心の元気事典 -5ページ目
自由とは何か
漢字で見ていくと
自由の「自」は
「自分」ということで
良いと思います。
自由の「由」は
調べてみると
由来の「由」であり
もとづく、よりどころ、
したがう、たよる、など
の意味と分かります。
合わせると
・自分にもとづく
・自分をよりどころとする
・自分にしたがう
・自分をたよる
ということになります。
こうして見ると「自由」
が見えてきますね。
見ての通り「他人」は
まったく関わってきません。
自分に従って、頼って
基づいて、拠り所として
行動するわけですからね。
とにかく「自分」次第
ということです。
別に他人を無視しろとか
危害を加えてもいいんだ
とか、そういうことでは
ありません。
自分の「良心」に従って
「愛」に基づいて
「楽しいな」と思える
行動をすればいいのだと
考えます。
他人が関わらないということは
責任も自分で持つ
事になります。
自由には責任が伴うわけで
自由の範囲も責任の範囲
と一致します。
自分の家くらいの責任範囲
であれば、自分の家くらいの
自由が手に入ります。
地球規模の責任を持つならば
地球規模の自由が手に入ります。
あなたはどれだけの
「自由(責任)」を手に入れたいでしょうか。
それは自分で決められます。
今日もあなたの自由ライフに
「ぴーす」を。
法則とは・・・
「一定の条件下で、事物の間に
成立する普遍的、必然的関係。」
調べればすぐに分かります。
しかし、世間の人?というか
自分の周りの人は
引き寄せの法則とやらを
なんとか実行したくて
奔走するわけです。
その関係の本でも
「こうすれば引き寄せられる」
「引き寄せるコツはこうだ」
みたいなものを良く見かけます。
引き寄せの法則がどうこうと
いうことは無いのですが、
自分は引き寄せるのでは
なく、自分がそこに行く
感覚の方がしっくりきます。
どっちが主体なのかという
話なのですが、引き寄せるのは
自分が「待つ」状態で
自分が「動く」方が楽しい
だろうということです。
それはそれとして
引き寄せの法則だとしても
「法則」というところは的確
だと思います。
冒頭の通り「法則」なのです。
「一定の条件下で」なんて
ありますが、引き寄せにかんしては
そんなものありません。
ないというか「人間であれば」
くらいの条件です。
この記事を読んでいる人には
100%当てはまると言って
いいでしょう。
そのうえで「必然的に成立する」
ものなんです。
わかりますか?
引き寄せの法則というものは
必然的に成立するんです。
100%そうなるものということです。
だから「うまい引き寄せ方」
なんてないです。
思っていることがそのまま起こる
それだけのことです。
しかも必ずです。
楽しそうに「大変だったんだよ~」と言う
“そんな風に話したい”という思い
があるから日々大変なことが
起こるんです。
大変なことを求めているんです。
だから大変なことがありそうな
所に向かっていくんです。
それを話したいから
「大変だったんだよ~」って
言いたいから。
「もっとお金がたくさんほしい」は
“お金がたりないなぁ”という
思いではありませんか?
「もっとハッピーになりたい」は
“なんか平凡だなぁ、つまらないなぁ”という
思いではありませんか?
その“思い”そのまま叶ってますよ。
幸せを感じたら幸せですよ。
今日もあなたに「ぴーす」を。
生きていてよかったですね。
この文章が読めている
ということはそういうこと
でしょう。
喜ばしいことです。
でも、本当は次の瞬間って
分からないですよね。
生きている保証って
ないものなんです。
なかなか生活習慣を
あらためられない人が
余命○○年って言われると
生活習慣を改善できたりする
と聞きますが、よく考えれば
余命なんて見えていないだけで
余命1秒でも全然おかしく
ないわけです。
生まれた瞬間から死と隣合わせで
なかったことは一度も無い
ってことですね。
常について回っていると
いうわけです。
でもこれは怖い事でもなくて
生きている証拠でもあるわけで。
生まれただけでも、何億分の一かの
奇跡だというのに、その生がいままで
続いてきたなんて
奇跡の中の奇跡としか
言いようがありません。
余命なんて考えていたらあまり
気分は良くないですが、
今も、今も、また今も
生きていてよかったな、と
常に感じていてもいいと
思うんです。
だからこそ、常に感謝が
できるんですね。
僕自身にも誰にとっても
言えることです。
明日やろう、あとでやろう
そんなこと思っていませんか?
出来ないかもしれませんよ。
やるなら今しかありません。
確実にできるのは「今」しか
ないのですから。
この記事を書き終えるまでは
生きていられました。
感謝です。
今、同時期に生きている
みなさんに「ぴーす」を。
これからどうしようか、と
考えたりしていませんか?
そこから間違っていると
考えてみるもの面白いです。
人生というものは何かをしないと
いけないんでしょうか?
なにかを得たり、なにかになったり
しないとダメなのでしょうか?
将来の夢や希望が必要ですか?
僕はそれはいらないと思ってます。
夢や希望を聞かれても
まったく答えられません。
たぶん必要と思ってないからです。
じゃあ、何をするのということに
なりますが、思ったことをすれば
いいんじゃないでしょうか。
言ってみれば「能天気」で
いるのがいいと思います。
人と比べて何か欠けてると
気づいても別にいい。
他人や世間のことで
気になることがあるけど
気にしない。
浮かんでくることで
気を揉まずに歌ったり、
踊ったり、笑ったりする。
そんな日常でいいと
思うんです。
一通り終わるとまた周りのことが
気になったりしますけど。
また、歌ったり踊ったり笑ったり
しましょう。
人生はカタイよりもゆるい
方が正解だと思います。
今日もゆるい人生に
「ぴーす」を。
○○するべき、という
言い方はあまり好きでは
ありませんが、
持っておきたくない
ものというものが
いくつかあります。
まずは、前回の話でもある
「常識」
これは世間の価値観ですね。
刻一刻ととまでは
言いませんが、
変化していくものです。
自分の人生の指針に
なるようなものではありません。
次は「悪い知らせ」
ニュースとかは悪いものが
多いんじゃないでしょうか。
見る必要がありますかね。
悪いもの・コト特集で
気分も愉快でないなら
見ない事をおすすめします。
次は「たくさんのもの」
たくさん物があると壮大・・・
というわけにもいかず。
なんとなく疲れた感じが
するものです。
自分が長くいる場所
デスク周りやリビング。
リラックスしたい場所
お風呂や庭など。
そういった場所は
ごちゃごちゃさせないよう、
毎日片付けましょう。
結局、不要なのは外からの
価値観なんですよね。
他人の考えや世間の暗い
知らせ、どこかから送り
込まれてきたもの。
外からやってきたものが
自分を不自由にする
可能性があります。
自分の内側から来るもの
気持ち・感情を優先して
良さそうな方に向いて
生きましょう。
今日もあなたに「ぴーす」を。
自分を大事にすることは
大事ですが、甘やかすのは
ちょっと違います。
甘やかせると何もしない
感じになって、続けていると
つまらないと思えてきます。
それが自分を甘やかす
ということです。
本当に面白いのは
自分を成長させることです。
自分を磨く感じでしょうか。
それは磨けば磨くほど
光輝いてくるので
終わりはないし、
とても楽しいです。
自分がどんどん成長して
いくんですね。
で、それが何のために
なるかというと・・・
世のため、人のためなんですね。
でも、よく思う「世のため」というのは
ちょっと違います。
それは常識というか世間というか
そういうものが決めている
「世のため」だからです。
そういうのに合わせると
面白くないことになります。
自分も磨かれません。
自分じゃない物差し
だからです。
常識は時期によって
変わりますし、
地域によっても
変わります。
そのなものを基準として
自分を磨くことはできません。
やりたくないことをする必要は
ないんです。
世間の常識に合わせる必要は
ありません。
自分の納得できる
「世のため」になることが
できていればいいんです。
人に「それって、全然
世のために役立ってないよ」
と言われても関係ありません。
「人の為にもなってないじゃない」
と言われてもお構いなしです。
自分が
「世の中のためになってるなぁ」と
感じられればOKなんです。
“自分が”ですよ。
それが世間の常識と一致
して感謝されることもあるでしょうが
それはたまたまです。
常に合わせようとしては
いけません。
たまたま合ったときだけ
喜んでおけばいいんです。
今日もあなたの常識に
「ぴーす」を。
結婚記念日です。
「一緒にいて大変だった事って
何?」
そんな質問がありました。
ありません、というのが
正直な答えでした。
出来事として「大変な事」
というのは人生の中で
しょっちゅう起こることです。
でも、別に大変じゃないな
と思えてしまうもう一つの
要素があったんです。
「何が起きたか」よりも
大切なこと。
「誰といるか」
これに付きます。
結婚記念日だから
出かけようということで
計画をしました。
でも、子供が熱を出し
計画は一つも実行
できませんでした。
けど、結果はどうだったか。
最高の1日でした。
近所で食事をし、
近所のスーパーで買い物
家でなぜかミニチュアの
工作を2人でやりました。
たのしくて仕方がない
状態でした。
楽しさを生み出した要素は
「愛する人と一緒だった」
ということに尽きます。
それだけです。
起こる出来事は何でも
良かったんです。
それがあらためて分かった
ということも記念日としては
最高でした。
皆様も素敵な日々を
お過ごし下さい。
とにかく自分に最大限の
愛を注いでください。
ほとんどの人は
自分を責めすぎています。
いじめはいけません。
あなたは超優秀な
エリートです。
地球に生まれ出て
これまで○年間、生きてきた
ことがその証です。
だから自分に愛情たっぷり
注ぎ、ほめて、甘やかして
ください。
それしかないです。
それができるのは
あなただけです。
それで世界中、宇宙全体も
良くなります。
よろしくお願いします。
現実世界はそんなに
固定されたものでは
ありません。
「これが現実だ」と思える
ことも、実はそうでもないのです。
自分と他人では見る目線が
違います。
当たり前のようですが
違う目で見るのです。
でも、勝手に
同じものを見ているから、
“同じように”見ていると
思っていませんか?
例えばリンゴを見るとします。
私が見たら色は「赤」です。
あなたが見ても「赤」と
いうでしょう。
でも、その「赤」は同じ
赤ですか?
私は私の目に映るリンゴの
赤を「赤」といいます。
あなたはあなたの目に
映る赤を「赤」と呼ぶでしょう。
もし両方の目線で客観的に
見られる装置があるとして
私の目とあなたの目に映る
赤を比べたら違う可能性も
あるんです。
ただ日常ではそれぞれが
同じものを見た色に
「赤」という名前を付けて
いるので、支障はありません。
ちょっと話がそれてしまい
ましたが、現実は一つだと
しても、皆それぞれの
解釈の世界に生きている
ということです。
それぞれの世界なので
人の数だけ世界があると
いうことになります。
これは以前の記事でも
お話ししました。
(「77億個の地球がある」)
ということは、自分の
生きている世界
(自分なりの解釈の世界)は
自分だけのものということです。
自分が監督です。
「現実世界」というドラマ
というかお芝居というか
そういうものをやっている
わけです。
でも、眺めているだけではなく
主演も務めています。
監督であり、主演でもあります。
ここを混乱するから
悩んだりするんですね。
悩みのほとんどは
主演の方に偏った生き方に
よって生まれます。
ドラマを面白くするためには
主演には何かトラブルや
イベントが起こるものなんです。
何も起きなくて平穏無事では
盛り上がらないというか
面白くないですから。
監督としては波を起こすんです。
でも思い出してほしいのは
その監督も自分だということです。
主演にのめり込み過ぎては
いけません。
監督7:主演3くらいがベスト
ではないでしょうか。
面白くなってきても
主演5割までが限度と考えましょう。
多くの人は主演が8割とかに
なってしまっています。
監督であることを
思い出してください。
監督である自覚を養って
いくことが大事です。
本当の意味で他人はいません。
他人というのは主演以外の
キャストですから
役を演じてくれています。
監督の指示に従って
くれる仲間なんです。
主演の自分からすれば
共演者でしかありません。
他人の言動も行動も
監督である自分次第。
脚本は自分で握っているです。
他人に何か言われたら
気になりますか?
それは「言われた」のでは
ないですよ。
そういう風に「言わせた」のです。
それを忘れないように
して下さい。
今日もあなたに「ぴーす」を。
「魔法使いになる」と聞くと
どんな感じがしますか?
私はすごくワクワクした
気持ちになります。
なんでもできそうだなぁ
という楽しい気持ちです。
「魔法ってなんだよ」
「そんなものないよ」
と思う人もいるかもしれません。
それもあり、です。
ただ「魔法があるかないか」は
自分で決められる、ということ
言いたいのです。
実はなんにでもなれます。
何でもできます。
それには
「自分を納得させること」が
必要です。
自分を説得するのです。
そのために必要なのが
「定義」です。
「魔法使いになる」の例で
進めましょう。
魔法使いになるには
「魔法使い」を定義します。
条件は自分が納得できる
ことです。
私だったらこうすると
納得できました。
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「魔法」とは実は「言葉」のこと。
言葉という魔法で人生は
創っていける
自分の言葉が現実を
創っていく。
考える時も言葉を
使って考えている
ポジティブな言葉を
使っていけば
ポジティブな現実が
創られ、ネガティブな言葉を
使えばネガティブな現実が
創られている。
私たちは「言葉」という
「魔法」で現実を創っている。
魔法使いとは言葉を自分の
思い通りに操れる人のことだ。
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こんな風に考えたら
「魔法使い」は絵空事ではなく
現実に存在する、
テクニックを持った人なんだなと
思えました。
だから「定義する」ということが
大切なんです。
自分を納得させることです。
そのために「本を読む」のが
いい勉強になります。
本自体が大事ではありません。
大事でもいいですが、
どんな本を読んでもいいんです。
本から学んでもいいです。
本から学ばなくてもいいです。
それば、その本の通りではない、
ことを知るということでもあります。
そうじゃないんじゃない?と
疑問が出てもいいんです。
個別の本の内容はそんなに
重要ではないです。
著者は著者の考え方であり、
私は私の考え方です。
たまたま一致したら
同じだなぁと思うし
全然違えば、違うなぁと
思うだけです。
読んだ本を参考にして
自分が納得できる
「言葉をつくる」ために
たくさん読むんです。
言葉を操れるようになるために
読むんです。
そう、魔法使いになるために。
今日も魔法使いのあなたに
「ぴーす」を。

