今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -57ページ目

今日という日【12月22日】

■平成18年豪雪

2005年12月22日。

平成18年豪雪」は、2005年12月から2006年2月にかけて日本で発生した豪雪。「〇六豪雪」、「一八豪雪」などとも呼ばれる。2006年3月1日に気象庁が「平成18年豪雪」と命名した。

気象庁は当初2005年秋ごろの寒候期予報や3ヶ月予報などにおいて全国的に気温は平年並みか高いと予想しており、暖冬となる見込みであった。しかしその予想に反して2005年12月上旬に早くも強い寒気が流れ込んだのを皮切りにその後も次々と断続的に寒気が流れ込むようになり、急速に発達する低気圧の通過と重なって日本各地に大雪、寒波、暴風をもたらした。結果的に2005年12月から2006年1月上旬のほとんど毎日が冬型の気圧配置となり、この期間は1985年から1986年の「六一豪雪」以来の記録的な豪雪と低温となった。

2005年12月22日は、強い寒波が流れ込み全国的に大雪。鹿児島県鹿児島市で12月としては観測史上最高の11cm、宮崎市でも1cmの積雪を観測。名古屋市では13cmの積雪を記録する大雪。さらに東北地方~九州北部までの日本海沿岸部を中心に暴風雪となり、金沢市と新潟市では33m/sの最大瞬間風速を観測した。そのため、気象庁はこの日、暖冬の予報を撤回した。

日本では1987年以降、特に1990年代はほとんど暖冬で2000年以降も東日本から西日本にかけて暖冬傾向だったこと、地球温暖化により暖冬の傾向が強くなるのではないかとの考えられていたことから、その傾向に反したこの年の厳冬と大雪をメディアは大きく取り上げた。また厳冬と大雪により除雪用品や暖房器具の売り上げが伸び日本のGDPを押し上げるとの試算もあり一部に良い面もあった。しかし多数の死傷者が出た上、大雪対策で財政が圧迫される自治体が出るなどもした。また被害の大きさから「三八豪雪」と比較されることが多かったが現地の高齢者は「(三八豪雪)当時の方が、若者がいたためまだ対処しやすかった」と語っており体力、足腰の衰えた高齢者が雪下ろしをしなければいけなくなった現状が犠牲者を拡大させたとも指摘され改めて中山間地区での高齢化、過疎化の問題を露呈する結果となった。

今日という日【12月21日】

■京都小学生殺害事件

1999年12月21日。

京都小学生殺害事件」は、京都府京都市伏見区で起きた殺人事件。犯行声明に書かれた単語から、「てるくはのる事件」、あるいは「日野小学校児童殺人事件」ともいう。

1999年12月21日午後2時頃、京都市伏見区の京都市立日野小学校校庭で遊んでいた同校2年生の児童が、覆面をした若い男性(当初、小学校高学年から中学生と見られた)にナイフで刺殺され、犯人は自転車で逃走。犯行現場には、凶器となったナイフや金槌など数点の物品の他、犯行声明と見られる手書き文書のコピー6枚が遺留されていた。その文書には、自分が小学校を攻撃することや小学校に恨みがあること、自分を探すなという要求を記した上で署名のように「私を識別する記号 てるくはのる」と書かれていた。
この「てるくはのる」という単語に、深い意味があるのではと考えたマスコミや一般の人々は、様々にその謎を解説し、犯人像に結びつけようと試みた。

京都府警察による調査の結果、犯行2日前に現場から4kmほど離れた京都府宇治市内のホームセンターで、遺留品と同じナイフなどを買った若い男性が浮上した。そして、ホームセンターの防犯ビデオに写っていた男性と風貌が似ており、かねて学校教育に不満を抱いていたとみられる、同区内に住む21歳の浪人生男性を犯人と断定した。

翌2000年2月5日午前7時京都府警伏見署は、浪人生男性宅を訪ね警察署への任意同行を求めた。捜査員に対し、男性は署への同行を拒んでいたが、母親の説得により午前8時20分頃、自宅近くの公園で捜査員と話をすることには応じた。捜査員は、公園でも署へ同行するよう男性の説得を続けていた。
しかし男性は同行を拒み続け、午前11時50分頃に捜査員の隙を見て逃走。男性は向島ニュータウンのマンションに逃げ込み、屋上に上がって鍵をかけた。警察は午後0時30分頃に男性を発見したものの、屋上の鍵を開けることに手間取ってしまう。午後0時40分頃、男性はマンションの屋上から飛び降りて自殺。京都地方裁判所が逮捕状を発付したのは、自殺したわずか5分後だった。
捜査員が男性宅からの押収品を分析したところ、「名言名句416ページ」と書かれたメモが発見された。同室の本棚にあった名言集の416ページには、「か行」索引があり、その文言の末尾の文字を1つずつ拾うと「てるくはのる」となった。そのため、「てるくはのる」には特に深い意味は無いと断定された。

小学校校庭で起きたこの小学生殺人事件は、日本の国民に大きな衝撃を与えた。また、任意同行を求めた被疑者の逃走を許し、挙げ句の果てに逮捕直前で自殺されてしまうという警察の大失態は、国民の痛烈な批判を浴びることとなった。

今日という日【12月20日】

■首相官邸デモ事件

1946年12月20日。

首相官邸デモ事件」は、東京都麹町(現:千代田区)で発生した在日朝鮮人による暴動のことを言う。

1946年11月10日に、在日朝鮮人は在日朝鮮人生活権擁護委員会を結成し、朝鮮人に対する生活物資の優先配給を行政機関に要求。同年12月20日に皇居前広場で「朝鮮人生活権擁護全国大会」を開催した。
この全国大会は、約1万人の朝鮮人が集結。日本共産党の「徳田 球一」も出席しており、徳田の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。
午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとしたが、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。
午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。

この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた。
警察は、「在日朝鮮人生活権擁護委員会」の委員長ら10人を、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕、身柄を米軍東京憲兵司令部に送致。米軍東京憲兵司令部は、彼らを軍事裁判にかけ、12月26日に全員有罪の判決を下し、翌年3月8日に国外追放処分となった。