時間は続く、そして戻らない…
今日、高校時代の友人と呑みました。
高校を卒業して以来の再会だったので、近況やら昔話をたくさんしました。
友人の話の中には、私も仲の良かった男子が事故ったことや、中学時代から続いていたカップルたちが別れた話もありました。
帰路につく時、友人と『じゃあまた!』と別れました。
もう『また明日!』ではないということに改めて気づきました。
時は流れて、大学に入学して4年目に入ろうとしています。
『また明日』と言う日はもう2度と戻らないんです。
いつも一緒に過ごした校舎や思い出は褪せることはないのに、思い出の中のあの日には帰れないんだなぁ…と感じた時、私の中に過ぎた3年の月日の重みが分かったように思います。
それぞれ違う場所で、自分の人生を生き、共に歩むパートナーと出会い、年をとっていくのだと実感しました。
だから私はまた友人と会いたいと思います。
戻れないならせめて、思い出を語り合いたいから。
今日のこの日に感謝して、また会える日を楽しみに待ちたいと思います。
ピアスについて
どーも一七です。
地震が続いていますね;
こういう時だからこそいつも通りの記事を書いていこうと思います。
私はピアスが好きです。
個数はまだ6個なのでそんなに多くありません。
今思えば、バイトをしていなかった時期に増やしておけばよかったなー
私は母のをいたずらして昔からイヤリングをつけるのが好きでした。
でも、長時間つけていると頭痛がするので、イヤリングは向いていない体質でした。
私の両親は高校を卒業するまでは、染髪もピアスも必要ないからさせない!
という考えだったので、それに従って生きてきました。
そして、高校の卒業式の前日に初めてピアスを開けました。
どうせ開けるなら、両耳に1つずつではつまらないし、ずっと軟骨にあけてみたいという願望もあり、軟骨にも1つ開けました。
私の痛覚ではとても痛かったです。
耳たぶはそんなに痛くなかったんですが、やっぱり軟骨は痛かったです。
針が貫通した瞬間
「いっっっっったああああああいいいいいいいいいいーーーーーーーー」
と絶叫した記憶があります。
恥ずかしながら、私は注射も大の苦手でして、針で刺される痛みは人1倍苦手なんです。
それでも、憧れのピアスは開けてみたかったんです。
ちなみに私はピアッサーを使ったことがありません。
できる限り、ピアスを開けることに適したもので開けたいと思っていたため、迷わずピアッシングニードルを選びました。
ピアッシングニードルとはピアスを開けるために作られた針で、注射針のようなものです。
皮膚を切り裂いてから貫通させるので、余分な細胞を殺さずに開けることができます。
また、余計な細胞を殺さないので、ホールの安定が早いとも言われており、トラブルにもなりにくいんだとか!
私のホールたちもそれなりにトラブルは起きましたが、私のケアの怠惰や寝方などが原因ですので、開けてすぐ化膿することはありませんでした。
特に軟骨を開けたいと思っている場合はできるだけピアッシングニードルで開ける方がいいようです。
そして、私は金属アレルギーの気があるので、サージカルステンレスのピアスしかつけません。
やるからには、しっかり大切に楽しみたいので、こだわりをもっています。
なぜ私が今ピアスの話しをしたかといいますと、私が今とてもピアスを増やしたいからなんです。
二度目にピアスを増やした際も、ビビりなのですごくこわかったですし、やっぱり刺される痛みは感じました。
あんなに怖い思いをしたのにまた開けたくなるなんてバカなんですね‥
これ以上は増やさないって思っていても開けたくなる不思議!
痛かったってことは思い出せるのに、その時の痛みは思い出せないんですよ‥
だから、また可愛いピアスを見つけると増やしたくなるっていう連鎖。
でも私はピアスが好きなんだ。
だって可愛いじゃないか。
私の行っているショップの店員さんはみんな沢山開けていて、すごく可愛いんです。
今一番増やしたいのはトラガスという部分です。l
耳の穴の蓋(?)みたいなところです。
うまく付き合わないとトラブルや排除があると聞くので、気を引き締めて付き合おうと思います。
ヘリクスと呼ばれる軟骨のピアスで一番スタンダードな部分に1つ開けているので、そのホールと直線でつなげてインダストリアルにしたいと思っています。
ロックもカッコいいからいつか開けたいです。
あとは、右の軟骨にも欲しいですね。
耳たぶも増やしたいなー
私は1回しかない人生を後悔したくないんです。
やりたいならやった方がいいって思ってます。
また、ピアスに関しては体に穴を開ける行為ですから、当然批判されることもあります。
親からもらった大切な体を傷つけてまで着飾る必要があるのかという意見があるのも知ってます。
でも、私にとってはアクセサリーなんです。
指輪やネックレスと同じなんです。
だから、反対されても私の感覚がズレてると言われても、それでもピアスをしていたいです。
もちろん、外すべき場所では必ず外しています。
会社で禁止されていれば外します。
でも休日にはピアスを楽しみたいです。
なんというか、私にとってピアスはお洒落であり、趣味です。
痛いのは嫌いです。でもピアスは好きです。
早く増やしたいな‥
揺れる。揺れる。揺れる。
ゆらゆらゆら…
私が体に揺れを感じた時、丁度会社説明会を受けていた。
緩い揺れが続き、もうそろそろ止むだろうと思っていた。
でも、揺れはだんだん大きくなり窓の外を見ると高速道路が見たこともないほど歪み、走っていたトラックが斜めに蛇行していた。
私は今自分の身に起こっていることを考える余裕もなく、続く揺れと、体感したことのない恐怖でいっぱいになっていった。
しばらくすると、どこからともなく悲鳴が上がり始め、会場は一気に落ち着きを失くしていった、。
とうとう東京大地震がきたか…と思ったが、その一方で嫌な胸騒ぎがした。
”もしかしたら、東北地方が震源なんじゃないか…”
揺れが止み、社員さんがネットの情報をプロジェクターで映してくれた。
東北地方で大地震。
宮城県で震度7弱…
嫌な予感は的中した。
私は自分の血の気が引いていくのが分かった。
「ご家族が東北地方の方などいらっしゃったらどうぞ連絡をとってください。」
社員さんが話し終える前に、私は席を立った。
お兄ちゃん…
お兄ちゃん…
携帯を握りしめた私の手は震えて、うまく文字が押せなかった。
やっとの思いで打ち終わり、送信した。
どうか…返信が来ますように‥
お兄ちゃんが無事でありますように‥
私は亡くなった祖父に何度も願った。
お兄ちゃんを守って。
お兄ちゃんを連れていかないで。
私の世界でたった1人のお兄ちゃんなの。
だから、お兄ちゃんを守ってください。
私の願いが通じたのか、兄から返信が来た。
大丈夫だよ。
この一文を見た瞬間、私は泣いた。
良かった。
生きていた。
お兄ちゃんが生きている。
それが分かっただけで十分だった。
その後、私たち就活生は断続的に続く余震をビルの中で過ごし、少し落ち着いた頃外に出た。鉄道は前線見合わせている状態で、復旧の見込みもなかった。
新宿まで歩く決意をし、同じ方向の就活生と力を合わせて歩きだした。
街は人でごった返していた。
スーツを着て足早に歩く人達。
震源地でない東京に、これほどまで影響が出るとは思わなかった。
見回す風景はいつもと変わらない沢山の明かり。
地震があったことすら嘘のようで、ほんの数時間前のできごとが幻のような気さえしていた。
私は昨日、朝ギリギリに起きて準備をし、朝ごはんを食べずに向かった。
途中でおにぎりでも買おうと思ったが、終わった後ゆっくり食べればいいかと安易に考えたため、結局お昼ご飯も食べなかった。
その結果、1日中飲まず食わずで歩きまわる羽目になり、午前中の自分を恨んだ。
寒さと空腹と底知れない不安とで、九段下に着くころには私たちの疲労はピークに達していた。
慣れないリクルートスーツとヒール。
こんなことになるなんて‥
飲食店を見つけようにも、どの店舗も営業していなかった。
諦めて新宿に行こうか‥と話していた時、私たちの目の中にロイヤルホストの明かりが入った。
九段下のロイホがやっていたのだ。
こんな状況でも店員さんは休むことなく、私たちに接客してくれた。
本当に素晴らしいと思った。
心からありがとうと言いたい。
また絶対利用します!
食事をしながらこれからのことを話し合った。
すると、行動を共にしていた就活生の友人さんが銀座線が動き出したとの情報を教えてくれた。
店を出た後神田まで戻り、渋谷に向かった。
渋谷に向かっている途中で京王線も運行を再開したと聞き、おびただしい人がひしめき合う中、京王線に乗ることができた。
深夜1時過ぎて友人の家に着いた。
今日朝のニュースを見て、被災地の状況が徐々に明らかになってきましたね。
兄は近隣の学校に避難しているそうです。
報道を見るたびに自分の無力さが身に染みます。
見てるだけでなにもできない。
申し訳なくて、寒くて、辛くて、恐ろしい思いをしている人が沢山いるのに‥
私はなんの力にもなれない。
悔しいです。
本当に。
まとめの言葉も浮かびません。
ごめんなさい。
頑張っている人に何て言葉をかけたらいいのかも分からないからです。
でも、私には負けないで、頑張ってということしかできないのです。
これ以上、辛い状況が長引きませんように‥
私は祈り続けます。