褒められたら嬉しい

 

これに異論はないと

 

思いたいところですが、

 

人によってはそうでもない

 

ようです。

 

それは、あきらかに

 

ごますり的であったり

 

むりやり褒めようと

 

しているのが分かる

 

ときがあるからです。

 

 

その時の相手の意図は

 

なんでしょうか。

 

あなたに好かれたいのでしょうか。

 

何かしてほしいのでしょうか。

 

真意は分からないことも

 

ありますが、確実なのは

 

あなたのことを“めちゃくちゃ

 

嫌いではない”ことです。

 

嫌いだったら、まず近寄らないし

 

声すらかけません。

 

だから、裏があったとしても

 

あなたに好かれたいと思っていたり

 

なんとか良い関係になりたいと

 

思っていたりしているのです。

 

そして、そこに向かおうとしている

 

ということは今現在もそこそこの

 

関係性だということです。

 

 

だったら、褒められたときは

 

喜んじゃいましょう!

 

「そうですか、ありがとう」

 

「とてもうれしいです」

 

それでいいじゃないですか。

 

人生という時間は限られているし

 

時間は進んでいってしまします。

 

「ちょっとだけ待って」といっても

 

ずんずん進んで行ってしまいます。

 

自分が喜んだという事実が大事

 

なのです。

 

人生の中で喜んだ割合と悲しんだ割合

 

どっちが多い方がいいですか?

 

少しでも喜んだ割合が高い方が

 

いいと思うのが人の心情です。

 

喜んだ割合が多い方が

 

幸せですからね。

 

他人からのアクションを

 

喜んでしまうのも「自己評価」が

 

高いことの現れです。

 

なんなら自分で自分を褒めてしまうのも

 

有効だと思います。

 

どんどん喜んでいきましょう!

 

 

あなたの大切な1日に「ぴーす」を。

去年の5月に書いた記事

 

「階段の法則」

 

自分でも日々に活かしています。

 

壮大な目標も達成できてしまいます。

 

「○○円の資産を持つ」なんて

 

ちっぽけな目標よりもそれを

 

使って、自分の成長や、世の中

 

の向上、価値の増強を目指す方が

 

より楽しく登っていけます。


前回の記事

 

「物事は自分の見たいように見れる」

 

では、こんなことを書きました。

 

「“自分で選択する”ことを 

意識してもらいたい」

 

よく自己実現系の本に出てくる

キーワードがあります。

夢は叶う 出来ると思えばできる


思考は現実化する、目標設定が大事、


目的意識で結果が決まる、心のままに


感情に従う・・・など様々ですが、

これらはすべて

 

「自分で決める」

 

ことに集約されます。

 

自分で選んでそれに

 

「決める」ことが

 

それほど大事なのです。


「自分で決める」の2つの要素を見ていきましょう

「自分で」は自分です。


自分基準ということです。


「みんなが」というあいまいな


ことを考えていては進みません。


それを言い出すと

 

話がボヤケるだけです。

 

「みんな」という人はいないからです。


「みんな」と思ったときはひどく


抽象的だと思ってください。


もっと具体的にしてください。

 

「みんなが言っている」?


みんなとは誰と誰と誰ですか。


なんと言っていたのでしょうか。


そう言っていたのはその誰かと誰か


だけですか?


全部で何人いるのでしょうか?


何人に聞いて何人がそう言っている


のでしょうか。


突き詰めて下さい。


「みんな」なんていない事がわかります。


全体の何割の人がこう言って


残りの何人かがこうじゃないかと

 

言っていると分かってきます。


具体的にしたうえで

 

それは参考程度として

 

「自分はどう考えているか」

 

を重視します。


次に「決める」はどうでしょうか


決めるとは「選ぶ」ことです。


複数の中から選んで決めるのです。


何を決めるのかと言えば


「すべて」です。


決める決めないの間は無いと


考えて下さい。


自分で決めてやって事以外は


全部、誰かに決められて

 

行ったことになります。


決められてやったことは


流されてやったことになります。

だから何をするにも自分で

 

「決めて」から行動してください。


仕事とかなら他人に言われて

 

指示を受けて行う業務もあると

 

思います。

 

そこでも、自分で選んで決めて

 

行動することがすごく大事なんです。

 

その指示を受けて、やるかやらないか

 

従うか従わないか、従いながらどう

 

自分のやりたいようにやるか。

 

それを考えてから動いてください。

 

 

受け身で流されていても


時間は止まるわけもなく


人生は流れていきます。


でもたった一つ
 

自分で決めていく、

 

ことを意識しておく。

それだけで人生はうまくいくんです。

うまくいくのと成功はちょっと

違います。

「成功」は客観的に見てうまく

行っているわけで、人からの

評価を得られる相対的なものです。

だけど「うまくいく」方は

うまくいっている感じがする

だけです。

比べるとしょぼい感じが

するかもしれませんが、

感じるのは自分ですから

環境や条件に左右されない

という強さがあります。

うまくいっている感じがする

人生ってどうですか。

身体がちょっと熱い感じが

しますよね。

流れに乗っている感覚です。

 

自分で決めたことは例外なく

 

主体的になりるので、

 

うまくいっている感じがしやすく

 

なるのです。

それが最初に言った意味の

「成功」にもつながっていく

からさらにうまくいくんです。

 

 

今日もこの世界に「ぴーす」を。

物事は自分の見たいように

 

見れる、ということを

 

再認識する時期に来ている

 

と思います。

 

お騒がせウイルスの

 

影響で外出を始め様々な

 

ことの自粛が要請されています。

 

基本的に家にいるという状況が

 

多くなっていると思います。

 

環境変化によるストレスや

 

うつの話題も見かけます。

 

でも、そんな情報が多くても

 

読み取り方は自分次第です。

 

「自分で選択する」ということを

 

意識してもらいたいです。

 

家族そろって家で過ごすのは

 

そんなに大変ですか。

 

料理の手間だとか、

 

自分の時間が取れないとか、

 

色々耳にしますけど

 

自分としてはいたって幸せですね。

 

皆で遊んでもいますし、

 

学校がないぶん、勉強も一緒に

 

やってます。

 

でも、ある程度は個人個人の

 

時間も持つようにしています。

 

見えるとことにいて安心感も

 

ありますし、楽しいです。

 

自分にとっては家族といることは

 

いいことになってます。

 

やはりどう見るかというでしょう。

 

 

格言もだいたい両サイドから

 

言っていることがあります。

 

「善は急げ」と

 

「急いては事を仕損じる」

 

急ぐか落ち着いてやるか

 

それは今の自分にとって

 

合う方を選べばよいわけです。

 

言い訳の為に使うのではなく

 

自分の良心にしたがって

 

使えばどちらも正解と

 

なりえます。

 

すべての人に当てはまる

 

格言はありません。

 

自分に都合よく、行動しやすい

 

ように使っていけばいいんです。

 

 

誰だって日々進化するので

 

意見も言ってることも

 

変化します。

 

それでいいんです。

 

そういうもんなんです。

 

決定的な正しさというのは

 

多くありません。

 

ほとんどないと思っていた方が

 

正解です。

 

だからこそ「最悪だ」と思った

 

ことも、「よかった」と思える

 

日か来たりするんです。

 

悲観的になる事ばかりが

 

起こっているわけではありません。

 

悲観的なことが多いように感じたら

 

悲観的にとらえている自分が

 

いるということだけが事実

 

だと思います。

 

どう捉えるのも自由ですが

 

明るく楽しく、「ルンルン♪」と

 

なるようなモノの見方をする方が

 

僕は好きなのでそうします。

 

「真実は一つだけど、一つでは

 

ありません。」

 

矛盾しているようなこの言葉の

 

意味が分かってもらえたら

 

嬉しいです。

 

でも人が持つ信念も、人それぞれ

 

ですから、今回の話が合っていたら

 

使っていただいて、合わなかったら

 

読み飛ばして忘れて下さい。

 

役に立つ“時が来たら”思い出して

 

使ってもらえたらうれしいです。

 

信念は貫くのもいいですが、

 

信念を変えていくのも、いいもの

 

だと思います。

 

「信念=自分」ではなくて、

 

自分がより良く生きていくための

 

道具として使うということです。

 

好きなように世界を見て

 

生きましょう。

 

 

今日も世界の同士に「ぴーす」を。

以前、「頑張りすぎるのって損?」

 

という記事を書きました。

 

 

「かる~い気持ちで

 

いつも“自分は天才だなぁ”と

 

思っている。

 

そうすると生きやすい」

 

そんな内容でした。

 

 

その中で、「天才ではあるけど、

 

100%完璧な人間ではない」

 

とも書きました。

 

ココがポイントです。

 

 

人は不完全なもの、と

 

割り切ることが大事です。

 

完全なものって

 

神様みたいなものなんです。

 

そんな人いません。

 

完璧にできたら人じゃない

 

とも言えます。

 

神様といっていいのか

 

分かりませんが、そういう

 

宇宙的なモノは統一体

 

なんですよね。

 

「すべては一つ」なんて

 

よく聞きますよね。

 

完璧というのはその「1つ」

 

ということなんです。

 

でも人間は一人じゃない

 

そこから分けられたもので

 

あるということです。

 

元は神様というか、宇宙というか

 

そんな大きな一つのものかも

 

しれません。

 

でも、個人個人の人としては

 

分けられたものなんです。

 

だから、

 

「不完全で当たり前」

 

ということです。

 

分けられた分、何かが

 

不足していて

 

何かに特化していると

 

いうことでいいんです。

 

だからうまく協力し合うと

 

元の統一体の力を生みだせる

 

こともあるかもしれません。

 

 

不足があっても一人一人が

 

天才であることは間違いありません。

 

 

自分の評価を他人に頼るのは

 

止めてください。

 

周りを取っ払った、素の自分を

 

自分を天才として信頼して

 

充足感を持ってみてください。

 

沈黙の時間を持って

 

自分の中に入り、心を

 

透明な球状のものとして

 

磨き上げるイメージで

 

自分と向き合ってください。

 

 

今日も世界に「ぴーす」を。

 

ウイルスの騒ぎが大きく

 

なってきて、なぜか周りに

 

増えてきた人たちがいます。

 

「こんな時だからこそ」

 

というキーワードで

 

人を助けたり、人の役に

 

立ちたいと思う人たちです。

 

とてもいいことだと思うし

 

助けてもらえると、とても

 

ありがたいです。

 

 

でも、どうしてもひっかかるのは

 

「こんな時だからこそ」

 

という言葉です。

 

なにがひっかかるのか

 

考えました。

 

「こんな時だからこそ」が

 

ないと、他人の為に何か

 

することはないのだろうかと

 

いうところがひっかかったんだと

 

思います。

 

自分自身は「「こんな時だからこそ」


という思いがまったくないことに

 

気づきました。

 

普段通りなんです。

 

人の為に何かしたいし、

 

助けられることは手伝いたい。

 

人の役に立てるところは

 

出来るだけのことをしたい。

 

日常のこと、なんです。

 

だから「こんな時だからこそ」

 

という条件がすごく嫌な感じに

 

響いてきます。

 

「こんな時だからこそ」できた

 

行動や気持ちを

 

「こんな時だからこそ」


が終わっても

 

ずっとずっと持ち続けて

 

日常のこと、普通のこと

 

ごく当たり前なことにして

 

もらえたらなぁと思います。

 

 

でも、一時的でもなんでも

 

やっぱり人が助けあうってのは

 

いいもんですね。

 

それを教えてくれた周りの

 

人にもやっぱり感謝です。

 

 

今日も世界に「ぴーす」を。

 

がんばりすぎてしまう

 

人は、人に認められたいから

 

がんばって、認めてもらって

 

それで「自分ができる」って

 

確認したい。

 

そんな思いで人は頑張り、

 

時には頑張り過ぎてしまう

 

のだと思います。

 

 

解決策としては

 

自分を好きになる、という

 

ことなのですが、

 

正直それが僕にはわかりません。

 

「好きになれない」というのでは

 

なく、「好き過ぎて」です。

 

自分のことって好きですよね?

 

いつも「自分は天才だなぁ」と

 

ついつい思っていまいます。

 

皆さんはどういう感じでしょうか。

 

自分のことを

 

あんまり好きじゃないなぁ、という人も

 

考えたことないなぁ、という人も

 

考えてみてください。

 

めっちゃ自分好きな人もいると

 

いうことを。

 

そんなに重い想いではないですよ。

 

かる~い気持ちで

 

天才的な才能だと思ってます。

 

折り紙折ったり、床を補修したり

 

庭の木を切ったり、蛇口を掃除

 

したりした時です(笑)

 

出来たこと自体や仕上がり具合に

 

惚れ惚れしてしまいます。

 

多少失敗しても

 

あぁ、自分としたことが・・・。

 

と思うだけです。

 

まさに、本当は出来るのに

 

たまたま失敗しただけ、という

 

ような言いぐさです。

 

天才の能力を持ってしても

 

できなかったかぁ、もよく思います。

 

(天才の)自分にできなかったんだから

 

仕方ないなと、そんな感じです。

 

100%完璧な人間だと思っている

 

わけではありませんよ。

 

うまくできないこともあります。

 

でも「まぁいいじゃない」

 

(ほかが天才的なんだから)

 

(天才とはそういうものだよ)

 

(一部が特化しているから

 

他のことが犠牲になるんだよ)

 

くらいに思ってます。

 

そういうのも楽ですよ。

 

自分の評価を他人に頼って

 

いる人は、こういう人もいるって

 

ことを考えてみてください。

 

 

実は自分はすごいって証拠は

 

いたるところにありますよ。

 

生まれる確率とか

 

いま存在している事とか

 

太陽がもう少し近づいてたらとか

 

いつのまに呼吸しているのとか

 

空気が今日からなくなったらとか

 

自分がすごいのか、自然がすごいのか

 

自分が自然の一部なのか、

 

秩父なのか・・・

 

(秩父は関係ありません)

 

いろいろ見ていくと、

 

「なんだかすごい!!」

 

ってことな見えてきます。

 

 

みなさんの楽しい人生に

 

「ぴーす」を。

何者かになるためなのか、

 

悟るためなのか、わかりませんが

 

瞑想法とかそういうものが

 

世の中にはたくさんあります。

 

やり方(言い方)は色々あります。

 

でも、悟ることの実際は

 

とてもシンプルなことだと

 

自分は思ってます。

 

 

基本的にやる事と言えば、

 

「生きていることを感じる」

 

だけです。

 

例を挙げてみましょう。

 

息をする。 これは呼吸を

 

感じるということです。

 

吸います、吐きます、吸います・・・

 

これを感じるということは

 

生きていることです。

 

これは「呼吸だから」ではありません。

 

他の動作でも同じです。

 

いまこのブログを見てくれている

 

わけですが、それは

 

「見る」という行為です。

 

文字を読むということも

 

その瞬間生きているといことです。

 

文字以外でも、見ること

 

見たものを認識することは

 

生きているということです。

 

見る、聞く、話す、動く・・・

 

他に、座る、横になるなど動かない

 

こともすべて生きている事です。

 

その行為自体が「生きている証」と

 

いえるのです。

 

いまやっていることに「生きている」ことを

 

感じましょう。

 

その動きは「生きていること」

 

そのものです。

 

「生きていることを感じる」ことが

 

「悟り」です。 

 

とくに難しいことは無く、

 

修業が必要なわけでもなく、

 

時間もかからずに

 

悟ることが出来ます。

 

次の瞬間、悟れていない場合も

 

ありますが、また次の瞬間悟る

 

こともできるわけです。

 

思考を止めた方がいいとも言われますが、

 

「思考」という行為も

 

生きている実感のひとつなので

 

思考しているな、と感じることも

 

悟りであると言えます。

 

だから「悟り」はすごい人間

 

超人、そういうものになることでは

 

ないということです。

 

ごく自然なものであり、

 

「私、悟ってます」というような

 

ものではないということです。

 

 

今日もあなたの人生に

 

「ぴーす」を。

 

突然ですが、自分の

 

王国に住んでいるでしょうか。

 

「自分の宇宙」などと

 

表現する人もいますが

 

僕はその表現が好きでは

 

ありません。

 

宇宙っていうと大きすぎて

 

逆に自分が小さく見える、

 

それはイヤなんです。

 

 

「自分の王国」に住んでいると

 

考えてみてください。

 

自分の王国というのは

 

自分“だけ”の王国です。

 

他に人はいないと考えます。

 

王国の中には、ですよ。

 

実際周りに人はいますが

 

それは「別の王国の人」と

 

考えるんです。

 

そうすると人間関係も

 

国同士の関係ということに

 

なります。

 

ちょっと距離があって

 

客観的な感覚が保てると

 

思います。

 

あと自分の王国では

 

自分が王様である、と

 

いうことも大きな特徴です。

 

「一国一城の主」これが

 

いいんですよ。

 

王国内のルールは

 

王様である自分に

 

委ねられます。

 

自分の価値観で自由に

 

ルールが決められます。

 

他人がそれは虫が良すぎる

 

んじゃないの、なんて言ってきても

 

問題ありません。

 

それは他国の王様の意見です。

 

自国内では自分のルールが

 

適用されるので、

 

ふーん、そうですか。と

 

聞き流しておけばOKです。

 

ぜひ今日から王様気分で

 

過ごしてください。

 

「気持ちは明るく軽く」が基本です。

 

 

今日もあなたの明るさに

 

「ぴーす」を。

 

 

ないの

自分という存在は

 

ずっと存在してきた、と

 

思います。

 

今自分がいることが

 

その証拠と言える

 

でしょう。

 

それは当たり前でしょうか。

 

寝ることは、死んでいる状態

 

に近いということもできます。

 

次の日起きるかどうか

 

誰が決めているのでしょうか。

 

次の日起きるのは奇跡とも

 

言えると思います。

 

命が繋がれたということです。

 

そこに必要性があったのでしょう。

 

自分が生かされる必要性。

 

何かの使命があるのだと

 

思います。

 

自分が今日も生かされた

 

ということは、何か自分が

 

やるべきことがあるという

 

ことです。

 

その命も、自分から始まった

 

わけではなく、先祖代々

 

受け継がれてきたものです。

 

すべての集約が今です。

 

今の自分が歴史上最新で

 

最高のパワーを持っている

 

存在です。

 

今日も命を繋いでいただいた

 

ことに感謝しつつ、

 

良心に従ってやるべき

 

ことをしましょう。

 

 

あなたの一日に「ぴーす」を。