今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -75ページ目

本日お休みいただきました

『風邪症候群』

ども!TK89です。

今日で10月はラスト。ハロウィンな日です。2012年は残り2ヶ月です。僕の日記は10月お初です。そんな本日、体調を崩してお休みをいただきました。
今日は何の日?【トリビアン】で雑学王
昨日の夜から、なんだか頭痛かったんだよな。酒はいつも通り飲んだけど。

んで朝、頭が割れるように痛い。ちょっとこれは立ち上がるのもキツイぞと、ずっと寝てた。眠りに就けば痛みも消える。

結局今日は一日ベッドの上で過ごし、夕方過ぎ、ようやく頭の痛みも和らぎ今に至る。疲れとストレスなのかな。30過ぎてから、なんだか弱くなったな。そんなことも言ってられないか。とりあえずはブログを更新できるだけの体力は戻った訳で。病院には行かなかったけど、鼻水の出もだいぶ治まったし、11月のスタートはしっかり切ることができそう。

これから秋もさらに深まり、朝夕は気温もグッと下がる。師走に向かってまた慌ただしい日々となる。体調管理しっかりしないとな。

でわでわ。

チャオ!

今日という日【10月31日】

■戦後初の国葬

1967年10月31日。

戦前の日本では、明治以降、国葬をすべき必要が生じた場合に応じて「特ニ国葬ヲ行フ」とする勅令が個別に発せられていたが、1926年10月21日に国葬令が公布され一般的に整備された。
天皇・太皇太后・皇太后・皇后の葬儀は、特に「大喪儀」といい、国葬が行われた。また7歳以上で薨去した皇太子、皇太孫、皇太子妃、皇太孫妃及び摂政たる皇族の葬儀は全て国葬とされた(ただし明治以降において該当者が薨去した例はない)。天皇、皇族以外の国家に功績ある臣下が死去した場合にも天皇の特旨により国葬が行われた。皇族においても特に国家に功労があった者が薨去した場合には、通常の皇族の葬儀ではなく特別に臣下同様の国葬が行われた例がある(終戦前最後の国葬となった閑院宮載仁親王など)。
戦前の国葬の対象者は「皇族」「王公族」「旧薩長藩主」「首相・太政大臣・左右大臣の経験者」「元帥」のどれかに該当する。「桂 太郎」は首相として日英同盟・日露戦争・韓国併合などの業績があるが、死去当時皇族と旧薩長藩主以外で国葬になった者が「三条 実美」「岩倉 具視」「伊藤 博文」しかなかったため国葬になっていない。また、大隈重信は在野時代が長く死去当時も政府の役職についていなかったこともあり、国葬にならず「国民葬」となった。

戦後、国葬令が失効したことにより、それによって規定された国葬はなくなり、戦後の国葬は1967年に死去した「吉田 茂」の例が唯一。これは、閣議によって国葬と決し、かつ宗教色を排して行われた。現在、総理大臣経験者をはじめとした有力政治家の葬儀は、内閣、所属政党、所属議院、遺族のいずれかの組み合わせによる合同葬として行うことが多い。1975年に死去した「佐藤 栄作」は、存命中に大勲位を受勲した戦後三人(吉田・佐藤・中曽根康弘)のうちの一人で、その葬儀は「国民葬」として行われた。また、1951年に死去した「幣原 喜重郎」の場合、衆議院議員であったのは晩年の数年間のみだが現職の衆議院議長であったこともあり「衆議院葬」となった。また、下記以外に「松平 恒雄」「小野 明」「西岡 武夫(現職参議院議長・副議長で死去)」が「参議院葬」となっている。

今日という日【10月30日】

■史上最大の水爆実験

1961年10月30日。

この日、ノヴァヤゼムリャで大気圏内核実験が行なわれた。単一兵器としての威力は人類史上最大である「ツァーリ・ボンバ」という水素爆弾。TNT換算で広島型原子爆弾「リトルボーイ」の3,300倍、第二次世界大戦中に全世界で使われた総爆薬量の10倍の威力を持つといわれる50メガトン級核爆弾の核爆発は1,000km離れた場所からも確認でき、その衝撃波は地球を3周した。

ソビエト首相「ニキータ・フルシチョフ」は1961年7月10日、第22回ソビエト連邦共産党大会開催中の10月下旬にこの爆発実験を行うよう指示を出した。その時点で実施日まで15週しかなかったが、実験に用いる「ツァーリ・ボンバ」はすでに完成していた。
この当時、世界情勢は極めて緊迫した状態。1961年8月のベルリンの壁建設開始、数ヶ月前に発表されたソ連による核実験のモラトリアム中止、後のキューバ危機に結びつくキューバへの核配備計画実施などのためである。そのような状況下での実験は世界中を震撼させた。