今日という日【5月28日】
■戦場のメリークリスマス
1983年5月28日。
日本、英国、オーストラリア、ニュージーランドの合作映画であり、テレビ朝日制作の映画第1作である「戦場のメリークリスマス」が公開された。「大島渚」が監督した映画作品である。英国アカデミー賞作曲賞受賞。
原作は、南アフリカ出身の ボーア人(イギリス国籍)、軍人、探検家、農園主、イギリス政府・王室顧問であり、精神分析家カール・G ・ユングの友人を自称し、チャールズ皇太子の心の師でもあった小説家、「ローレンス・ヴァン・デル・ポスト」の「影の獄にて」に収録された2作品、「影さす牢格子(1954年)」「種子と蒔く者(1963年)」に基づいている。 作者自身のインドネシアのジャワ島での、日本軍俘虜収容所体験を描いたものであり、第二次世界大戦をテーマにした戦争映画でありながら、戦闘シーンは一切登場しない。また、出演者はすべて男性という異色の映画でもある。
日本人がメガホンを取った戦争映画ながら、表面的なメッセージ性は薄い。しかし、その根底にある日本独特の「武士道」「神道・仏教観」や「皇道派、二・二六事件」、英国人・欧米人にある「エリート意識・階級意識」「信仰心」「誇り」「死と隣り合わせのノスタルジア」などがより尊く描かれ、また、それを超えた友情の存在とそれへの相克がクライマックスにまで盛り上げられていく。一方で、ハラ軍曹らに見られる日本軍の朝鮮人軍属や俘虜に対する不当な扱いや、英国などにおける障害者への蔑視行為、パブリックスクールにおけるいじめなど、闇歴史の描写も容赦なく描いている。
出演は、「ビートたけし」「坂本龍一」「デヴィッド・ボウイ」など。また音楽も坂本が担当するなど話題性十分の出演者だった。
小川屋食堂
ども!TK89です。
出張2日目。
営業目標は既に午前中で達成し、只今ちょっと遊んでます。
美味しい海の幸を求め、富山県氷見市までドライブ!
そこで発見「小川屋食堂」
こじんまりとした昭和な雰囲気のあるお店。
海の幸も勿論、氷見饂飩も食べたいという欲張りな夢を叶えてくれました。
刺身も美味いし、しろえびの天婦羅もそりゃ美味いし、氷見饂飩はもちっとした舌触りにしっかり腰もあり、ツルツルっと美味い!
ランチとして考えるとちょいとお高めでしたが、お店を一人で切盛しているおばちゃんとの出会いにプライスレス!
「また来るときは電話してきてねっ、ちゃんと用意しとくから」って携帯番号まで教えてもらっちゃった。
Android携帯からの投稿
今日という日【5月27日】
■神戸連続児童殺傷事件
1997年5月27日。
神戸市須磨区で小学6年生男児の切断された頭部が、「酒鬼薔薇聖斗」による犯行声明文とともに見つかった。
神戸連続殺傷事件とは、数ヶ月にわたり、複数の小学生が殺傷された事件である。別名「酒鬼薔薇事件」「酒鬼薔薇聖斗事件」とも呼ばれる。通り魔的犯行や遺体の損壊が伴った点、特に被害者の頭部が「声明文」とともに中学校の正門前に置かれた点、地元新聞社に「挑戦状」が郵送された点など、強い暴力性が伴う特異な事件であった。また、犯人がいわゆる普通の中学生であった点も社会に大きな衝撃を与えた。
警察は聞き込み捜査の結果、少年が動物への虐待行為をたびたび行っていたという情報や、被害者男児と顔見知りである点などから、比較的早期から彼に対する嫌疑を深めていたが、対象が中学生であるため、極めて慎重に捜査は進められた。
一方で、中学生には到底不可能な犯行とされること、警察が少年に虚偽の説明をして調書を作成したとされることなどで冤罪の可能性を指摘する者もあるが犯人がそれを否定している。
少年は小学校5年生の時から動物に対する殺害を始め、最初はなめくじやかえるが対象だったが、その後は猫が対象になった。標準的な人は性的な発育が始まる以前の段階で、性欲や性的関心と暴力的衝動は分離されるが、少年は性的な発育が始まった時点で性欲や性的関心と暴力的衝動が分離されず、動物に対する暴力による殺害と遺体の損壊が性的興奮と結合していた。性的な発育過程にある標準的な感覚の男子は、自分の周囲の同年代の女子や少し年上の女性を、性欲を発散する対象として想像、または現実に性交して性欲を発散し、性的な経験を積み重ねながら肉体的、精神的な成長をして行くが、少年は動物を殺害して遺体を損壊することに性的な興奮を感じるようになり、猫を殺して遺体を損壊する時に性的な興奮や快楽を感じた。少年はその性的な興奮や快楽の感覚や要求が、人を殺害して遺体を損壊することによって、猫の殺害と遺体損壊よりも大きな性的な興奮や快楽を得たいとの欲求へとエスカレートし、それが自分の運命と思い込むようになり、この事件を行ったのであり、殺人の動機の類型としては快楽殺人であるという精神鑑定結果が出ている。
犯人である少年は、2004年3月10日、成人し、少年院を仮退院。2005年1月1日に本退院が認可された。
加害者である少年の父親は、『「少年A」この子を生んで...』を刊行している。事件後、父親は親戚の元へ身を寄せ、また離婚して苗字を改名した。他にも弟2人がいたが、追及を避けるため、別の土地で暮らす手段が採られた。
