今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -79ページ目

今日という日【10月20日】

■初の防衛白書発表

1970年10月20日。

防衛白書」とは、日本の防衛省(旧防衛庁)が毎年刊行している白書であり、防衛政策の基本について日本国民の理解を求めるために作成されている。防衛省の防衛政策や、近隣諸国への認識を理解できる一次資料。
日本の防衛の根幹となる日米関係、近隣諸国(主に韓国、北朝鮮、中国、ロシア)などの軍事動向、自衛隊の国内外の活動や隊員の声を記載したコラム、防衛政策の提言などを主に行っている。

1970年10月に第1回が発行され、1976年の第2回以降毎年発行されており、白書は防衛省のサイトでも公開されているので、誰でも読むことが可能となっている。

今日という日【10月19日】

■ブラックマンデー

1987年10月19日。

1987年10月19日月曜日、ニューヨーク株式市場が過去最大規模の暴落。ダウ30種平均の終値が前週末より508ドルも下がり、この時の下落率22.6%は、「世界恐慌」の引き金となった1929年の「暗黒の木曜日(ブラックサーズデー、下落率12.8%)を上回った。翌日アジアの各市場にこれが連鎖。日経平均株価は3,836.48円安(14.90%)の21,910.08円と過去最大の暴落を起こした。更にヨーロッパの各市場へもつながっていった。

しかし、このときの証券市場の激震は、その後の金融当局による適切な対応の結果、実体経済へは甚大な被害をもたらすにはいたらなかった。日経平均株価については翌日2,037.32円高(9.30%)となっている。これは上昇幅で当時の歴代1位、上昇率で当時の歴代2位の記録。

1970年代の世界的なインフレーションと1980年代初めの高金利時代において株式は割安に放置され続けていた。1980年代、インフレ抑制に成功した世界ではディスインフレーション金融緩和が進行していた。1970年代のインフレーションによって名目の利益水準は相当膨らんでいたため、世界中の割安な株式市場に流動性が流入し活況を呈した。しかし、行き過ぎた活況は金融引き締め観測により終わりを告げた。
この中、金融緩和を続けた日本では、日経平均株価は半年後の1988年4月には下落分を回復。すでに1986年頃に始まっていた「バブル景気」は更なる膨張を続け、1989年12月29日には史上最高値(38,915.89円)をつけることになる。

今日という日【10月18日】

■アラスカ・デー

1867年10月18日。

この日、アラスカの所有権がロシアからアメリカに正式に変更された。

ロシア人は18世紀末から狩猟や交易のため露米会社を設立し北米大陸太平洋岸一帯に進出しており、一部はカリフォルニア州にまで達していた。その後1853年から1856年にかけての「クリミア戦争」により、大打撃を被って経済的に疲弊したロシアはアラスカを売却することにしたが、「クリミア戦争」でも敵対したイギリスに売却することを避け、アメリカ合衆国を取引の相手に選んだ。

ロシアは1859年にアメリカに売却意向を打診していたが、「南北戦争」の影響もありその時点での進展はなかった。1867年3月、ロシア皇帝「アレクサンドル2世」は在米外交官に命じ、国務長官「ウィリアム・H・スワード」と交渉を行わせた。

その結果3月30日午前4時にアメリカがアラスカをロシアから購入する条約が調印。購入価格は720万USドル(1871年 円とUSドルの為替が開始した時の相場は1ドル1円)で、面積単価は約2セント/エーカー(1エーカー=約4,047平方m)だった。

この条約は4月9日にアメリカ合衆国上院で批准されたものの、当初スワードは「巨大な保冷庫を購入した」などとアメリカ国民に非難された。しかし、1896年にはアラスカで金鉱が発見されるなど資源の宝庫であることが判明した他、軍事上においてもアラスカの位置がベーリング海峡や北極海を挟んでロシアと直接国境を接することから、特にソ連との間で発生した冷戦期には極めて重要な役割を果たすなど、スワードのアラスカ購入に関する評価は高いものに変わった。

現在アラスカ州ではアラスカ購入に関して2つの記念日が設けられている。
1867年10月18日にアラスカの所有権がロシアからアメリカに正式に変更されたことを祝う「アラスカ・デー」。スワードを記念する「スワード・デー」(3月の最終月曜日)。