今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -77ページ目

今日という日【10月26日】

■桶川ストーカー殺人事件

1999年10月26日。

桶川ストーカー殺人事件」は、埼玉県桶川市の東日本旅客鉄道(JR東日本)高崎線桶川駅前で、女子大生(当時21歳)が元交際相手(当時27歳)とその兄が雇った男によって殺害された事件。

被害者がこれらのグループから監視・中傷・脅迫・プライバシーの侵害等のストーカー行為を受けていたために、「ストーカー殺人事件」と呼ばれることが多い。またこの事件がきっかけとなって、「ストーカー規制法」が制定された。

この事件は警察の怠慢な捜査も発覚した事件でもある。被害者とその家族は、幾度となく、管轄の埼玉県警上尾警察署に相談し告訴状を提出。しかし上尾署側は捜査をせずにこれを放置し、被害者の家族に告訴の取り下げを要求。この警察の不正は「週刊誌フォーカス」が明らかにした。また、告訴状を改ざんしていたことは内部調査で明らかになった。最後に埼玉県警が不正捜査を認めて謝罪することとなったが、遺族が埼玉県警を相手に国家賠償請求訴訟を起こすことになった。改ざんに関わった署員は懲戒免職になり、のちに有罪判決を受けた。

「栃木リンチ殺人事件」、「新潟少女監禁事件」に続き、それまで希薄だった警察という権力に対する非難・バッシングが顕在化していくきっかけとなった事件。日本で初めて認知された複数犯による集団ストーカー事件でもある。

今日という日【10月25日】

■台湾光復

1945年10月25日。

台湾光復」とは、第二次世界大戦の終結に伴い、台湾が日本による統治から中華民国による統治に入れ替わった出来事をいう。

台湾地域は、日清戦争の後、1895年4月17日の下関条約の締結で台湾住民の意思を考慮せず、清から日本に割譲された。しかし清国人であった当時の台湾官僚を中心に日本軍の進出に対し台湾民主国建国・抗日武装蜂起などで抵抗したが、1920年代までにはそれらの運動は全て鎮圧された。内心では強く植民地支配からの解放を願っていた台湾人もおり、日本のポツダム宣言受諾によって、台湾が植民地支配から解放されたことを知った際には喜びを露にする人もいた。これについて「金 美齢」は「台湾人はお気楽な性格で、玉音放送を聞いたときは日本人と考えていたから落ち込んだんです。でも誰かが「いや、勝ったんだ。元は漢民族だろう」と言ったんです。すると今度は喜んだんですよ」と発言している。

2001年の週休二日制の導入後は、光復節は休暇を伴わない記念日となっている。 1995年、「台湾光復」50周年を記念した、10元記念硬貨や記念切手が発行された。 また、2010年10月25日から11月21日まで、台湾省政府は「台湾光復」65周年特別展を開催した。

今日という日【10月24日】

■暗黒の木曜日

1929年10月24日。

この日、ニューヨーク株式市場が大暴落し、世界恐慌が始まった。
この株式の崩壊を表すために、「ブラックサーズデー」、続いて「ブラックフライデー」、「ブラックマンデー」および「ブラックチューズデー」の4つの段階が通常使われている。最初の暴落が1929年10月24日に起き、壊滅的な下落が28日(月曜日)と29日(火曜日)に起こり、アメリカ合衆国と世界に広がる前例の無い、また長期にわたる経済不況の警鐘と始まりに急展開した。株価大暴落は1ヶ月間続いた。

経済学者や歴史家達はこの株価大暴落がその後の経済、社会および政治のできごとにどのような役割を演じたかについて意見の一致をみていない。「エコノミスト」誌は1998年の記事で、「手短に言えば、世界恐慌は株価大暴落と共に始まったのではない」と主張した。1929年11月23日、「エコノミスト」誌は、「大変深刻な株価大暴落が工業生産の大半が健全でありバランスが取れていたときに工業に深刻な後退を生むだろうか?・・・専門家は、幾らかの後退はあったに違いないが、それが長引くものか、全体的産業不況を生み出す期間まで続く必要があったかを証明する十分な証拠が無いことに同意している。」と問いかけた。しかし、「エコノミスト」誌は、「幾つかの銀行は疑いも無く破綻し、また今後も予測されている。このような状況下で銀行は商業と産業の資金を繋ぐ余力があるだろうか?ないだろうか?銀行の位置付けは疑いも無くこの状況下のキーであり、何が起ころうとしているかは霧が晴れるまで適切に評価できるはずがない」とも警告した。

1929年10月の大暴落はアメリカ合衆国における不動産価格の低落時期に来ており、工業化諸国における経済後退時期である世界恐慌に導く一連の出来事の始まりに近い時であった。