか?

 

ネガティブに感じたのに

 

それは違う、それはダメなんだって

 

言われたら・・・。

 

それは紛れもなく“自己否定”です。

 

 

嫌なことは嫌なままでいいんです。

 

それが自分の感じ方だから。

 

そう感じるんだねぇ。

 

それでいいんだよ。

 

じゃあ、そういうところからは

 

離れようねぇ。

 

それだけです。

 

物理的に離れられない場合も

 

あるでしょう。

 

職場に嫌いな人がいるとか。

 

でも嫌いな人ばかりじゃないですよね?

 

嫌いな人にそんなに注目しなくても

 

いいんです。

 

馬の合う人の方に向いていれば

 

いいだけです。

 

 

だから「ネガティブな感情」も

 

自分の好きに感じさせてやってください。

 

それで嫌な感じのものや不安や恐れを

 

感じるものからは離れればいいんです。

 

注目するとどんどん集まってくるので

 

注意しましょう。

 

 

自分を大切にしてください。

 

大事なことです。

 

自分を通して、嬉しさを感じたり

 

望みを叶えたり、人を助けたり

 

世界をより良くしたり、するのですから。

 

 

真面目でまっすぐなあなたに

 

「ぴーす」を。

自己肯定感って、たまに

 

聞くけど、漢字だとむずかしく

 

みえますね。

 

 

でもじつは簡単。

 

美味しいものを食べるだけで

 

良いんです。

 

それだけじゃないんですけどね。

 

美味しいものを食べると

 

幸せな気分になれます。

 

世間的に美味しいものや

 

高価なものということでは

 

ないです。

 

自分が好きなもの、という

 

基準で選ぶことが大事です。

 

鰻がいいんだよ。と周りで

 

ささやかれていても、

 

自分が大根おろしののった秋刀魚が

 

最高に好きなら、秋刀魚を食べるんです。

 

最新の音楽より、学生のことから

 

好きだった曲を聴く。

 

流行の映画よりも、何度見ても

 

涙してしまう、古い映画をみる。

 

 

「自己肯定感」なんて漢字で書くから

 

むずかしくて、大変なことのように

 

思ってしまうんです。

 

でも漢字でも最後に書いてありますよね?

 

「感」って。

 

これって感覚でってことです。

 

そんな感じがするってだけのことです。

 

自分の好きな事をしてください。

 

好きにやらせてやってください。

 

それでいいよって。

 

なんでもいいよって。(笑)

 

そうすれば幸せな感じがします。

 

それが「自己肯定感」です。

 

嫌いな人のことばかり考えている

 

場合じゃないですよ。

 

自分の姿をもっと思い浮かべて下さい。

 

まずは「ありがとう」と言いましょう。

 

いつもがんばってくれています。

 

そして、何がしたいか聞いてください。

 

そして、そっと背中を押してあげてください。

 

それやっていいよって。

 

 

いつもやさしいあなたに

 

「ぴーす」を。

人が生きている意味はなかなか見つからない。

 

意味なんてない、全然ないと思って

 

しまうこともある。

 

でも、仕事なんかしてて「手伝いましょうか」と

 

ちょっと声を掛けられただけで、嬉しい気持ちになる。

 

自分も大きな荷物を抱えている人に「開けますよ」

 

と言って、扉をあけてあげる。

 

自分や相手が少しでも喜んでいられたら

 

まわりまわって世の中がほんのちょっと良くなる

 

ほんのちょっと気持ちよく過ごせる。

 

それも生きている意味になるんじゃないかと

 

思います。

 

 

今日も、すべての人に「ぴーす」を。

 

 

「自分」を変える必要はない

 

ということを、以前書きました。

 

それはその通りなのですが、

 

また別の側面から見てみると

 

自分を変えることは出来ない

 

ということも言えます。

 

変えようとすることは出来ても

 

変えることは出来ません。

 

なぜならば「自分」など存在

 

しないからです。

 

存在しないと言ってしまうと

 

じゃあ、これを読んでいるのは誰?

 

書いたのは誰?

 

となってしまいますが、

 

存在しないというより

 

区切れないということです。

 

人は人との関係の中で

 

生きています。

 

すべて関係性なんですね。

 

 

「自分とは何か」を考えてみると

 

分かります。

 

名前が合ったり、どこに住んで

 

何をしているか・・・色々属性は

 

ありますけど、「自分」そのものを

 

的確に表せるものはありません。

 

周りの条件で絞り込み、はじめて

 

自分らしきモノの形が見えてくる

 

というものです。

 

「もし自分1人が無人島にいたら」

 

みたいな例えがありますが、そもそも

 

他人が居なければ自分も存在

 

しないのではないでしょうか。

 

人と人は宇宙を構成する細胞の

 

一つ一つだと思います。

 

私たちが体の細胞一つ一つを

 

気にしたり名前を付けたり

 

しないように、宇宙も人一人一人を

 

個別に気にしてはいないのです。

 

全体として存在しているわけです。

 

そこから「自分」という個を区切るのは

 

ナンセンスというものです。

 

「自分」というのはあるようでないもの

 

たしかに存在はしているけど

 

関係性の中でしか生きられない

 

個として取り出すことは出来ない

 

ものということです。

 

他人が居なければ存在できないし

 

自分が居なければ他人も存在

 

出来ない。

 

「すべては一つ」とはそういうことなのだと

 

思います。

 

 

今日も人にやさしく、たのしく

 

「ぴーす」に過ごしましょう。

自分とは今の自分のことです。

 

何か改善したり、止めてみたり

 

付け加えてみたり。

 

そんなことをすると自分では

 

無くなってしまいます。

 

今の自分が自分だからです。

 

自分 + 何か = 自分ではないもの

 

自分 - 何か = 自分ではないもの

 

足しても引いても自分ではなくなります。

 

実際、「自分」というのは少しづつ変化

 

していくので、ずっと同じ自分では

 

ありません。

 

でも無理に変えることはないんです。

 

自分は自分のままが一番自然で

 

一番求められている姿です。

 

今の自分にある全部の要素が

 

集まって「自分」なんです。

 

この「全部」というのが大事で

 

本当に「ぜ~んぶ」という意味です。

 

良いところ・悪いところ、

 

ポジティブ・ネガティブ

 

好き・嫌いなど色々あると

 

思いますが、それら全部です。

 

すべてが自分です。

 

だから「そのまま」がいいんです。

 

 

今日もそのままの自分に「ぴーす」を。

人生ってどんなものかというと

死がベースにあるとしか思えません。

生まれ変わったりすることが

あるかないかはよく分かりませんが

どう考えても、生きている時間の

方が短いような気がします。

西暦だけ見ても2020年なのに、
 

人生は80年程度なので。

死んでいる状態の中で


突然生まれて、何十年か経ったら

 

また死の世界へと


戻っていきます。


そうすると、すべてが借り物だなぁ

としか思えなくなります。

洋服、車、家、土地、そして体・・・

すべてが借り物であって、


どんなにうまく集めても
 

どんなに多く手に入れても
 

最後には返さなければなりません。

 

その後残ったものは誰かのものになるか、

 

処分されることになるでしょう。
 

まさに「レンタル人生」です。

 

 

だから、何かを手に入れることは


そんなに意味がないのかもしれません。

かといって、「経験」というのものなら


集めて意味があるかというと

 

そうでもありません。

 

持っていけないということに
 

関してはモノと一緒です。
 

でも「経験」はその場での楽しさや


嬉しさがありますよね。
 

その場限りでも楽しい方がいい。

 

感情はその場で湧いて消えて

 

しまうけど、ポジティブなものなら

 

味わった方がいいということです。
 

感情を味わうためにモノは存在

 

しているのではないでしょうか。

 

そういうスタイルでモノと関わると

 

良い距離を保てると思います。

 

 

モノは借り物として大切にして、

 

集めることではなくて、それを

 

使って人生を楽しむことを

 

優先して共に歩んでいきましょう。

 

自分の身体でさえも

 

自分のものだと思わず

 

借り物だと思って、最後には


返却するものを思って

 

大切にしましょう。

 

 

今日もあなたの存在に「ぴーす」を。

人は皆「人生」という名の道を


歩いているのですが、その道は2つあります。
 

「動く歩道」と「自作の道」です。

 

動く歩道は、とにかく楽です。
 

登らないバージョンの

 

水平なエスカレーターですね。

 

乗っただけで自動的に動いて


どこかへ連れて行ってくれます。


だだし、どこかに連れて行かれる
 

だけでそこが自分の望む場所とは

 

限らないのが欠点です。


うまく自分の目的地に当たった場合は

 

一番いいかもしれません。
 

ただその確率は低いでしょう。

 

自分で自分の目的地すら

 

分かってない場合も多いので。

 

 

一方、自作の道を歩く場合、

 

道なんて見えてないこともあり、

 

道を作りながら進むという前提です。

 

ただ踏み固めて道にするだけでなく、

 

場合によっては 大きな岩をどかしたり、

 

横切っている川に橋を架けないといけない

 

かもしれません。
 

結構苦労すると思います。
 

でも自分の決めた所に行けるので、

 

そこが大きなメリットです。

目的地が分かってなくても、都度

 

修正しながら進むことができます。

 

 

到着後、のことはどうでしょうか。

 

動く歩道は楽だけど、目的地にうまく着いた


場合でも実は物足りません。
 

人生では目的にに着くことだけが

 

目的ではないはずです。
 

たどり着く「過程」に思い出や満足感、達成感が
 

付随してくるのだと思います。

 

旅と同じですね。

 

宿に着くことだけが目的ではなく

 

道中の様々な出来事が旅の醍醐味

 

だということです。


とすると動く歩道では付随するものは薄くなると
 

言わざるを得ません。
 

自分の足で道を歩いて行くことは、苦も楽も含め
 

「思い出の塊」であることでしょう。

どちらが良いという議論ではありません。
 

ただ主体性を持って自分で工夫などして
 

歩いて行くことはとても面白いという実感が
 

あります。
 

自分の判断で選択していくことが

 

人生を楽しくすると確信しています。

 

 

今日もあなたの“選択した人生”に

 

「ぴーす」を。

 

失敗は早くたくさんしましょう。


と言われて素直に


「うん、そうだね」と


うなづけますか?


それはイヤだなぁと思うことも


多いと思います。

 

ある日「すごいアイデア」を


思いついたとします。


実現したら、そりゃあもう


世の中がひっくり返る


ほどの発明です。

それを実現するための計画を


立て始めて30年・・・。


思いついた時30歳だった


としても、もう60歳ですよ。
 
これじゃどうにもならない


ですね。

もうちょっと早く

始めてみればいいのに

って思いますよね。

「始める=スタート」です。

アイデアを思いついたり


実行する為の検証や方法を


考えるのは、全部スタート前のこと


なんです。

 

どんなに細かく考えてもスタートより

 

先のことではありません。


だいたい条件がすべてそろうなんてことは
 

そうそうありません。

 

だから30年もかかってしまうんです。

けど、実行したらもうスタートラインは

超えています。

 

30年も悩まなくてもスタートラインを

超えることが出来るんです。
 

そしてスタートすると初めて
 

「失敗」が出てきます。
 

スタート前は失敗しないんですよね。


検証やら計画を立てている段階では
 

検証なのでミスがあっても、当てが外れても
 

「失敗だ」とならないんです。
 

そういうのを含めた“検証”なので。

だから「失敗」はスタートした後に

起こります。

失敗はダメな事なんでしょうか。

 

それはちがいます。

 

スタートしてからしか失敗しない

ということは、
 

「失敗したこと=実行したこと」

 

ということです。

失敗したということは、

 

かならずスタートを切ったという

 

立派な事なんです。

 

そして実行することで得られるもの

ほど正確で間違いがないです。

実際に行ったうえでの失敗ですからね。

机上の空論ではありません。

実際に分かった「失敗」部分を改善すると

 

格段に成功しやすくなります。


だから、

【失敗←―――→成功】

こういう図式はありません。

【スタート→失敗→失敗・・・→成功】


これが正解です。

スタートなくして失敗なし、

失敗なくして成功なし。
 

いきなり成功したらしたで

 

良い事なんですけどね。

 

失敗したら成功に近づいたと

 

いうことです。

 

 

今日も成功に近づくあなたに

 

「ぴーす」を。