今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -83ページ目

今日という日【10月8日】

■サントリー角瓶発売

1937年10月8日。

この日、亀甲模様の瓶に黄色いラベルを添えた上級ウイスキー「サントリーウイスキー12年」が発売された。のちに角瓶と呼ばれるウイスキーである。

これが失敗したら寿屋(現:サントリー)は倒産しかない、という危機的状況下であったが、おりしも日本が戦時体制に突入しつつある中、舶来産のウイスキーが輸入停止になったことに加え、幾度もピートの炊き方を変え、原酒のブレンドを思考錯誤して、ブレンドを繰り返して完成させた原酒を東京に赴いて、銀座のバーなどで店主にテイスティングしてもらい、ヒントを仰ぐなどの努力を重ね、誕生させたスモーキーな原酒が評価されると共に、かつ山崎蒸留所で仕込み続けた原酒が熟成を迎えたことなどが功を奏し、「サントリーウイスキー12年」は好調に売り上げを延ばしてゆく。損失を重ねていた寿屋のウイスキー事業は、この「角瓶」が軌道に乗ったことで、抱えた損失を一掃するほどの成功を収める。
そして当時、日本海軍への「角瓶」の大量納入に成功、「大日本帝國海軍指定品」となったことが、サントリーウイスキーには大きな助けとなった。巨大な軍需販路を得ただけでなく、軍需品という理由で、戦時の食糧統制のもとにおいても原料となる穀物等の供給を受けられた。

発売当時の名称は「サントリーウイスキー12年」だったが、原酒の一部に12年物を使っていただけであり、スコッチなどの規準に比してもやや誇大気味の名称であることから、長くは使われていない。一方、その特徴ある角型の瓶の形から、愛飲者の間でいつしか「角瓶」「」の愛称が定着し、1950年代に正式に「サントリー角瓶」と改称された。

今日という日【10月7日】

■アフガニスタン紛争

2001年10月7日。

2001年9月11日に発生した「アメリカ同時多発テロ事件」は、その損害の大きさでアメリカ合衆国を含む世界各国に衝撃を与えた。北大西洋条約機構 (NATO)はテロ攻撃に対して「集団的自衛権」を発動。アメリカ政府によって、これまで数度に渡ってアメリカに対するテロを行った「ウサーマ・ビン=ラーディン」と「アルカーイダ」に首謀者の嫌疑がかけられた。

アフガニスタンの9割を実効支配していたタリバン政権は、数度に渡る国連安保理決議によってビン=ラーディンとアルカーイダの引渡しを要求されていたが、拒否し続けており、今回も拒否した。NATOは攻撃によってタリバン政権を転覆させる必要を認め、2001年10月7日、アフガニスタンの北部同盟と協調して攻撃を行い、タリバン政府を崩壊させた。以降、国連の主導によるアフガニスタン復興と治安維持が行われているが、南部を中心としてタリバン派の勢力が攻撃を行っており、アフガニスタンの治安は現在も安定していない。

この攻撃はアメリカ合衆国政府によって「対テロ戦争」の一環と位置づけられ、国際的なテロの危機を防ぐための防衛戦として行われた。イギリスを始め多くの国がこのアメリカ政府の攻撃に賛同した。対テロ戦争全体の作戦名は当初「無限の正義作戦 (OIJ:Operation Infinite Justice)」とされたが、参加諸国の間で評判が悪かったため、「不朽の自由作戦 (OEF:Operation Enduring Freedom)」と改められた。英国では米国が云う「不朽の自由作戦」は「ヘリック作戦 (Operation Herrick)」と呼んでいる。アフガニスタンにおける軍事行動の正式名称は「アフガニスタンにおける不朽の自由作戦(OEF‐A:Operation Enduring Freedom - Afghanistan)」である。

またその後、アフガニスタンからパキスタン連邦直轄部族地域にかけてタリバン系の組織活動が活発となり(ワジリスタン紛争)、海上でテロ組織の補給ルートを断ち切る海上阻止活動(OEF‐MIO:Maritime Interdiction Operation)も行われている。日本は2001年12月からOEF‐MIOのインド洋における給油活動に参加。海上自衛隊の艦艇が派遣された。2010年には全部隊を撤収させる意向を米国へ伝達している。

この戦いについてさまざまな見方や意見がある。形式的には、アフガニスタン内での内戦の北部同盟支援という形をとっているが、アメリカ同時多発テロ事件に対する報復テロであって戦争ではないとする者もいる。それとは逆に、米国側が米国内での同時多発テロ事件を「これは戦争だ」と定義づけ、ターリバーン側も「まだ戦争は終わっていない」と声明を出したことから、双方で宣戦布告無き戦争という合意がなされているという見方もある。

今日という日【10月6日】

■「すぐやる課」設置

1969年10月2日。

この日、千葉県松戸市役所が、市民の苦情にすぐ対応する「すぐやる課」を設置。

当時、松戸市長であった「松本 清」が、市役所は「市民に役立つ所、市民にとって役に立つ人がいる所」をモットーに、日本初の即応部門「すぐやる課」を市役所に設置。全国的に報道された。課長の「臼井 銀次郎」を含め課員は2人であった。従来の地方行政では、緊急に対応が求められる事態に対しても、何重もの決裁が必要とされてすぐには対応が出来なかった。そこで松本はこの課を市長直属とすることで、機動性を確保しようとしたのである。部署名は「すぐ出来る事はすぐやる」から。この思想は日本各地の市区町村長などに支持され、同名部署や同じ役割の部課が続々とでき、1975年に全国で315の自治体で採用された。尚、「すぐやる課」で対応できない件は、担当部署に回付、「可及的速やかに」処置する事になっている。

また、県会議員選挙の投票率が低迷していたため、松本は、投票整理券の整理番号を用いてくじを実施しようと考え、公職選挙法を管轄していた自治省にお伺いを立てたが却下。しかし、くじを実施しても投票の公正性が害されることがないと考えた松本は、その案を実施した(ただし、景品は1等賞が自転車と、それほど高額なものではなかった)。