今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -41ページ目

今日という日【2月4日】

■ジャワ沖海戦

1942年2月4日。

「ジャワ沖海戦」は、第二次世界大戦での日本海軍と連合艦隊との間の海戦。

日本軍の偵察機がバリ島の北を航行中の連合艦隊を発見。重巡「ヒューストン」、軽巡「マーブルヘッド」「デ・ロイテル」「トロンプ」、駆逐艦7隻からなる「カレル・ドールマン」少将指揮の連合軍艦隊で、日本軍の上陸船団攻撃に出撃したものであった。
この艦隊に対し、日本海軍第11航空艦隊(司令長官:「塚原 二四三」中将)は、セレベス島ケンダリー基地航空部隊の一式陸上攻撃機36機、九六式陸上攻撃機24機にて攻撃。この攻撃で「ヒューストン」は250kg爆弾の命中弾が1発、「マーブルヘッド」は250kg爆弾の命中弾2発と至近弾4発を受け損傷。また、「デ・ロイテル」も至近弾で小破した。「カレル・ドールマン」少将は攻撃を断念し引き揚げた。

この海戦後、日本軍は2月8日にマカッサル、10日にバンゼルマシンに上陸しこれを攻略。19日にはサヌール泊地に侵入してバリ島上陸を開始し、未明には日本軍が飛行場を占領した。
連合軍艦隊はこの後、「バリ島沖海戦」を経て、日本軍のジャワ島侵攻に際して発生した「スラバヤ沖海戦」、「バタビヤ沖海戦」で壊滅することになる。

今日という日【2月3日】

■音楽が死んだ日

1959年2月3日。

小型飛行機がアメリカ合衆国アイオワ州クリアレイク近郊に墜落し、「バディ・ホリー」「リッチー・ヴァレンス」「J.P.“ビッグ・ボッバー”リチャードソン」の3人のロックンローラーとパイロットの「ロジャー・ピータースン」の4人全員が亡くなった。

1950年代末から1960年代初頭にかけて、ロックンロールのスターたちが次々とスキャンダルや懲役や徴兵で舞台から姿を消してアメリカの大衆音楽は勢いを失い、イギリスのミュージシャンがアメリカに上陸してくる(ブリティッシュ・インヴェイジョン)までの間、スター不在の暗い時代が続いた。この飛行機事故はロックンロールの時代の終わりを告げる象徴的な事件となった。

この事件の後に、「ドン・マクリーン」がこの悲劇を題材にした楽曲「アメリカン・パイ」のなかで、この出来事を「音楽が死んだ日The Day the Music Died)」として歌いあげ、この呼び名が定着した。

今日という日【2月2日】

■元日本兵の帰国

1972年2月2日。

グアム島に隠れ続けていた元日本兵「横井 庄一」が、この日、日本に帰国した。

横井 庄一」は1941年(昭和16年)に太平洋戦争のため召集され、満州を経て1944年(昭和19年)からはグアム島の歩兵第38連隊に伍長として配属。戦争が激化し、同年8月に戦死したとされ戦死公報が届けられた。1965年(昭和40年)10月30日の第19回戦没者叙勲では、戦没者として、戦前受けていた勲八等から勲七等青色桐葉章への昇叙者として官報掲載されている。

その当時グアムに残っていた隊員には、1945年(昭和20年)の「ポツダム宣言」受託によって日本軍の無条件降伏が発令されたことが知らされなかった。横井はジャングルや竹藪に自ら作った地下壕などで生活、グアム派遣から約28年後の1972年(昭和47年)1月24日にエビやウナギをとるためにウケをしかけに行ったところ、現地の漁師に遭遇し、同年2月2日に満57歳で日本に帰還した。
軍事教育を受け育った横井は「生きて本土へは戻らぬ決意」で出かけた記憶がしっかりとあったため、帰国の際、羽田空港で発した第一声は「恥ずかしいけれど、帰って参りました」であった。この言葉をとらえた「恥ずかしながら帰って参りました」がその年の流行語となった。この時、NHKで放送された報道特別番組「横井庄一さん帰る」は、41.2%の視聴率を記録した。