ラスト1日
『魔法の言葉』
ども!TK89です。
9日火曜日、仕事がなかなか目処が立たず、23時まで残業してしまった。20時過ぎには会社の入っているオフィスビルはエアコンが運転を停止し、熱帯夜の中、汗だくデスクワーク。
汗だくで、集中力も散漫になり、帰ろうと決め、道中酔っ払いどもを尻目に地下鉄へ。地下鉄に乗ると若干酒臭い。疲れもあり若干短気がちな私。イラッとした気分で仏頂面。混雑した車内にぽつんと立つ。そんな折、名古屋駅へ差し掛かるとアナウンスが流れる。
「車内混みあいまして恐れ入ります。間もなく名古屋駅です。今日も1日お疲れさまでした。気を付けてお帰り下さい。」
う~ん。なんか癒された。多分車掌のアドリブなんだろうけど、粋なアナウンスに心の中で「お疲れ様です。」と、地下鉄を降りた後は疲れも充実感で心地よい気分。
顔も知らない車掌の気の利いた言葉。その一言で1日が充実した日となった。ありがとう。AGのCMじゃないけど、魔法の言葉ってあるんだなぁって。自宅までテクテク歩きながら思ってた。
10日水曜日、この1日を頑張ればいよいよ我が夏休み!ガンバロっと。
チャオ!
今日という日【8月9日】
■ナガサキ、原子爆弾投下
1945年8月9日。
午前11時2分、アメリカ軍が長崎市に「原子爆弾」を投下した。これは実戦で使われた世界で二発目の「核兵器」であった。この一発の兵器により当時の長崎市の人口24万人のうち約14万9千人の命が奪われた。
朝から警戒警報が出ており、一旦は避難した市民も多かったが、午前10時過ぎには解除された為、大半の労働者、徴用工、女子挺身隊は、軍需工場の作業に戻ったとされる。
「ナガサキ原爆戦災誌」によると、広島の新型爆弾の惨状を聞いた「永野若松」県知事は8日夜、警察の部課長や署長を官舎に集め、同じ爆弾が長崎に落とされる恐れもあるとして、明日にでも会議を開いて対策を検討しようと指示を出した。そして9日、退避命令が一番いいと考えた「永野若松」県知事は会議を招集したものの、空襲警報が出て警察幹部は長崎市立山の県防空本部(立山防空壕)を動けなかった為、知事が自ら同本部へ駆けつけ、会議を始めた途端に爆弾が投下され、壕内の電気が消え真っ暗になったとされている。
原爆投下直前に「長崎市民は全員待避せよ」との臨時ニュースが福岡、熊本、佐賀3県のラジオ放送で流れていた。その臨時ニュースは、「総退避」の叫び声が流れる中、原爆の投下と同時に無変調となった。
長崎原爆は「プルトニウム239」を使用する「原子爆弾」であった。長崎原爆「ファットマン」は、広島に投下されたウラン235の原爆「リトルボーイ」の1.5倍の威力であった。
長崎市は周りが山で囲まれた特徴ある地形であった為、熱線や爆風が山によって遮断された結果、広島よりも被害は軽減されたが、周りが平坦な土地であった場合の被害想定は、広島に落とされた原爆「リトルボーイ」の威力を超えたとも言われている。
広島市への原子爆弾投下時の映像が現像失敗等で殆ど残っていない現在、テレビなどで使われている映像は、長崎市への原爆投下の映像である。
日本は世界で唯一、戦争における「原子爆弾」の直接被害を受けた国であるが、この経験は、太平洋戦争終結直後から、米国国防省内で「原子爆弾」の使用に反対した者たちの予想にも反し、日本国民の反米感情や報復意識にはつながっていない。1946年の日本でのアメリカ戦略爆撃調査団による大規模調査結果によると、広島、長崎では19%、日本全体でもわずか12%の被調査者のみが、原爆投下に対しアメリカに憎しみを感じたという。また戦後20年間の書籍、新聞、雑誌の原爆関係記事では、おおむね原爆の悲惨さを訴えるものが多く、アメリカへの恨みはほとんどないという。
