今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -55ページ目

今日という日【12月28日】

■自衛隊ルワンダ難民救援派遣終了

1994年12月28日。

ルワンダ内戦」により大量に発生したルワンダ難民はアフリカのザイール(現:コンゴ民主共和国)及びケニア等に逃れており、衛生状態その他が極めて悪化していた。そのため、日本はザイール及びケニアに自衛隊の部隊及び連絡調整員を派遣した。派遣部隊は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などと調整を行いつつ、医療、防疫、給水及び空輸等の業務を行った。

国際平和協力法に基づいて、国連のPKO活動として部隊が派遣された例はあったが、国連の部隊としてではなく、国際平和協力法に基づく、日本主体の人道的な国際救援活動としては最初の例であった。

自衛隊は1994年9月21日から、先遣隊として23人、ルワンダ難民救援隊として260人、空輸派遣隊として118人がルワンダ難民救援のために派遣された。

今日という日【12月27日】

■マルセル盗難事件

1968年12月27日。

1968年、京都国立近代美術館で11月9日から開催されていた「ロートレック展」の最終日の12月27日にフランスから借りて展示されていた油彩絵画のうちの一つ「マルセル」(時価3,500万円相当)が消えた。
盗難から3日後の12月30日に美術館から約200m離れた自転車置き場で額縁だけが発見され、現場の西側にシューズの跡が残されていた。また、「マルセル」は一番人気があった作品だったが、隣にあった『酒場「スター」のイギリス娘』(時価1億円以上)は盗まれていなかったことから、換金目的ではなく「マルセル」の熱狂的なファンの仕業と考えられた。事件から7年後の1975年12月27日、窃盗罪の公訴時効が成立。

時効成立後の1976年1月、大阪市に住む会社員夫婦が「盗まれた『マルセル』ではないか」と新聞社に連絡してきたことで発見された。会社員夫婦によると「『マルセル』は知人で京都に住む中学教諭から預かったもので風呂敷に包まれた中身を確かめずに押し入れに置いていた」という。中学教諭は「知人から預かっており中身を知らなかった。知人の名は信義があるので言えない」と主張し、時効のため詳しい真相を追究することができなかった。

2月27日、「マルセル」は読売新聞社(展覧会の主催)を経て、貸出し元だったアルビ美術館(フランス)に無事戻った。しかし、犯人・その盗んだ目的は、分からないまま。

今日という日【12月26日】

■ジョンベネ殺害事件

1996年12月26日。

ジョンベネ殺害事件」は、アメリカのコロラド州ボルダーで当時6歳の少女「ジョンベネ・パトリシア・ラムジー」が誘拐され、1996年12月26日に自宅地下から遺体が発見された事件。

被害者である「ジョンベネ」が美少女コンテストの常連であったことが大きく報道され、警察が家族犯行説を取ったことで家族から協力が得られず、捜査が難航。母親のパトリシア(パッツィー)は元ミス・ウェストバージニア。自身では叶えられなかったミス・アメリカになる夢を娘に託し、美少女コンテストに積極的に参加させていた。父親のジョンは会社を経営しており、家は部屋数が15もある豪邸で大変裕福な家庭であった。

1996年12月25日の夜、ジョンベネとその家族は友人らとクリスマスパーティーに出席、一家はパーティーが終わると自宅へ戻り、ジョンベネはすでに車の中で眠ってしまっていたため、父親が抱きかかえてベッドに連れて行った。
翌26日の朝、ボルダー警察署にジョンベネの母親から「ジョンベネが誘拐された」との電話があり、捜査本部が設置。
階段に犯人から手紙がきていたと、父親は捜査官などに手紙を見せたところ、手紙は手書きで合計3枚で、ジョンベネ宅にあった黄色いメモ用紙に書かれていた。手紙には「警察には連絡するな。午前8時から10時ごろ連絡する。警察に連絡したらおしまいだ。金を用意しろ」などと書かれていた。母親は警察に通報。また、なぜか犯人は自宅内にあった懐中電灯の電池の指紋まで拭き取っていた。家の中を捜索したが、地下室の一部屋だけが忘れられていた。
脅迫状の10時を過ぎても犯人からは連絡はなかった。再度家中を探しなおした結果、前に探さなかった地下室の部屋でジョンベネの遺体が発見され、ただちに検死解剖がおこなわれた。ジョンベネの遺体には、口はガムテープで塞がれ、首に紐で縛った痕、頭部に打撲傷があり、手のひらにはハートマークが書いてあった。

捜査の結果、家の塀には足を引きずった跡なども見つかり、検死解剖の結果、性的暴行を受けていたことが判明。また、脅迫状には「金を用意しろ」と書かれていたが、捜査官は性的暴行だけが目的で誤って殺害されたとの見解を示した。身代金11万8,000ドルという数字は、父親ジョンがその時期受け取ったボーナスの額と全く同額で、ラムジー家に精通している者の犯行を強く示唆していた。また、事件から数ヵ月後にはジョンベネと同じダンス教室でダンスを習っていた別の少女、エミリーが何者かに誘拐されそうになっている。

その後、2006年8月16日に、タイのバンコクで元教師の米国人男性が容疑者として逮捕された。逮捕後、男性はコロラド州に移送され、DNA鑑定が行なわれたものの、鑑定結果は不一致であり、この容疑者は嫌疑なしとなり釈放され、事件は振り出しに戻った。
2008年7月9日、新たに行われたDNA鑑定により、ジョンベネの家族の潔白が改めて証明されることになった。ジョンベネの衣類などから採取されていた犯人のものとされる男のDNAが、家族の誰とも一致しなかった。しかし、当初の報道のセンセーショナルさはあまりに強烈であり、現在でもこれを信じ、家族の犯行であると頑なに主張している者も少なくない。
日本では、容疑者逮捕の初期報道において、日本テレビやスポーツ報知などが、「DNA鑑定はすでに行なわれており、容疑者のものと一致した」という内容の誤報を流している。