今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -82ページ目

今日という日【10月11日】

■五大改革指令

1945年10月11日。

1945年に日本(大日本帝國)が第二次世界大戦に敗れた後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQあるいは進駐軍)および、その圧力の元で日本国政府や国会は民主化、自由化を進め、占領下での改革が行われた。

1945年10月11日、連合国軍最高司令官「ダグラス・マッカーサー」は当時の首相「幣原 喜重郎」に対し、五大改革指令を命じた。

1.秘密警察の廃止
2.労働組合の結成奨励
3.婦人の解放
4.教育の自由化
5.経済の民主化

1946年、GHQは日本国憲法を成立させ翌年から施行。大日本帝国憲法を改正する形をとり、主権在民、象徴天皇制、戦争放棄、男女同権などの理念を盛り込んだ。また改革の大きな柱として戦争協力者の公職追放、財閥解体、農地改革などが含まれる。農地改革で自作農が飛躍的に増えたことは農村部の保守化につながったともいわれる。

今日という日【10月10日】

■十・十空襲

1944年10月10日。

十・十空襲」または「沖縄空襲」は、太平洋戦争(大東亜戦争)後期のこの日、南西諸島の広い範囲でアメリカ海軍機動部隊が行った大規模な空襲。所在の日本軍艦船などに甚大な損害を与えるとともに、那覇市の市街地の大半が焼失するなど民間人にも大きな被害が出た。那覇市の空襲被害を特に「那覇空襲」と呼ぶこともある。日本軍の防衛態勢は不十分で、アメリカ艦隊に対する有効な反撃も行えなかった。

日本側の軍関係で最も大きな損害を受けたのは在泊中の艦船で、ほとんど全滅状態となった。海軍艦艇の損失は、潜水母艦「迅鯨」、満州国艦「海威」、敷設艇「鷹島」、第158号輸送艦、曳船「立神」、魚雷艇13隻、甲標的4隻の正規艦船22隻が沈没したほか、特設艦艇や徴用武装漁船も多数沈没、第58号駆潜艇が炎上。陸軍船舶兵の装備舟艇も、カロ艇6隻や高速輸送第1大隊の伊号高速艇8隻が全滅、その他大発動艇など18隻沈没。第32軍の記録によれば汽船の沈没は10隻で、船舶運営会の資料では「南陽丸」(岡田商店:2,218総トン)も撃沈されているほか、アメリカ側によると商船「豊栄丸」、「第七高島丸」も古仁屋沖で損傷した。小型船の損失は膨大で、軍徴用の機帆船と漁船が第32軍徴用分だけで60隻(4,477総トン)沈没、大破4隻、小破28隻、他の陸軍部隊徴用の21隻沈没、海軍徴用護衛漁船多数などとなっている。民間小型船の被害も本島だけで77隻沈没(内漁船26隻)、11隻損傷(内漁船4隻)である。

艦船以外では、各島の陸海軍機合わせて航空機47機が中破以上の損害を受け、4機が小破した。なお、アメリカ軍は日本機111機を破壊したと判定していた。人的損害も沖縄連隊区司令官の「井口 駿三」大佐をはじめ陸海軍合わせて軍人、軍属218人が戦死し、243人が負傷したほか、陸軍関係の民間作業員約120人が死亡、約70人が負傷している。航空関係の燃料弾薬だけは分散が間に合ったため、ドラム缶入りのガソリン113本が燃えた程度で済んだ。

民間人の被害も各地で生じた。最も被害の大きかったのは那覇市で、11日まで続いた火災により当時の市内市街地のうち9割が焼失し、死者は255人にのぼった。本島全土では330人が死亡し、455人が負傷している。本島で全損となった家屋は11,451戸(内那覇11,010戸)、半壊62戸であった。宮古島でも民家13軒が半焼。沖縄県の鉄道は機関車4両、ガソリンカー4両、客車6両などが中破以上の損害を受けた。民間自動車は7割の94両が破壊された。この民間被害によって、住民の県外疎開が促進されることとなった。日本政府は、同年12月、非軍事目標である市街地を攻撃したことが戦争犯罪に該当するとして、中立国のスペイン政府を通じた外交ルートでアメリカ政府に正式抗議した。しかし、アメリカ側は、従来の自国の解釈からすれば戦争犯罪に該当するとしつつ、それを認めると捕虜になったパイロットが訴追される危険があることや、被害実態が日本側主張通りか明らかでないことを考慮し、この抗議を黙殺した。

今日という日【10月9日】

■ドラマ「北の国から」第一回放送

1981年10月9日。

この日より、テレビドラマ「北の国から」が放送された。全24話。

東京都から故郷の北海道に帰郷して、大自然の中で暮らす一家の姿を描く。脚本は「倉本 聰」。北海道の雄大な自然の中で繰り広げられる。連続ドラマ放送後、8編に及ぶスペシャルドラマが放映された。主題歌の作曲・スキャットは、「さだまさし」。

主役の「黒板 五郎」は「高倉 健」「藤 竜也」「中村 雅俊」「緒形 拳」「西田 敏行」「田中 邦衛」などが候補となったが、一番情けなさそうな「田中 邦衛」を抜擢したそう。主人公の息子の純による、東京のガールフレンドに語りかけるナレーションが、物語の語り手となっている。「今日僕は…なわけで」「…しており」「…と思われ」などの特徴的な口調は、同じ倉本脚本のドラマ「前略おふくろ様」で主役を演じる「萩原 健一」によるナレーション手法を転用したもの。倉本は「前略おふくろ様」で初めてこの手法を使用した際に口調は「山下 清」から流用したが、本作でもそのまま使われる形になった。

毎回長期に渡る北海道ロケによって制作された。美しい自然や祭りなど、富良野市は日本中に知られるようになり、過疎の村だった麓郷地区には第1作放送直後から、休日になると数百人の観光客が見物に訪れることとなった。最終作が放送された2002年度には249万人が訪れている。富良野は北海道の観光名所となり、ドラマに使われた丸太小屋が再現された他、富良野市農業協同組合駅前4号倉庫を改造した「北の国から資料館」が設けられた。連続ドラマ第1話、黒板親子が降り立った布部駅の入口脇には、倉本の筆による「北の国から ここに始まる」と書かれた碑が建てられるなどした。