「嫌いな人」には目にしない
方がいい、なんて書きました。
たしかにそうなんですが、
目にしなければだんだんいなくなる
なんてことはならず
常に一定数の「嫌いな人」は現れます。
「嫌いな人」とはなんでしょう。
話の合わない人、一方的に言い放つ人
空気感が合わない人、攻撃的な人・・・
単純に言うと波長が合わない
対立する人という感じですね。
さらに突き詰めると
「自分とは違う人」となると
思います。
自分と同じような人であれば
共通点なんかが多いので
嫌いになりませんよね。
だから「嫌いな人=違う人」は
ほぼほぼ当たっていると思います。
当たっていると言いながら
逆のことをいいますが
嫌いな人⇒違う人にはなっても
違う人⇒嫌いな人には
やっぱりならないと思うんですよ。
嫌いな人には判断が入っていますよね。
あっ、この人は違う人だ
“どうしよう、嫌だな。”
これです。
この「嫌だな」は感想というか
感情というか、自分の価値観による
判断なんですよね。
だから無くてもいいんじゃないかと
思います。
あっ、この人は違う人だ
(終わり)
これですよ。
人はみんな違うんです。
顔から考え方から何もかも
違うんです。
共通点がある方が奇跡だ
くらいに思っていても
いいんじゃないでしょうか。
みんな違った価値観で
それぞれの大事なものが
あって、だからこちらから見て
良いだの悪いだのの判断は
出来なくて正解なんです。
それでも、ものすご~く
嫌な人もいます。
人は不完全な存在なんです。
仕方ありません。
反面教師ということも
ありますよね。
そういう人を見るから
自分が成長できる。
自分の成長に欠かせない存在
なんです。
嫌な人は階段のステップです。
段差ですよ。
目の前に5mのカベがあれば
当然登れません。
でも、階段状に段を積み重ねて
いけば、やがて壁の上に
到達できます。
段差があるから上に登れる
自分が成長出来るんです。
だから、ものすごく嫌な人には
「いつもご苦労様です。
(段差としての活躍)
ありがとうございます。」
と思うのが正解です。
()内は心の中で思うのが
ベターでしょう。
判断しないで終わりにしたり
段差だと思って感謝したり
していれば、自分の不完全さも
同じように大目に見て
やさしく許してあげられるように
なってきます。
うまくいくようにできている
自分に「ぴーす」を。