今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -48ページ目

今日という日【1月15日】

■鹿児島夫婦殺し事件

1969年1月15日。

鹿児島夫婦殺し事件」は、1969年1月15日に鹿児島県鹿屋市下高隈町で発生した殺人事件とそれによって生じた冤罪事件のこと。本事件は、冤罪の被害を受けた男性が国家賠償訴訟をおこしたことに特徴がある。事件が起こった地名から「高隈事件」あるいは「鹿屋夫婦殺し事件」とも呼ばれる。

1969年1月15日に鹿児島県鹿屋市下高隈町の農家の夫婦(事件当時、夫38歳、妻39歳)が殺害された。1月18日に事件が発覚。事件から3ヶ月後、被害者らの知人であった「舩迫 清」が犯人と疑われ、詐欺の別件逮捕。その後、警察による長期間の身柄拘束の末に犯行を自白。夫婦両名に対する殺人罪(併合罪)で起訴された。

第一審・控訴審において両殺人罪の成立が認められ、懲役12年(求刑は懲役15年)の有罪判決が出た。最高裁判所が法令違反及び重大な事実誤認を理由に判決を破棄し、第二審の福岡高等裁判所に差戻し。1986年4月に、判決差戻審判において無罪判決。同年の5月に確定。福岡高裁は、「別件逮捕、拘置中の取り調べは任意捜査の限度を超え、自白調書に証拠能力がない。アリバイも成立する」との判断を下した。

舩迫はその後、総額6,100万円の国家賠償訴訟を東京地方裁判所に起こした(後に鹿児島地方裁判所に移送)。 1993年4月19日に、第一審で取り調べ警察官及び担当検察官の捜査追行上の違法を認定し鹿児島県と国に対して約3,900万円の支払いを命じた。福岡高裁宮崎支部は1997年3月に、国と県の控訴を棄却し、賠償額を増額して認容した。この判決では、検察官が、警察官の違法な取調べなどに対して、積極的に捜査指揮権を発動するなどして、これを阻止しなかった不作為を違法と断じた。 この控訴審判決に対して、国と県は上告できず判決は確定。

しかし、冤罪の嫌疑を受けた男性は1995年3月に原因不明の自宅の火災によりすでに死亡していた。

今日という日【1月14日】

■喰違の変

1874年1月14日。

喰違の変(くいちがいのへん)」は、1874年(明治7年)1月14日に東京の赤坂喰違坂で起きた、右大臣「岩倉 具視」に対する暗殺未遂事件。「赤坂喰違の変」「岩倉具視遭難事件」などとも。

1873年(明治6年)10月に政府内で起きたいわゆる征韓論争に敗れた征韓派参議の「西郷 隆盛」「江藤 新平」「板垣 退助」らが下野したことは、征韓論に期するところのあった不平士族らにとって、いっそうの不満を高めることとなった。とりわけ、急病により一線を退いた太政大臣「三条 実美」に代わって、論争を主導した右大臣「岩倉 具視」や内務卿「大久保 利通」に対する恨みは次第に増幅されていった。

1874年(明治7年)1月14日夜、公務を終え、赤坂の仮皇居(前年の火災により赤坂離宮を皇居としていた)から退出して自宅へ帰る途中だった岩倉の馬車が、赤坂喰違坂にさしかかった際、襲撃者たちがいっせいに岩倉を襲った。襲撃者は高知県士族で、もと外務省に出仕していた「武市 熊吉」ほか、「武市 喜久馬」「山崎 則雄」「島崎 直方」「下村 義明」「岩田 正彦」「中山 泰道」「中西 茂樹」「沢田 悦弥太」の総勢9人。いずれも西郷や板垣に従って職を辞した元官僚、軍人であった。岩倉は襲撃者の攻撃により、眉の下と左腰に軽い負傷はしたものの、皇居の四ッ谷濠へ転落し、襲撃者達が岩倉の姿を見失ったため、一命を取り留めた。ただし、精神的な動揺は大きく、公務復帰は1ヶ月後の2月23日となった。

知らせを聞いた内務卿「大久保 利通」は、ただちに「西郷 従道」とともに参内。岩倉が軽傷と知ってひとまず安心するが、不平士族による政府高官の襲撃という事態を重く見た大久保は、ただちに警視庁大警視「川路 利良」に早急な犯人捜索を命じた。その甲斐あって事件の3日後の1月17日には、「武市 熊吉」ら9人は逮捕された。現場に残された下駄が手がかりになったという。同年7月9日、全員が斬罪に処されている。

今日という日【1月13日】

■共和汚職事件

1992年1月13日。

1991年に東京地検特捜部は大手商社「丸紅」と鉄骨加工メーカー「共和」(1990年11月倒産)による鉄骨資材の架空取引事件を摘発し、丸紅関係者や共和関係者らを逮捕。詐欺罪などで逮捕した共和の副社長の供述や押収資料の中から巨額の使途不明金があり、捜査過程において「阿部 文男」元北海道開発庁長官との密接な関係が浮かび上がった。

1992年1月13日に9,000万円の供与を受けた受託収賄罪の疑いで阿部元長官を逮捕。共和から政界には阿部の他に5億円近くが流れていた。共和との関係を指摘された政治家は10人近くにも及び、阿部の所属派閥である宏池会(宮沢派)の議員が多く、「塩崎 潤」が証人喚問され、「鈴木 善幸」元首相が参考人招致をされた。鈴木は参考人招致で、「カネはヤミ献金ではなく、善意の保管者として預かった」と発言、物議をかもした。

2000年3月、阿部元長官に対して懲役3年(追徴金9,000万円)の実刑が確定した(病気入院していたため刑の執行が停止され、収監はされなかった)。