今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -49ページ目

今日という日【1月12日】

■ザンジバル革命

1964年1月12日。

ザンジバル革命」は、ザンジバル王国で発生した革命であり、この革命によりザンジバル革命政府の統治のもとでザンジバル人民共和国が成立し、ザンジバルとタンガニーカの合併によるタンザニア連合共和国の成立につながった。

ペンバ島に居住していた元帥を自称する「ジョン・オケロ」に率いられた300~600人とされる武装した黒人により僅か9時間で実行された。急襲された警察は速やかに武装解除され、主要な建物は制圧された。オケロはスルターン(イスラム世界における君主号)「ジャムシード・ビン・アブダラ」に家族を殺害して自殺するよう要求したが、スルターンは家族・政府閣僚と共に脱出し、イギリスへ逃れた。

このクーデターの後、17世紀以降にザンジバルに居住したアラブ系及びアジア系の少数民族に対する虐殺が発生、5,000~12,000人と言われる数の犠牲者を出し、生き残った人々は財産の半分を没収されながらも出国した。この虐殺は、イタリアの映画監督「グァルティエロ・ヤコペッティ」により撮影され、1966年に公開されたドキュメンタリー映画「さらばアフリカAfrica addio)」は、この虐殺を撮影した現存する数少ない記録の一つ。

今日という日【1月11日】

■広島刑務所中国人受刑者脱獄事件

2012年1月11日。

中国人受刑者のL(脱獄事件当時40歳)は、窃盗を繰り返していたが、2005年5月に岡山県岡山市内で職務質問を受けた際に警察官に向けて拳銃を発砲したとして逮捕され、殺人未遂や銃刀法違反などにより起訴された。岡山西警察署で拘留中の2005年6月には逮捕時に受けた足の傷を治療する為、病院に行く際に警察官の隙を突いて護送車両を奪い逃走する事件を起こしていた(約30分後に逮捕)。一連の罪状により懲役23年が確定し、広島市中区の広島刑務所に2008年6月から服役していた。

2012年1月11日午前、広島刑務所の受刑者50人が運動の為グラウンドに出ていたが、10時40分ごろに点呼をとったところLが所在不明になっていることが判明。後に確認した監視カメラの記録映像には10時30分ごろにLがグラウンドにある用具小屋の屋根に上り高さ2.6mの塀を乗り越える様子が記録されていたが、監視する職員が見落としていた(監視員が少なかったため発見できなかった)。Lはその後雨樋をつたい事務所の屋上に上り、工事のために設置していた仮塀と工事中の外塀を足場などを利用して乗り越え、敷地外に逃走した。なお、塀の上には本来は脱獄しようとして接触するとブザーが鳴る防犯線があったが、事件当時には工事のため取り外されており、役に立たなかった。

刑務所は当初Lが敷地内にいるものとして捜索していたが、外部の市民から受刑者と見られる下着姿の男がいたとの通報がもたらされ、脱走したと確信し11時25分になって広島県警に通報。また、Lの血痕が着地したと思われる場所に残されていた。
1月13日午後4時半ごろ、刑務所から2km離れた西区天満町で女性捜査員がLを発見。職務質問で本人であることを認めた。捜査員の連絡で応援のパトカーが来たときに、Lは近くの建物の非常階段に逃げ込んだが、そこで身柄を確保。
2012年4月10日、広島地裁で論告求刑公判が行われ、逃走や窃盗など5つの罪で懲役4年が求刑された。

今日という日【1月10日】

■「キツネ目の男」の似顔絵を公開

1985年1月10日。

キツネ目の男」とは、「グリコ・森永事件」において、現金受け渡しの過程で2度目撃された男で、犯人グループの一員と目された男。

1984年6月28日夜、「グリコ・森永事件」の犯人グループによる「丸大食品脅迫事件」で指定された旧国鉄高槻~京都間で捜査員の動きを見張るような動きをしていた。不審に感じた捜査員は男を尾行したが、男は尾行をまくような不自然な動きを繰り返して、京都駅中央口付近で行方をくらませた。

同じ犯人グループが起こした「ハウス食品脅迫事件」での1984年11月14日夜の現金受渡しでは、名神高速道路大津サービスエリアで帽子を被りサングラスをかけた男が2人の捜査員によって目撃された。捜査員の1人は丸大事件でもこの男を目撃しており、同一人物と断定された。なお、このとき捜査本部は現金受渡しで現行犯逮捕する方針を採用しており、捜査員2人は尾行や職務質問は禁じられており、警察無線で男を目撃したことと職務質問をかけたいと要請したが一網打尽したいとする本部によって拒絶され、男を目撃しただけにとどまった。

犯人グループは1985年4月3日の挑戦状で「キツネ目の男」が自分たちの一味であることを否定したが、2度にわたり計7人の大阪府警一課の特殊捜査員に目撃されたため、捜査本部は犯人グループの一員と断定している。

1984年6月29日に捜査資料として似顔絵が作成され、12月25日付夕刊で「朝日新聞」がこの男について報道、次いで12月31日にも「毎日新聞」が報じたため、大阪府警捜査本部が1985年1月10日に似顔絵を一般公開した。

推定年齢は35歳から45歳、身長は175cm~178cm。

キツネ目の男」については、時効までに9千件以上の情報が寄せられて、目撃した7人の捜査員が捜査にあたった。捜査員の間では英語でキツネを意味するFOXの頭文字Fと呼ばれていた。7人の捜査員を中心にした約20人のF情報捜査班が設置され、情報が寄せられた人物や写真の確認作業が行われた。しかし、「キツネ目の男」を2度目撃した捜査員が再確認したいと思うような人物や情報はその中に皆無だったという。

事件を担当した大阪府警の本部長だった「四方 修」は、目撃情報はあてにならないとして信頼性に疑問のある似顔絵の公開に消極的だったが、警察庁が積極的で公開されたという。捜査本部では「キツネ目の男」を最重要視されていたが、有力な情報があってもこの方針のもとで似てないということで捜査打ち切りになることに警察内部で軋轢が生じたとも言われる。