今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -42ページ目

今日という日【2月1日】

■ケ号作戦

1943年2月1日。

ケ号作戦」は第二次世界大戦中の1943年2月1日から7日にかけて行われた、日本軍のガダルカナル島撤退作戦。
作戦は3回に分けて行われ、沈没艦は駆逐艦1隻のみで日本軍の撤退は成功した。撤退により救出された日本軍は1万人余りだった。

1942年8月7日の連合軍上陸から5ヶ月を経過し、2度の総攻撃を行ったものの「ヘンダーソン飛行場基地」の奪回は成らず、糧秣弾薬の補給が輸送船の沈没や駆逐艦の大量消耗により継続できなくなり、日本軍は同年12月31日の異例の「御前会議」でガダルカナル島からの撤退を決めた。撤退は翌1943年2月に行われることとなったが、これを隠すため航空攻撃や物資輸送は続けられた。そのため、米軍は日本軍の撤退作戦完了後も、撤退の事実を知らず逆にガダルカナル島への新たな日本軍増強のための駆逐艦輸送と考えていた。

この撤退に際しての企画は、
・ガダルカナル島西へ兵員を移動し、防御陣地を築いて撤退準備をすること。
・ガダルカナル島西方にあるラッセル諸島を占領し、これを中継基地として使用すること。
・戦病者を優先し、第二師団・第三十八師団と撤退していくこと。
・同時に陽動の為に陸軍は陽動隊を上陸させること。
・残存兵は潜水艦等により撤退させること。
こうした一連の動きにより、アメリカ軍に対し再び日本軍によるガ島総攻撃があると思わせるのが 日本軍の意図であった。

3回の撤収により海軍832人、陸軍12,198人、合計1万人以上の兵員を収容した。それに対し損害は駆逐艦1隻沈没、3隻の損傷のみであった。日本側は駆逐艦の損失を参加艦艇の1/4、損傷1/4、収容人数は約半分を想定していたが予想以上の成果を収めた。

アメリカ軍は日本軍が増強をしていると判断していた。8日朝に舟艇が放棄されているのが発見され、初めて撤退の事実に気が付いた。

人は変わる

『趣味趣向編』

ども!TK89です。
今日で1月が終わる。今日で32歳と19日。今日でこの世に生まれて11,707日。今日で2013年も31日目。今日で年末まであと334日。

そんな今日は、会社を休んでゆっくり寝てた。なんだか喉が痛くて風邪をひいたらしい。一瞬またインフルエンザにやられたかとも思ったケド、そんなに体温上がらなかったし、薬を飲んで寝てたら今は楽になった。喉はまだちょっと痛いケド。

そんな風に自分の誕生月最終日を過ごした。
で、なにもせずに寝てると色々考える訳で、最近妙に「やきもの」に心魅かれる自分がいることに気付く。
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こちらは、「伊賀焼」。ビードロ釉と呼ばれる緑色の自然釉が焼き締まった赤褐色の土肌に吹き出た無数の長石粒と折り重なり、質朴でありながら風流な焼き物。
先日仕事で三重県伊賀市へ行った時、「長谷園」というところを訪ね、手に入れたもの。
なんだかよく分からないが、この湯呑で珈琲を飲むとほっこりする。そして飲んだ後にこの湯呑を眺めると癒される。

もともと収集癖はあったが、どうやら「やきもの」にハマったらしい。暖かくなったら、多分色んなところに探しに出掛けると思う。

32歳と19日。おじいちゃんの様な新たな趣向に目覚めたことに気付いた日。月日が経てば人は変わるもんだね。

チャオ!

今日という日【1月31日】

■マレー作戦(ジョホール・バル陥落)

1942年1月31日。

マレー作戦」は、「大東亜戦争太平洋戦争)」序盤における日本軍のイギリス領マレーおよびシンガポールへの進攻作戦であり、日本の対英米開戦後の最初の作戦であった。世界史的には、本攻撃によって「第二次世界大戦」はヨーロッパ・北アフリカのみならずアジア・太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大したとされる。
1941年12月8日にマレー半島北端に奇襲上陸した日本軍は、イギリス軍と戦闘を交えながら55日間で1,100kmを進撃し、1942年1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入。世界の戦史上まれに見る快進撃であった。作戦は大本営の期待を上回る成功を収め、日本軍の南方作戦は順調なスタートを切ることができた。

開戦時における日本軍の戦略目標は、石油や天然ガス、ゴムなどの豊富な天然資源を持つオランダ領東インド(現:インドネシア)の資源地帯の占領であったが、そこに至るには手前に立ちはだかるイギリスの植民地であるマレー半島およびシンガポールを攻略する必要があった。またイギリスの東南アジアにおける植民地支配の中心拠点として、ヨーロッパやアフリカ戦線においてイギリスの抵抗に手を焼くドイツも、イギリスの資源補給線であるインド洋を抑える意味などから日本軍による攻略を切望するところであった。
長年イギリスの過酷な植民地支配下に置かれていたシンガポールは、「日英同盟」の破棄以降、イギリス軍によって防御設備の強化が進められ、「東洋のジブラルタル」とも称されていた。海に面した南側には戦艦の主砲並みの15インチ砲をはじめとする重砲群とトーチカ群、そして戦闘機群が構築され難攻不落の要塞と言われていた。北側のジョホール海峡側および同じく植民地であるマレー半島におけるイギリス軍の防備は手薄であったが、広大なマレー半島そのものが天然の防壁となると考えられていた。
上陸可能地点である、タイ領内のシンゴラ(ソンクラ)からシンガポールまでは1,100kmの距離があり、マレー半島を縦断する道路は一本道で、両側には鬱蒼たるジャングルとゴム林が広がっていた。さらに半島には大小250本の河川が流れ、南に撤退するイギリス軍が橋梁を破壊すれば容易に日本軍の進撃を阻止できると考えられた。その間にイギリス軍はシンガポール北側の防備を強化することができると考えていた。
日本軍が持つことのできる時間的余裕は長くはなかった。大本営は、「(マレー半島内のイギリス軍を放逐しつつ)マレー半島を70日以内で縦断してシンガポールを攻略する」という目標を立て、作戦準備を開始した。