今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -74ページ目

今日という日【11月3日】

■風船爆弾攻撃開始

1944年11月3日。

風船爆弾」は、第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)において日本陸軍が秘密裡に開発した気球に爆弾を搭載した兵器。陸軍少佐であった「近藤 至誠」が、デパートのアドバルーンを見て「風船爆弾」での空挺作戦への利用を思いつき、軍に提案をしたが採用されなかったので、軍籍を離れ、自ら研究を進めた。その後、近藤は病死するが研究は進められ、神奈川県の陸軍登戸研究所で開発された。「ふ号兵器」という秘匿名称で呼ばれていた。和紙とコンニャク糊で作った気球に水素を詰め、大気高層のジェット気流に乗せてアメリカ本土を攻撃しようとする兵器である。戦果こそ僅少であったものの、ほぼ無誘導で、第二次世界大戦で用いられた兵器の到達距離としては最長であり、史上初めて大陸間を跨いで使用された兵器となった。なお、「風船爆弾」は主に戦後の用語で、当時の本来の呼称は「気球爆弾」であった。

攻撃開始日は、1944年11月3日未明。3ヶ所の基地から同時に放球された。この日が選ばれたのは、明治天皇の誕生日明治節)であったことと、統計的に晴れの日が多い(晴れの特異日)とされたためであったが、実際には土砂降りの雨だったという。

風船爆弾」によるアメリカ側の人的被害は、すでに作戦が終了していた1945年5月5日、オレゴン州ブライで不発弾に触れたピクニック中の民間人6人(女性1人と子ども5人)が爆死した例が確認されている唯一のもの。
また、プルトニウム製造工場(ハンフォード工場、ワシントン州リッチランド)の送電線に引っかかり短い停電を引き起こした。これが原爆の製造を3日間遅らせたという説がある。一方、実際には工場は予備電源で運転され、原爆の完成にほとんど影響はなかったという説もある。焼夷弾は小規模の山火事を起こしたが、冬の山林は積雪で覆われていたため火が燃え広がりづらく、大きな戦果をあげたという記録はない。
ただし、「風船爆弾」による心理的効果は大きかった。アメリカ陸軍は、「風船爆弾」が生物兵器を搭載することを危惧し、着地した不発弾を調査するにあたり、担当者は防毒マスクと防護服を着用した。また、少人数の日本兵が風船に乗って米本土に潜入するという懸念を終戦まで払拭することはできなかった。風船爆弾対策のため、アメリカは大きな努力を強いられた。
一方でアメリカは厳重な報道管制を敷き、「風船爆弾」による被害を隠蔽した。これはアメリカ側の戦意維持のためと、日本側が戦果を確認できないようにするためであった。この報道管制は徹底したもので、戦争終結まで日本側では「風船爆弾」の効果は1件の報道を除いてまったくわからなかった。

今日という日【11月2日】

■シブがき隊解散

1988年11月2日。

シブがき隊」は、「布川 敏和」「本木 雅弘」「薬丸 裕英」によるアイドルグループ。所属事務所はジャニーズ事務所。

1982年5月、「NAI・NAI 16(シックスティーン)」で歌手デビュー。デビュー当時のキャッチフレーズは「YMF 正面突破」。YMFとはヤックン・モックン・フックンの略。同期に「花の82年組」の「小泉 今日子」「三田 寛子」「堀 ちえみ」「中森 明菜」「松本 伊代」「早見 優」「石川 秀美」らがいた。
名前の由来は「シブい“ガキ”」を意味しており、雑誌「セブンティーン」の一般公募によって「シブがきトリオ」に決定。その後まもなくして「シブがき隊」に改められた。バックバンドは「シブ楽器隊」という名前で、バンド名は事務所の社長「ジャニー喜多川」が命名。

第24回日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞、第33回NHK紅白歌合戦に初出場、その後1986年の第37回まで、5年連続で通算5回出演した。

結成から約7年後の1988年11月2日をもって、解隊した。
解散後、本木と布川はジャニーズ事務所をすぐに離れた。薬丸は残ったものの、1年後にジャニーズ事務所を離れた。

今日という日【11月1日】

■自衛隊記念日

1966年11月1日。

防衛庁、及び自衛隊の創立に基づいて1966年に政令された。

防衛庁・自衛隊が発足した日は、その法的根拠となる「防衛庁設置法」「自衛隊法」が施行された1954年7月1日だが、台風などの自然災害に伴う自衛隊の出動が予想される夏から秋に記念行事や式典を行うのは都合が悪いため、この時期を避けてこの日を記念日とした。