今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -87ページ目

今日という日【9月27日】

■横浜米軍機墜落事件

1977年9月27日。

1977年9月27日13時過ぎ、厚木海軍飛行場(厚木基地)を離陸し、太平洋上の航空母艦・ミッドウェイに向かおうとしたアメリカ海兵隊の戦術偵察機(RF-4BファントムⅡ611号機)が、離陸直後に燃料満載の状態でエンジン火災を起こした。乗員2人は機外に緊急脱出し、パラシュートで神奈川県横浜市緑区(現:青葉区)鴨志田町付近に着地したのち、海上自衛隊厚木救難飛行隊のヘリコプターに収容されて基地に無事帰還。一方、放棄され制御を失った機体は5kmほど離れた同区荏田町(現:青葉区荏田北三丁目大入公園付近)の住宅地に墜落し、周辺の家屋を炎上させた。

ちょうど同時刻に近郊の横浜市立鉄小学校では運動会が行われていたが、米軍機が炎上し、墜落して行く瞬間を偶然ビデオを撮っていた観客がとらえた。その映像はTBSのニュースフィルムに残っており、後年「カメラがとらえた決定的瞬間」として紹介されている。

米軍関係者は約1時間後の14時20分頃に現場に到着し、真っ先に現場周囲の人たちを締め出したのち、エンジンなどを回収。この作業の際には笑顔でピースサインを示して記念撮影をおこなう兵士もいた。

墜落地周辺では、火災により一般市民9人が負傷、周辺の人々により次々に車で病院に搬送されるも、うち3歳と1歳の男児兄弟は全身火傷により翌日死亡。また、兄弟の母親である女性も全身に火傷を負い、皮膚移植手術を繰り返しながら長期間にわたり入退院を繰り返したのち一時はリハビリを行なえるまでに肉体的には回復するものの精神的なダメージは計り知れず、最終的には精神科単科病院に転院し、事故から4年4ヶ月後の1982年1月26日に、心因性の呼吸困難により死亡した。

9月26日の名言

今から一年も経てば、

私の現在の悩みなど、

およそくだらないものに見えることだろう。

サミュエル・ジョンソン

今日という日【9月26日】

■洞爺丸事故

1954年9月26日。

「洞爺丸事故」は、1954年9月26日に青函航路で台風第15号により起こった、国鉄の青函連絡船での海難事故。死者・行方不明者あわせて1,155人に及び、日本海難史上最大の惨事となった。
また、発生時点では1912年の「タイタニック号沈没」、1865年の「サルタナ号火災」に次ぐ世界第3の規模の海難事故であった。

台風は、予想と異なり、渡島半島を通過せず日本海側を進んで北海道北西岸に接近、しかも速度を大きく落としさらに発達、南西に開口した函館湾には、台風の危険半円内に入ったこともあって暴風と巨大な波が長時間にわたって来襲することになった。また、台風の目と思われた晴れ間は台風の前にあった閉塞前線の通過によるものであった。しかし、この時代にはまだ気象衛星はなく、気象レーダーはようやく一部で運用に達した段階であり、また、気象観測機は米軍任せであり、このような複雑な気象現象を正しく観測し、予想することは非常に困難なことであった。また事故後に行われた気象データの解析も困難をきわめることになった。
この特異な台風はそのほかにも西日本で約300人の死者・行方不明者を出すなど、各地に甚大な被害を残しており、後に「洞爺丸台風」と命名された。