今日という日【2月2日】
■元日本兵の帰国
1972年2月2日。
グアム島に隠れ続けていた元日本兵「横井 庄一」が、この日、日本に帰国した。
「横井 庄一」は1941年(昭和16年)に太平洋戦争のため召集され、満州を経て1944年(昭和19年)からはグアム島の歩兵第38連隊に伍長として配属。戦争が激化し、同年8月に戦死したとされ戦死公報が届けられた。1965年(昭和40年)10月30日の第19回戦没者叙勲では、戦没者として、戦前受けていた勲八等から勲七等青色桐葉章への昇叙者として官報掲載されている。
その当時グアムに残っていた隊員には、1945年(昭和20年)の「ポツダム宣言」受託によって日本軍の無条件降伏が発令されたことが知らされなかった。横井はジャングルや竹藪に自ら作った地下壕などで生活、グアム派遣から約28年後の1972年(昭和47年)1月24日にエビやウナギをとるためにウケをしかけに行ったところ、現地の漁師に遭遇し、同年2月2日に満57歳で日本に帰還した。
軍事教育を受け育った横井は「生きて本土へは戻らぬ決意」で出かけた記憶がしっかりとあったため、帰国の際、羽田空港で発した第一声は「恥ずかしいけれど、帰って参りました」であった。この言葉をとらえた「恥ずかしながら帰って参りました」がその年の流行語となった。この時、NHKで放送された報道特別番組「横井庄一さん帰る」は、41.2%の視聴率を記録した。
1972年2月2日。
グアム島に隠れ続けていた元日本兵「横井 庄一」が、この日、日本に帰国した。
「横井 庄一」は1941年(昭和16年)に太平洋戦争のため召集され、満州を経て1944年(昭和19年)からはグアム島の歩兵第38連隊に伍長として配属。戦争が激化し、同年8月に戦死したとされ戦死公報が届けられた。1965年(昭和40年)10月30日の第19回戦没者叙勲では、戦没者として、戦前受けていた勲八等から勲七等青色桐葉章への昇叙者として官報掲載されている。
その当時グアムに残っていた隊員には、1945年(昭和20年)の「ポツダム宣言」受託によって日本軍の無条件降伏が発令されたことが知らされなかった。横井はジャングルや竹藪に自ら作った地下壕などで生活、グアム派遣から約28年後の1972年(昭和47年)1月24日にエビやウナギをとるためにウケをしかけに行ったところ、現地の漁師に遭遇し、同年2月2日に満57歳で日本に帰還した。
軍事教育を受け育った横井は「生きて本土へは戻らぬ決意」で出かけた記憶がしっかりとあったため、帰国の際、羽田空港で発した第一声は「恥ずかしいけれど、帰って参りました」であった。この言葉をとらえた「恥ずかしながら帰って参りました」がその年の流行語となった。この時、NHKで放送された報道特別番組「横井庄一さん帰る」は、41.2%の視聴率を記録した。